第 七百二十話 アインツの冒険譚(前編)
「へぁ?」
間の抜けた声を発するマリオ・ブルスタンに対して、してやったりの顔をするレイモンド・ランスレイ。
「こ、国王様。今しがた、なんとおっしゃられました? まさかカトレアと申されましたか?」
「ああ。その通りだ」
「な、何かの間違いでは?」
「間違いなどではない」
「ま、まさか……既に取り込んでいたというのかこのジジイは!?」
「…………」
ギロリとカールス・カトレアを激しく睨みつけるマリオ・ブルスタン。全くそのような情報は入って来ていない。アーサーを養子にした時のように今回も水面下で養子縁組話を進められていたのだと。
しかし話に置いてけぼりなのは何も二大侯爵だけでなかった。ヨハンにしても同じ。
「えっと……」
混乱しながら父と母へ視線を向けると、予め聞いていたのかそっぽを向いている父の姿と軽く手を振っている母の姿が視界に映る。
「か、カトレアとは、一体どういうことなのでしょうか?」
「聞いての通りだ。ヨハンには今後カトレアの名を名乗ってもらう」
「横暴が過ぎますぞっ! いつぞやのことを忘れたわけではないでしょうな!?」
マリオ・ブルスタンが睨みつける先はアーサー・ランスレイ。当のアーサーは苦笑いしていた。
(そういえばあの時も結構問題になったって聞いたなぁ)
孤児から四大侯爵家に養子入りしたアーサーはランスレイ家に婿入りするのではという憶測が飛び交いその命を狙われたことがある。首謀者は突き止められてすぐに処罰されているが、それ以前に暗殺者その全てをアーサーが返り討ちにしたのだから結果的にアーサーの名声を高めるのに一役買ったに過ぎない、とイルマニから聞いた話を思い出す。
(でも、僕の場合は……)
その予感の通り、ローファスが口を開こうとしたところそれよりも早く口を開いたのはこれまで無言だったカールス・カトレア侯爵。
「皆に話しておかねばならないことがある」
静かでゆったりとした口調なのだが、はっきりとした力強い言葉。大衆の視線が一気にカールス・カトレアへと集まった。
「我が娘、エリザ・カトレアはおよそ十五年前に異国へと嫁いだと多くの下位貴族へ伝えてあったが、それは事実とは異なる。エリザは、ここにいるスフィンクスのリーダーと恋に落ち、家を飛び出していたのだ。あまりにも恥さらしな行動、醜聞を曝すようなことはできないと絶縁していた」
視線の多くは部屋の角にいるエリザとアトムへ向かい、エリザは軽く頭を下げるのだが、アトムはまるで意に介していない。
視線を向けるいくらかの貴族にはエリザの容姿にかつての面影を見る者もいる。
「困惑させてすまない。十五年も前のことを今さら報告するのは、ローファス王と同じで私もこの辺りで清算しておきたかったのでな。便乗する様で申し訳ないがこれも必要なこと」
「ま、まさか…………」
「いくらか察しの良い者は気付いているが、その通りだ。ここにいるヨハンは二人の子。それはつまり、私の孫にあたるのだ」
途端に沸き上がる大歓声。唐突に突き付けられた事実に興奮する者は多い。
生ける英雄の名を欲しいままに築き上げたスフィンクス。そのメンバーにカトレアの直系であるエリザがいたことは広く知れ渡っていた。その名声が知れ渡ったことで他国に嫁いだとされていたのだが、実際は異なるのだと。
「で、でまかせを言うなッ! どこまでも意地汚く、卑しいやつなのだ貴様はッ!」
飛沫を飛ばして興奮するマリオ・ブルスタン。
「証拠ならあるよマリオ」
カツカツと音を鳴らし、その場に姿を見せたのはマックス・スカーレット公爵。ローファス王の実弟。その手の中には一冊の本が収まっている。
「…………証拠とは、どのような?」
訝し気にマックス・スカーレットを見るマリオ・ブルスタン。
「この本がそうだよ」
マリオ・ブルスタンがマックス公爵によってそっと手渡されたのは赤い装丁の本。その背表紙には【アインツの冒険譚~砂漠に咲く花~】と書かれていた。
「……これは?」
「そうか。あなたは知らないのかこの本のことを。これは市場に出回っている御伽噺の本だよ」
「それがどうかされましたか? 私はこのような世俗的な本など読まないのでね。そんな本よりも、知識を得る為の本の方がよっぽどためになりましょう」
「そうだね。勤勉さは大事なことだし、私も必要だと思う。それにこれは云わば息抜きのようなものだ。所詮英雄譚なのだからね。だからそんなあなたのために簡単に教えて差し上げよう」
疑念の眼差しを向けているマリオ・ブルスタンへマックスは笑みを向ける。
「確かに脚色している部分は多分にあるが、それでもこの物語の根っこの部分は変わらない。その理由だけどね、これはあなたが先程称賛、絶賛したと言ってもいい冒険者パーティースフィンクス、つまり我が国の英雄の話なのだよ」
「…………それが、どうなされた? 確かにそのようなこともありましょう。歴史に名を残す者たちです。伝説的な活躍を物語として描くのは通常ではないのですか? 世に出回っている多くの書物には史実に基づいたものなどいくらでもありましょう」
「そう。その通りなのですよ」
マックス・スカーレット侯爵の言葉の意味が理解できないマリオ・ブルスタン侯爵。
「しかし……――」
「きゃあ!」
だがマックス公爵が口を開こうとするよりも早くに口を開いたのは後方に控えていたドレスの女性。
「どうした? レイライン? 突然はしたない声をだして」
その令嬢はマリオ・ブルスタンの姪に当たる女性であり、その知識の広さと美貌はマリオ・ブルスタンの自慢でもある。
「も、申し訳ありません叔父様。それに皆様も驚かせて申し訳ありません」
軽く頭を下げ、笑顔で取り繕いながら周囲に気を配るレイライン・ブルスタン。伯爵令嬢。
レイラインは佇まいを正しながらもその瞳は燦然と輝いていた。




