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第 七百十一話 アスラ・リリー・ライラック

 

(やはりここが障害となりますか)


 視力を失ったアスラに伝わる空気感。唯一ここだけが不安材料だった。


(ここが分岐点……ですね)


 今はもう光を失っているアスラの両の眼である魔眼。

 左の魔眼の効力は未来視。神の声が聞こえると噂されていたアスラなのだが、その理由はこの魔眼による未来視によるものであった。

 未来視の魔眼はアスラが先天的に持って生まれたものである。


 そしてもう一つの右目の魔眼の効力は魔力の譲渡。他者の魔力をも移すことができるそれは云わば外法。ゲシュタルク教皇と魔族の共謀によりアスラへと埋め込まれた後天的な魔眼。

 右目の魔眼を用いて教皇へ魔王因子を移していたのだが、魔王因子ともなる巨大な魔力を移すともなれば、代償に対価として魔眼を差し出さなければならなかった。


 しかしアスラは未来視の魔眼を先に差し出している。それにも理由があった。そうしなければ、この局面に辿り着くことはなかったためである。

 教皇と魔族によりアスラを傀儡としようとすることは未来視の魔眼により察知できていた。逃げることを許さないのはそれが未来視であるからこそ。断片的にしか視ることのできないその未来は、いくつか分岐があるにせよ選んだ未来に確実に進む。


 仮に逃げていたとすれば、捕まった後に自分は本当に意識を失くした人形にされ、最終的には死にゆく運命(さだめ)

 そうなれば、予め傀儡のように振る舞えばいいだけ。その先の未来にこそ希望があるのだから。


 そして左の魔眼に関しては、表向きには未来視とは伝えておらず、魔力を透視できるとだけ伝えていた。

 実際、アスラは生まれつきその能力を備えているのだが、それは魔眼によるものではなく、魔力を肌で感じるのみ。元々五感が他者より遥かに敏感だったこともあり、それを紐付けて尤もらしい理由を擁していた。取って付けた理由に過ぎない。


 そうしたことにより、未来視ができるアスラからすればここまでの局面は想定内。

 確かに聖都のこの状況に心が痛まないこともない。だが、それよりも凄惨な状況を未来視により何度も視てしまっているのだから。それらの未来に比べれば今の状況の方が遥かにマシ。正直なところ死人も少ない。


 しかし、ここから先は未知の領域。予め未来視で視ることができたのはここまで。


『あなたは仲間の力を借り、この局面を打開します』


 ヨハンにああは言ったものの、確証はない。素直に言うなれば、これでダメならば幾つもあった世界崩壊の未来へと繋がっている。


「アスラ様」


 そのアスラの不安を感じたリンガード・ハートフィリアが小さく声を掛けた。アスラは小さく首を振る。


「私たちに出来ることはもうありません。それよりも、あの魔族は?」

「はっ。それが、どこにも奴の気配はありません」

「…………」


 あの魔族――ガルアー二・マゼンダはどこかに姿を消しているのだが、状況的に必ずどこかで見ているはず。


「気を緩めず、周囲の警戒を」

「はっ!」


 リンガード・ハートフィリアは、もう一人の黒鎧の第二聖騎士と共に周囲の索敵を行っていた。


「神様。どうか私たちに明るい未来が訪れますように」


 天に届けるように、錫杖の音を鳴らしてアスラが祈りを送る。


「――……だめ。やっぱり私にはできないわ」


 ヨハンの背に手を重ねているカレンは小さく首を振った。


「ごめんなさい、こんな大事な時に」

「ううん。カレンさんのせいじゃないよ」

「でも……」


 声を掛けてくるヨハンなのだが、その優しさがまた胸に突き刺さる。


「僕がやってみるよ」

「……お願い」


 そっと背中から手の平の感触が離れるのと同時に、光属性の魔力を練り始めた。



(――…………ダメだこんなんじゃ。上手く魔力が練れない)


 ただでさえ六人の魔力を受け止めている状態で、二つ目の属性である光属性の魔力を練ることが出来ないでいる。

 それだけでなく、下手に体内の魔力を動かそうとしようものならば、ここまで蓄えた魔力が暴発する気がしてならない。


(くそっ!)


 何か他に方法はないものかと、思考を巡らせるのだが良案が思いつかない。


「……ヨハンくん、どうしたの?」


 その状況を小さく呟きながらも静かに見守っているサナ。


「え?」


 チラと視線を向けた左手のブレスレットなのだが、青白い光を放っていた。


「ちょ、ちょっとどういうこと!?」


 気付く範囲だけで、ここに至るまで何度か光を放っていることはあり、そのどれもがウンディーネが反応をしているのだと、ようやく理解している。


「どうかしたの? サナ?」

「そ、それが、ウンディーネさんが――」


 ナナシーの問いかけに応えようとした瞬間、ブレスレットは一際大きく光り輝く。


「う、ウンディーネ……さん?」


 全く魔力を流し込んでいないというのに、ウンディーネは既にその場へ顕現していた。


「これは…………どういうことじゃ、サナ?」

「え? これって?」


 明らかに深刻な声色を見せているのだが、眼前のウンディーネは視線を後方へと向けており、その顔は薄く笑みを浮かべている。


「まさか、こんなことが起きようとは」

「何を、言ってるの?」


 言葉の意味が理解できず、ただただウンディーネの視線の先へと顔を向けると、そこには本来であれば立ち上がることのできない人物がゆっくりとこちらへ向かって歩いて来ていた。

 周囲も突然ウンディーネが姿を見せたことに驚きつつも、同じように視線を向ける。


「どう、して……?」


 カレンも釣られて思わず視線を送ったその先には、悠然と歩いて来る水の聖女の姿があった。ぽつりと小さく呟く。


「しん、じ……られ、ない。どうして、どうして今なのよ…………――」


 同時に抱くその感覚。衝撃に身を包まれ、複雑な表情を浮かべながら頬を伝うのは一筋の滴。


「――……ティア」



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