第 七百八 話 ベラル・マリア・アストロス(後編)
そして十年余りの月日が経ち、ベラルは土の聖女としての任に就く。
「これから頼りにしておるぞベラル」
「はぁい。お任せくださぁい」
ゲシュタルク教皇より聖女の証である土の錫杖を賜っていた。
「さぁてとぉ。一体どうしたものやら。どこから浄化させればいいのかしらぁ?」
最初の密告以降、不正貴族の摘発を適度に行っていたベラル。依然として匿名で。
国としても不正の証拠を挙げられるのはありがたいのだが、素性を明かさないことを訝し気に見ていた。そもそも沽券に関わる。
「人の愛など、脆く儚いものだわぁ」
時には連れ合いを切り捨てるような輩もいた。しかし断罪するのは逃がすことなく両者ともに。
それらを目にする度に人間の醜さを目の当たりにしていく。
「ふぅ。やはり愛は唯一あなたの下にしかないようですねぇ」
土の清浄の間にて祈りを捧げ終えて見上げる神を模した彫像。
「あの時のあなたからは愛が感じられました。確かな愛、が」
以降、神の声を耳にしたことがない。どれだけ望もうとも。願おうとも。
「ベラル様。予定通り新しく光の聖女が誕生しました」
「…………そう」
土の聖騎士によって声を掛けられ、小さく嘆息する。
「ベラル様?」
「いえ。なんでもありませんわぁ」
振り返り、笑みを見せるのだが、聖騎士は普段とどこか違う様子の聖女に小首を傾げていた。
(それにしても、神の声を聞くことができる神童、ですか。一体どんな子なのやら)
崇拝する神の声が聞こえるということに関しては否定をしない。ベラル自身、神が居ないなどと疑ったことは一度もない。何故なら、【バンデラの森】で確かに神の声を耳にして自分は生き永らえたのだから。
しかし噂に聞くように、本当にそのように何度となく聞くことができるのかは怪しいもの。
(まさか、わたくし以上に神に愛されているとでも?)
一瞬だけ脳裏を過る悪い予感。
しかしそんなはずはないと内心で苦笑いしながらその考えを振り払い、教皇の間にて初めて対面する目の前の女性を目にした途端、その考えをすぐに改めることとなった。
実際に目にし、圧倒される。
「初めまして。アスラ・リリー・ライラック、と申します」
「……えぇえ、はじめましてぇ。ベラル・マリア・アストロスですわぁ」
一目でわかった。格が違う、と。
先代光の聖女を目にしたことはあるのだが、明らかに下り坂の女性。内心で小馬鹿にしたこともある。
だが、今目の前に立つ女性は一つ歳が下とはいえ、醸し出す雰囲気は圧倒的。肌に感じる内包する魔力量もさることながら、何よりも特別なのはその両目。
「魔眼……かしらぁ? それもぉ、異なる性質を宿した」
頬に手の平を当て、笑顔で問い掛けると、初々しい目の前の聖女成りたての少女は目を瞬かせる。
「す、凄いですね。初対面の人に言い当てられたことはなかったのですが」
「えぇえ。伊達に先輩聖女をしてませんのでぇ」
共に衝撃的な印象を抱くその出会い。
(なるほどねぇ)
これが神に愛された女性なのか、と。
ただでさえ魔眼などという特異的なモノを人間は持ちにくい。竜人族の竜眼を筆頭にして、ドワーフの目利きの眼のように種族として現れやすいのはあるのだが、それをどのような性質があるにせよ二つも持って生まれたのだから。
(いえ…………――)
そこまで考えたところでもう一つの可能性が脳裏を過る。
問い掛けようかどうか迷っていたのだが、まるでその思考を見透かすかにように、目の前の女性は薄く笑っていた。
「――……よくわかりましたね。ベラル様の言う通り、こちらの眼は後天的なのです」
「やはりそうですかぁ」
予想が見事に的中する。
取り付くように笑顔を見せるのだが、それすらも見透かされているかのよう。実際はりぼての微笑み。
(これが神に愛された女性ですか)
それからというもの、事あるごとに比較してしまう。
五大聖女と言えば聞こえは良いが、光の聖女が筆頭聖女であることは誰もが周知の事実であり、覆すことのできない現実。
そんな鬱屈とした感情を持つ自分に若干の嫌気が差していた頃、ゲシュタルク教皇から衝撃の提案をされることとなった。隣にいるアスラと共に。
国家転覆を遥かに凌駕する規模の計画。魔王なる人智を越えた存在がいるのだと。
当然教皇の計画を断ろうとする。聖女として許されるものではない。
しかし思いの外乗り気を見せていたのがアスラだった。
「不思議そうだな。アスラは長い時間をかけて我等の意のままに動くように調整していたのだ」
「…………そぉうなのですかぁ」
胸の中がどこかスッとすく。
「教皇のお考え、全面的に支援させていただきますわぁ」
ぼーっとしているアスラの顔を横目に捉え、ゲシュタルク教皇へ視線を向けるとニコリと微笑んだ。
この時、ベラルの中にある計画が浮かんでいる。しかし慎重に事を運ばなければいけない。露見すればアスラのようにされてしまう。計画の遂行のためであるならばアスラの力をこちらの思惑の中に加えなければいけない。
「――――…………わたくしは、神に愛されるためならば闇の聖女にもなりましょう」
魔王因子を己の身に取り込み、敬愛する神にその身の全てを捧げた女性は神に等しい力を手に入れていた。




