第 七百三 話 留める戦局
「状況がよく飲み込めないのだが、貴様を倒せばいいということだけはわかる」
じりッと地面を踏み躙るラウル。
「いくわよ!」
「おうっ!」
ヘレンの掛け声と同時にラウルとヘレンが弾けるようにして突進する。
「凄まじい速さ。恐れ入りますわぁ」
ベラルの魔法によって地面から形成されるのは戦端を鋭くさせたいくつもの小さな土槍。
それが際限なくラウルとヘレンへと襲い掛かった。
「かつて閃光とも呼ばれた私の速さを舐めないでよね」
手数で勝っているのはラウルとヘレンの方。常人ではとても目で追えない速度の剣戟を繰り出しながら前進していく。
「クーナ!」
「任せて!」
後方援護に控えていたクーナは既に魔力を練り上げていた。
「自然の恵みよ。一迅の風となりて彼の者に聖なる恩恵を与えたまえ」
クーナを中心にして巻き起こる旋風。
「風の加護」
薄緑の光を放つ木の葉を生み出すと、呼応するようにしてラウルとヘレンが薄緑の光を纏う。
「あれは!?」
戦況を見届けていたレインが大きく声を発した。
「さすが里長。あれだけの速さで行使できるのだものね」
「ってぇと?」
「聖なる加護のひとつよレイン。見て」
指差すナナシーの先には、驚異的な速度で動き回っていたラウルとヘレンのその速度が更に増している。
「す、すげぇ……」
思わず呆ける程。
数え切れない程の魔法がある中で特殊とも言えるのが【加護】。属性を付与させる魔法剣と類似している部分はあるのだが、クーナが行使した【風の加護】は対象の速度を飛躍的に向上させるというもの。
「お前にしてもそうだけどよぉ、あんなのがあればめちゃくちゃ便利だな」
「え、ええ。そうですわね」
満面のレインに対してマリンは僅かに唇を噛みしめる。マリンの固有能力の【寵愛】にしても同じなのだと。
「何を言ってるのよ。マリンさんのはもっと特別よ」
「「え?」」
「里長のはただ速さを上げているだけ。けれどもマリンさんのは全てを向上させているわ」
「そんなに違うか?」
「全然違うわよ」
小首を傾げるレインに溜息を吐くナナシー。
「考えてもみて。速さが上がるだけで身体的には強化されていないのよ」
「十分だろ?」
未だに理解しないレインに対して、マリンはナナシーの言葉が腑に落ちた。
「へぇ。やるじゃないエルフ」
小さく口角を上げる。
「まだわからないのね。じゃあこれならどう?」
指差す先はラウルとヘレンに向けて。
「速度が飛躍的に上がったものの、身体的に強化されていない状態であの二人は戦っているわ」
「お、おぅ」
「で、そのまま壁に衝突すれば? 当然衝撃は通常の比ではないわね」
「ま、まぁ」
「それに、相手がただ振り切った剣に少しでも触れれば?」
「あっ……――」
レインはようやくそこでナナシーの言葉の意味に気付く。
「――……ダメージが倍じゃすまねぇ」
「そのとおりよ」
想像しただけで恐ろしい。闘気で強化されているからこそ真剣であってもある程度は受け止められる。それが出来ない程の威力が、向上した速度で意図せず生み出されるのだと。
「でも本当に恐ろしいのはそんなことじゃないわ。あの人たちの方が恐ろしいわよ」
「…………」
「あの人たち、自分の限界を超えた速度で動き回って、それを制御しているということなのよ。見事という他ないわ」
仲間内であるから加護を受けるのは初めての体験ではないのかもしれないが、それでも普段扱わない速度であることに違いはない。それを事も無げにこなしている様にレインは呆気に取られた。
「だからマリンさんのあの魔法はそれだけ凄いということなのよ。わかった? レイン」
「……確かに、そう言われると確かにそうだな。マリンのはとんでもなかったんだな」
「ええ」
「よく言ったわエルフっ!」
ガシッとナナシーの両肩を掴むマリン。
「え?」
「ちゃんとわかってるじゃない! わたくしの偉大さを!」
「え? え?」
「あなたは嫌な子だと思っていましたけど、実はとっても良い子だったのですわね! 褒めてあげますわ」
「え? はぁ……どうも」
ペコリと小さく頭を下げるナナシー。
その一連の様子を見ていたサナは息を吐く。
(……マリンさんって、結構単純なのかもしれないなぁ)
目に映るその様子は正に有頂天。先程の言葉にどれだけ気をよくしているのか。
「サナ。気付いてる?」
「え? カレンさん?」
ジッと戦況を見届けているカレンの表情は真剣そのもの。
「気付いてるって…………」
圧倒的に優勢なのはラウル達の方。ベラルによる土魔法は絶えず繰り出され、守勢に回っているベラルが時には防御するために土壁も生み出すのだがすぐさま破壊される始末。
「兄さん達があれだけ本気で仕掛けているというのに、ダメージが入っているように見えないわ」
「……そういえばそうですね」
劣勢になっているはずだというのに、未だに余裕が見えるベラルの様子。その不気味さには寒気を覚えた。
(それにしても、あの人はどうして動かないの?)
そこでふと気になったのは光の聖女アスラ・リリー・ライラックがどうしているのかということ。
首を振り遠目に見えるそこには、両手を地面に着き今すぐにも倒れ伏しそうになっているアスラの姿と、取り囲むように第一聖騎士と第二聖騎士、それにシンとジェイドの姿もあった。
「おいおい、突然倒れてどうしたってんだ?」
荒い息を吐いているアスラに近付くシンは、独特な反りを見せる極東の【刀】と呼ばれる武具で肩をトントンと叩いている。
「アスラ様のことは貴様には関係ない」
「この期に及んでまだんなこと言ってんのかよ」
「どけシン。戦意を失くしている今であれば殺れる」
グッと槍を構えるジェイド。
「おいおい待て待て。戦えねぇ奴に無理にトドメを刺す必要もねぇだろ」
「ある。ここでトドメを刺しておかねば、いつ背中から襲われるともしれぬのだ」
「んなこと言ったってよぉ…………」
チラリと見るアスラは明らかに様子がおかしい。
(ん?)
僅かに顔を上げたそこに見えた表情にシンは違和感を覚えた。
「おい。もしかしてお前、そっちの目も見えなくなったのか?」
目が虚ろとでも言えばいいのか、先程まで見せていた輝きを持ち合わせていない。
「え、ええ。その通りです」
「いったいなんだってそんな」
「全ては、必要な犠牲なのです」
第一聖騎士リンガード・ハートフィリアに支えてもらいながら立ち上がるアスラ。
「そこの戦士」
目の焦点が合っていない顔を向ける先はジェイドへ。
「私を殺したければ、あとでいくらでも殺されてあげましょう」
「アスラ様!」
「ほぅ。つまり、今ではない、と?」
「その通りです。今は成さねばならないことがあります。そこを通して頂けませんか?」
「…………」
僅かに思案するジェイド。
シンの見解通り、目が見えている様子がない。それに憔悴しきっている様子からして、これ以上戦えるとはとても思えない。
「……わかった。だが妙な真似をすればすぐに殺す」
「構いません。お好きになさってください」
そうして聖騎士二人を伴いながら、アスラは戦況を見届けているヨハン達の下へ歩いて行く。
そのヨハンはモニカとエレナの肩を借りながら戦況を見定めていた。
(あれは、闇の衣?)
人魔戦争時代にも見た特異な力。ダメージを通さなかった技法、魔族ガルアー二・マゼンダがその使い手であり、物理攻撃を純粋に遮断するというもの。
恐らくそれに近しい事柄なのだろうと思うのだが、それであってもあの三人であれば突破できてもおかしくはない。むしろあの三人で突破できないともなれば、それは想定以上の強度を誇っているのだと。




