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第 七百二 話 転結

 

 神都パルスタットの空はまるで当時の人魔戦争と同じような、今にも泣きだしそうな曇天が上空を埋め尽くしている。激しい戦火によって、水の都と称される程の面影はどこにも残されていなかった。


「結局、何がどうなったんだろう?」


 そうヨハンは両膝を地面に着きながら小さく呟くのは、記憶が朧気。覚えはあることにはある。しかしまるで夢でも見ていたような感覚。そして魔力はもう底を尽いていた。


「でも、終わったんだ」


 見上げる先には巨大な折れた十字架。教皇の間であるその辺り一帯は大きく崩壊している。


「ぐぅっ……くっ……神に等シい力を手ニ入れたのだ…………」


 その十字架の真下、地面に倒れ伏しているのはゲシュタルク教皇。既にその身体は魔素へ還る灰になりかけていた。


「ヨハン!」

「やりましたわ!」


 モニカとエレナの二人、両隣から力一杯に抱き着かれる。


「ははは、二人も、無事で……よかった」

「ちょ、ちょっとヨハン大丈夫!?」

「これは、相当に参っていますわね」

「うん、流石に疲れたかな。今はゆっくりとしたいよ」

「ええ、存分に休んでくださいませ。もう戦意は完全にありませんわ」


 周囲では全員が動きを止めていた。教皇に力を貸していた光と土の聖女の二人もどうやら教皇が倒されたことを目にしてか戦闘を終えている。


「ふむ。まさかあのような手を用いるとは思いもせんかったわ」

「シルビアさん」


 スッと地面へと降りて来ていた。


「至上の魔法、しかと堪能させてもらった」

「上手くいって良かったです」


 笑みを浮かべるのだが、半分は苦笑い。シルビアとは対照的。

 至上の魔法とは言われるものの、今となっては魔法の真理に辿り着いたとさえ思えたあの感覚が今はない。


(なんだったんだろ……あれ)


 魔王因子――魔王の力を取り込んだゲシュタルク教皇を倒すために用いた究極の魔法とでも呼べばいいのか、もう一度同じことをしろと言われたところで恐らくできない。極限状態故に成功したと考えるのが一番筋は通る。


 かつての人魔戦争でシグが用いた魔法の応用。あれだけの力であっても倒しきることはできずに封印することで精一杯だった。今回に至っては封印しようにもそのための封魔石がない。


「……私は神に並ぶこトが許されナかったとイうのか」


 小さな呟きが耳に入って来る中、ゲシュタルク教皇の身体は刻々と消滅へと向っていた。

 その教皇の姿に視線を送りながら、先程の会話を思い出す。


『ぐっ、ぐはっ……』

『どうして、こんなことを?』


 四つの光の柱で捉えた時の問いかけ。宗教国家の実質トップとも言えるべき立場の人物がどうしてこのような凶行に及んだのか、どうしても聞きたかった。


『どうして、だと?』


 苦悶の表情を浮かべながらも、ゲシュタルク教皇は僅かに口角を上げる。


『……知れた、ことよ。私は教皇とはいえ、所詮人間。僅か数十年で寿命を終える、人間などというそのような小さき存在、神と比較すれば矮小な小者にすぎぬ。ならば尤も神に近付くためにはどうすればいいのか貴様にはわかるか?』

『神に近付く?』

『ふはは。貴様のような者には一生かけてもわからんだろうな。神に近付く、神の如き存在へと昇華するということは、それはつまり人間を超越するということだ』

『本気で言っているのか?』

『無論だ。魔族などという魔物の上位互換では人間はやめたところで人間を超越したことにはならん。であればどうすれば人間という種を超越することができる? 答えは、言わなくともわかるだろう? そのためには魔王にでもなろう』

『本当に、本当に……――』


 何を言っているのか到底理解できない。これが本気の言葉なのだろうかと疑いたくなるのだが、ここに至るまでの惨状と、教皇の目をみる限り信じざるを得なかった。


『――……それだけのためにこれだけのことを?』

『左様。貴様にとってはそれだけだろうが、私にとってはこれ以上のものはない。結果どれだけの人間が死のうが、信者が巻き込まれようが、獣人だろうと人間だろうと関係のない話だ』


 これまでに見たどの人間よりも悪意が剥き出し。いや、当の本人はそれを悪意として捉えている様子すらない。


『貴様もわかっておるのではないのか? 人外の存在への羨望はこれまで幾度も行われて来たということを』

『…………それは』


 魔族の存在がその最たるもの。今では数を減らしたとはいえ魔族への転生――種としての概念ではない歪な存在。


『クズですわね』

『でも、私はなんか複雑だなぁ』

『何を言っていますの。結果としてわたくし達は今こうして生きていますけど、死にかけたのですわよ』

『それはそうだけど、でも、あの人がこんなことを起こさないと私の中でアレは覚醒していたわ』


 間違いなく、と断言できるモニカは意識を失っている間に襲われていたあの感覚。恐怖でしかない負の感情に苛まれていたのだが、同時に自分ではない何か――魔王因子が反応を示していたのをはっきりと感じられていた。

 それは自身をも呑み込もうとしているのだと。スレイと同調したからこそあのままでは自分もスレイのようになっていたのだと、思い返すだけで身震いする。


『…………』


 いくつもの事情が複雑に絡み合っているとはいえ、素直に喜べない。

 周囲に目を送るモニカは、倒壊した建物の惨状を目にして、これらの事態を招いてしまったのではないかという責任感に圧し潰されそうになった。


『大丈夫ですわモニカ。あなたが気にすることはありませんの』

『……うん』


 そうしてヨハンと会話を交わすゲシュタルク教皇へと顔を向ける。


『しかし私は満足だ。結果として私はこうして神に近付くことができたのだからな』

『本当に、救われないみたいだね』

『それは違う。私は既に救われたのだよ。満たされている。この満足感を貴様にも味わって欲しいのだが』

『……そう。もう僕から話すことは何もないよ。だから、これで終わりにしよう』


 ここまでの長い戦い。再興を図らなければならないのでこれで終わりではないのだが、それでもここで最低限魔王に関する事柄だけは終わらせる必要があった。


『…………』

『情けをかけるな小僧』

『わかってますシルビアさん。情けなんかじゃありません』


 ただ最後の最期までわからなかっただけ。理解はしているのだが、一切の共感はできない。

 しかしそれでも、結果として先程エレナが口にしたように、モニカが助かることに繋がったのは素直に嬉しい。

 そんな複雑な感情を抱きながら腕を真っ直ぐに伸ばすヨハン。握りしめるようにギュッと指を折り曲げると、その動きに合わせてゲシュタルク教皇の周囲の四色の光の柱が一層の輝きを放つ。


『神よ。今そなたの下へと参ろうではないかッ!』


 両腕を高々と上げるゲシュタルク教皇はその漆黒の翼を焦がしながら光の柱に包まれていった。


「…………――――」


 満ち足りた表情を浮かべるゲシュタルク教皇はその身体を白い灰と化していく。


「なんだかすっきりしないですね」

「うむ。小僧の言わんとしていることはわからんでもないが、今はこれで良いではないか」


 最低限の目的を達成したことが少なからずの成果。


「あら? 終わっちゃってるじゃない?」

「そのようだな」


 遠くから近付いて来る聞き慣れた声。


「はぁ。なんじゃ、今さらのこのこと」


 その場に姿を見せたのは二人の男女。その姿を見るなりシルビアは溜め息を吐く。


「だぁってぇ、ラウルがだらだらしてたからさぁ」

「おいおい、あれだけこき使っておきながらその言い草はないだろう」


 エルフの長であるクーナと剣聖ラウル。


「ラウルさん、クーナさん」


 ヨハンも良く知る二人。

 王都を旅立って以降父やシルビア達とは行動を共にしていただろうことからして、パルストーンのどこかにいる可能性はあるのだろうとは考えていた。


「へっへへぇ。ここに来たのは私たちだけじゃないよ?」

「え?」


 クーナが後方へと顔を向けると、物凄い勢いで飛び込んで来る人影。


「モニカちゃん!」

「お、おかあさん!?」


 ギュッとモニカに抱き着く黒髪の女性。モニカの母であるヘレン。


「おそくなってごめんね! ごめんねモニカ!」

「い、いいってお母さん。それよりなんで?」


 突然の母の登場にモニカは驚きを隠せない。


「で!? 大丈夫なの!? どこかおかしくなってない!?」

「ちょ、お、おかあさんってば!」


 ペタペタとモニカの身体を触るヘレン。抵抗できないモニカはされるがまま。


「もうっ! いい加減にしてッ!」


 突き飛ばそうと両腕を押し出すのだが、ヘレンは軽やかに後方宙返りをする。


「っと、その様子だと本当に大丈夫そうね」

「大丈夫に決まってるじゃない!」

「そっかぁ。よかったぁ」

「だからあとで詳しく話すから。本当に大丈夫だと思う。たぶん、だけど…………」


 そのままモニカが視線を向ける先は、ゲシュタルク教皇が倒れた場所へ。


「私の……――」


 掴むようにして手の平を胸に押し当てた。


「――……ここにあったあの、魔王の存在は、もう、なくなってるから」


 感覚的なことでしかないのだが、恐らく、間違いなく。

 この国に来てからどうにも増幅するような奇妙な感覚を抱いていたのだが、それも今は全くない。


「だから、安心して。お母さん」


 目の前で不安そうにしている母に向けて笑顔を送る。


「よ、かった……ほんとうによかった」


 へたへたとその場に座り込むヘレン。


「おかあ、さん…………」


 母の顔を見て安堵の表情を浮かべるモニカなのだが、次の瞬間に尋常ではない寒気が襲い掛かった。


「ま――」


 まだ終わっていないのだと声を発しようとした瞬間、パンパンと乾いた音が響き渡る。


「あらあらぁ、素晴らしいですわ皆さまぁ」


 大きく手を叩いているのは土の聖女ベラル・マリア・アストロス。満面の笑みを浮かべていた。


「なんじゃ。まだやるというのか?」

「いえいえぇ、お互い疲労が蓄積している中、そのような増援が来たとなっては私だけではさすがに手に負えませんわぁ」


 口調とは異なる鋭い視線をラウルとクーナとヘレンに向けるベラル。


(まさかこれだけの者が集結することになるとは)


 気配で察せられる強者。駆け付けた三人も無傷ではない。いくらか消耗しているように見える。だがそれでも自分一人ではとても太刀打ちできないという見解。


「アスラ」

「はっ!」


 声を発すると同時にラウル達の頭上より降り注ぐのは大量の光の粒。


「流星群」


 錫杖を高々と掲げる光の聖女アスラ。


「ぐっ!」


 突然の魔法の発動に全員が防御姿勢を取る。いつの間にか教皇の間よりもさらに上方にて展開されていた魔法。


「まずいわ!」


 即座に巨大な魔法障壁をその場へ張るクーナ。押し倒すようにしてモニカへ覆いかぶさるヘレン。辺り一帯にけたたましい音が響き渡り、激しい土煙を上げる。


「ラウルさん!」


 土煙が晴れるよりも先、ヨハンが踏み込むよりも早くベラルへと飛び出したのは剣聖ラウル。


「なに?」


 しかしその剣がベラルへと届くことはなく、まるで何かに阻まれるようにしてその剣はベラルの首の手前で止まっていた。


「お前……――」

「あらあらぁ、怖いですわぁ」


 余裕綽々で頬へ手の平を送るベラル。


「――……この魔法、ただの結界ではないな? 何をした?」

「まぁったくぅ。一切の遠慮がない剣ですものぉ。ほぉんとうに、こわいこわい」

「ぐっ!」


 ベラル自身を取り囲むようにして、一瞬で黒い膜が包み込む。ラウルがバチンとその場から弾き出された。


「そ、そんな……まさか…………」


 突然の衝撃にガタガタと歯を鳴らすモニカ。驚愕するしかない。


「モニカ? どうしたっていうのよ」

「お、お母さん、あ、あれ、魔王の力よ」

「え? だって魔王は」


 ヘレンが疑問に思うのも無理はない。つい先程終わったと聞かされたばかり。それがまだ終わっていないのだと。


「だったら!」


 しかし瞬時に思考を切り替えるヘレンは臨戦態勢に入る。それは他の面々にしても同じ。


「僕も」

「お前は下がっていろ。十分によくやった」

「でも」

「俺達が信用できないか?」


 呆れるように声を放つラウル。この光景は二度目。かつてカサンド帝国でも似たような光景があった。


「……いえ、ではお任せします」


 頼りにならないはずがない。自分達の力を過信するわけではないが、それでもこの人たちで云えばそれ以上。得て来た経験で云えば段違い。英雄と同列に目される剣の師である剣聖ラウル。


「えー? せっかく楽できたと思ったのにぃ」


 ただでさえ巨大な魔力を有するエルフ族。その長であるクーナ。


「さってと、ここは景気良くいきましょうか。モニカちゃんのためにもね」


 パシッと拳と手の平を合わせるヘレン。以前手合せした時は全く歯が立たなかった。

 これだけの面々が来てくれたのだから。


「では、お願いします。僕は、ちょっとだけ休ませてもらいます」


 安堵を滲ませると、どっと疲労が押し寄せて来た。

 疲労困憊、満身創痍の身体を後ろに倒したところでエレナに抱き留められる。


「大丈夫ですの?」

「うん。ありがとうエレナ」

「いえ、これもわたくしの務めですもの」

「え?」

「今はわたくしの胸の中で休んでいてくださいませ」

「え? あ、ありがとう」


 言葉の意図が理解できない中、ラウル達はゆっくりと歩を進めていた。


「ようやく、この時が来ましたわぁ」


 それらの様子を意にも介さず宙へと浮く土の聖女ベラル・マリア・アストロス。



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