第六百九十三話 可能性
教皇の間、その場が大きく地響きを上げる。
「チッ」
小さく舌打ちするシン。目線を左右に動かせるのは、壁から生まれた巨大な石像が二体動いていた。
「どうやらベラルの能力のようだな。まだ戦えるか? シン」
グッと力強く槍を握るジェイドは、見下ろすようにシンへと問い掛ける。
「へっ」
問い掛けに対してシンは小さく笑みを浮かべながらゆっくりと立ち上がった。
「まだまだこのぐらい余裕だっての。お前とやり合った時に比べればな」
「……うむ。それもそうだな」
思い出すのはかつての出来事。依頼先で衝突した時に殺し合った二人。ローズとバルトラが止めに入らなければ間違いなくどちらか、又はどちらも、が死んでいた。
「ってかあのデカブツに加えて聖騎士とやらを同時に相手にするのか」
「それぐらいでなければ武を誇ることなどできはしまい」
「ったく、相変わらずだなお前は」
シンとジェイドの二人は、生み出された石像――ベラルが生み出したゴーレムと呼ばれる土人形と一緒に光の聖騎士の二人を相手にすることに決める。
(お前が本当に英雄になるためにはここは乗り越えないといけないぜ)
シンが微かに視線を向けた先にはヨハン。
「さってと。結末を見届ける前に俺も死ねないな」
一方その頃、ギガゴン――巨大翼竜の翼の中。
「……モニカ様とエレナ様は、まだ助けられます」
「おおクリス、目を覚ましたか」
テトの治癒魔法により、なんとか意識を取り戻したクリスティーナなのだが、顔面は蒼白しており、血の気が引いている。
「おねぇちゃんとエレナさんが生きてるってほんと!?」
「これ、まだ無理をさすでない」
「で、でも」
「大丈夫ですテト様」
ゆっくりと身体を起こすクリスティーナ。
「し、しかしだ。お前も相当の深手。これ以上の無理は命に関わる」
「勿論承知しております。ですが、事態はそうもいっていられません」
力強い眼差しをテトへと向けるクリスティーナ。その顔を見ていると、何を言っても無駄だということを悟り、小さく息を吐く。
「だが状況を見るからに、器は魂ごと奪われたのではないのか?」
「いえ、私には感じます。二人の命の鼓動を。確かな脈動を」
どこか確信を抱いているクリスティーナ。とはいえ、テトにはそのような気配は感じられない。しかしクリスティーナの表情を見る限り嘘を言っているようにも見えない。
「ならば早急に手を打たねばならんな」
「はい。間もなく命の灯は消えようとしています」
「だったらどうしたらいいんだよ!?」
「落ち着きなさいレイン! ここで彼女を責めても何にもならないわ」
声を大きく発すマリンなのだが、マリンもまた焦りは否めない。時間がないのは明白。何か手立てがあるのであればすぐにでも実行に移すべき。
(焦ってはダメ。ここでは冷静さが一番大事)
深く息を吸い込み、大きく吐き出す。
「…………」
朧気な意識を必死に保ちながら、思考を巡らせるクリスティーナ。
「可能性があるとすれば、内側からの干渉になります」
「内側からの干渉って?」
「先程私が気を失っている間、確かに聞こえてきたのです。二人の声が」
血を流し、最後の力を振り絞ってベラルの土の牢の魔法式の解析に助力していたクリスティーナ。聞こえたと言っても、幻聴とも捉えられかねない。
「なんか聞こえたか?」
「ううん。私はなんにも」
「……私も、特には」
確認する様に問いかけるレインなのだが、ナナシーとサナにしても同様。
「で、それにはどうすればいいのかしら?」
しかし真偽の確認などマリンにはどうでもよかった。助けるためにはもうクリスティーナの感覚に縋るしかない。
「私の血を使います」
「無茶を言うでない! それ以上血を流したら死ぬぞ!」
「ですがテト様。魔力を含めた血を用いるには、私自身の血を使うのが確実なのです」
「ぅ、むぅ……」
テトにはその言葉の意味はしっかりと理解できている。血は水の聖女にとって扱い易く、かつ魔力の濃度で云えばこれ以上適するものはない。
だがテトが懸念しているのは、治癒魔法では血を生み出すことはできない。ある程度自然治癒力の向上により造血作用の促進を行える程度であり、失った血はすぐには戻らない。
「私の命など、惜しくもありません。今はあの方たちを止めることが何よりも最優先。そして、そのためにモニカ様とエレナ様が犠牲になる必要はないのです。犠牲が必要であるのであれば、それは本来聖女である私たちなのではないのですか?」
逸らす事のない眼差しを受け止めるテト。何度目ともなる小さな息を吐く。
「決意は固いようじゃな。わかった。ならば私も出来るだけの力を貸そう」
「ありがとうございます。テト様」
クリスティーナの術の負担を少しでも軽くするための補助を務めるテト。老いたとはいえ、それらの技術に関しては若者に後れを取るつもりはない。
「ねぇねぇ?」
最中、不意にニーナの言葉が差し込まれた。
「おいおい、どうかしたのか?」
「あっ、ううん。ちょっと質問なんだけど、さっきの話だと、魔力が強い血があればいいんだよね?」
「確かにそうですが、それがどうかしましたの?」
「えっと、それってさ、あたしの血じゃダメなの? ほら、あたし竜人族だからさ、血自体に相当な魔力があると思うんだよね」
突然の提案に全員が目を丸くさせる。
「た、確かにニーナさんの魔力量は相当に多いと思いますし、その可能性は十分にあるかと思います。ですがこれにはかなりの量の血を要します」
伴って、確実かと言われると正直微妙なところ。
「まぁ、その辺は覚悟してるし?」
「簡単に言いますね」
あっけらかんと言い放つ様には呆れてしまう。
「でさ、あとはマリンさんのあの力を使えばいいんじゃないの?」
「え? あの力とは?」
他者の能力を劇的に向上させるマリンの固有能力である【寵愛】。
「なるほどな。で、どうなんだ? 俺としては手段を選んでらんねぇんだけどよぉ」
不安気な眼差しを向けるレインに対して、そっと頬へ手の平を当てる。
「うふふ。わたくしの力がそんなに信用できませんの?」
「べ、別に信用してないとかそんなんじゃねぇし! お前の力は俺が一番知ってんだからよ!」
「あら嬉しいですわね」
「お、俺が聞きたかったんはそれでモニカとエレナを助けられるのかってことなんだよ」
「……それに関しましては必ず、と言いたいところですが、最大限に善処しますわ」
柔らかな笑みから、すぐさま真剣な表情へと移り変わるマリン。
「本当なら不確定なことは織り込めないのですがあなた方のことです。言われていることは相当な力なのでしょう」
であれば、テトの補助を受けられることで血の操作だけに集中できるクリスティーナとしてはそれほど分の悪い賭けでもない。
「わかりました。今は確認している時間がありませんので、あとのことはお任せします」
「じゃあ決まりだね。ギガゴン、こっちは頼んだからね」
「仕方あるまイ。どのみちこのままであれば全滅なのダ」
左の手の平を通して翼に流し込んでいた魔力。スッと手の平を離すニーナはすぐさま指を真っ直ぐに伸ばすと勢いよく自身の右肩を貫いた。
サナはニーナのその余りにも躊躇のなさと痛々しさに思わず片目を瞑る。
「っつぅ……ったぁぁ」
ボトボトと流れ落ちる血。それがクリスティーナの足下に流れ落ちた。
「贈られる寵愛」
すぐさま能力を行使するマリン。細い光の糸がクリスティーナとニーナへ伸びる。
「マリンさん?」
「黙っていなさい。いくら肉体的に頑強とはいえそれだけの負傷。わたくしがそれ以上傷つかない様にしてあげますわ」
「ありがとうマリンさん。レインさんにはもったいないぐらい良い女だね」
「そんなことありませんわ。レインはわたくしに相応しい、とても素晴らしい方ですもの」
「な、なに言ってんだテメェ!」
慌てふためくレインはチラリとナナシーへと視線を向ける。
「ほんと仲良いわね」
「人間は絆の深さはちょっとしたことで変わるものなのだな」
ナナシーとサイバル――二人のエルフは関係性が著しく変化しているその相関を不思議に見ていた。




