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第六百九十二話 魂の分離

 

「……シルビアさん」

「ああ。お主の考えておる通りじゃろうな」


 混乱する頭の中なのだが、どこか冷静に状況を見られている。


「くそっ」


 先程のアスラの言葉からして、ゲシュタルク教皇がモニカの中にある魔王の力をその身に取り込んでいるのだと。肌に突き刺すような悍ましい気配。


「一つだけ答えろ」


 宙に浮く異形と化したゲシュタルクを睨み付けるようにして問いかける。


「よかろう。貴様たちのこれまでの貢献、その褒美にどのような質問であっても答えてやろう」


 悠々とした態度を見せるその姿に嫌悪感を示しながら、ヨハンは問いかける内容がそうあって欲しいと願いながらゆっくりと口を開いた。


「エレナと…………モニカは、まだ生きているのか?」


 問いかけを受けたゲシュタルクは、僅かに眉を寄せるようにして疑問符を浮かべるのだが、次にはその表情は笑みへと変わる。


「ふむ。所詮貴様は子供だということだな。どれだけ優秀であろうとも、英雄視されようとも、このような事態に見舞われながら仲間の安否を気遣うとは」

「いいから答えろッ!」


 怒声を発するヨハンの姿。その場にいるヨハンを知るすべての者がその言葉に動きを止めてしまっていた。これ程までに怒りを露わにしている姿など、見たことがない。


「……ヨハン」


 小さく肩を震わせているヨハンを、カレンはその後ろ姿を捉えながら拳をギュッと握りしめる。


「……お兄ちゃん」


 巨大な翼竜――ギガゴンの中に包まれているニーナもまた大きな葛藤を抱いていた。ヨハンが怒りだけでなく、悲しみに打ちひしがれているのは、力不足な自分を嘆いているのだと。それはニーナ自身も感じ取っている事。


「気を抜くナ」

「……わかってるよ」


 持ち得る魔力をギガゴンへと送る。土の牢を抜けてから魔力の供給をギガゴンに行っていた。そうでなければいくら途轍もない硬度を誇るギガゴンの体皮であろうとも幾度もの攻撃を耐えうることなどできない。


「はぁ……はぁ……」

「くっ……」

「ウチらでさえ時間稼ぎにしかならないとは」


 ミモザとアリエルとバニシュが対峙していたのは魔族ガルアーニと土の聖女ベラル。万全の状態であればまだ戦いようはあったのだが、押し込まれてしまっている。


「教皇様。お戯れも程ほどに」


 微かにヨハンを視界に捉えるアスラは、変わらない態度のままゲシュタルクへと声を掛けた。


「……まぁよい。貴様の問いに答えてやろう。残念だが、そこにいる器となった小娘はもはや抜け殻だ。まだ微かに息をしているようだが、それもそう長くはもつまい」


 悪い予感が的中する。生気を失っているモニカの姿が、ゲシュタルクの言葉が事実なのだと突き付けられた。


「なら……エレナはどういうことなんだ?」


 わからないのはエレナまでも同じような状態になっているということ。器となっているのはモニカに間違いない。エレナがどう関係しているのか。


「確かに貴様の言う通り、魔王の器となっているのはそこの剣士の少女だったのだが、魂の片割れがいたことで魔王の力を私へ移植することに成功したのだ」

「何を、言っているんだ?」


 言葉の意味が理解できないのだが、隣に立つシルビアは目を細める。


「なるほど。魂の分離じゃな」

「シルビアさん?」

「その通りです」


 アスラが微笑みながら肯定した。


「魂の分離って」

「つまりじゃ小僧。奴らは禁忌の術を用いたということじゃ。小僧も耳にした事があるかもしれんが」


 禁忌の術。人道を外れた術というのが一般的な認識。以前戦ったシトラスが娘のサリナスを蘇らせるために行っていた人体実験もその中に分類される。

 それらの術の中には、魂に作用させるものがあった。成功例はないとのことなのだが、不死の術や輪廻転生といった術。魂なるものが証明されればそれらは可能なのだと文献では記されていた。

 冒険者学校の授業でも知識として触れているのだが、ただしそのようなモノは存在しないのだと。又、仮に存在したとしても人間の手に負えるものではないそれこそ神の領域の如き所業になるのだと教えられている。


「禁忌など、それは貴様ら人間が勝手に決めた事よ」


 影から姿を見せるガルアーニ。既にミモザたちの前から姿を消していた。


「ええ。神の御心に添うことができればそれは禁忌などではありません」


 光の聖女アスラ・リリー・ライラックの言葉に耳を疑う。


「……あなたは魔王が神なのだというのですか?」


 かつての人魔戦争に於いて、後に光の聖女となるミリア――この神殿にその名を冠した程の人物。最高位であるその位の後継者が発するとはとても思えない言葉。


「神の声が聞こえるのではなかったのですか?」


 以前クリスティーナが言っていた光の聖女アスラの存在。クリスティーナもいつかその神の声を自身で聞きたいのだという夢を語ってくれていた。


「神と魔王は表裏一体。人智を超えた存在に他ならないそれは神に等しいのです」

「詭弁じゃな」


 魔力を大きく開放するシルビア。シルビアを中心としてその場に突風が巻き起こる。尋常ならざる魔力量。


「シルビアさん!?」

「覚悟を決めろ小僧。もはやローファスの娘たちは助からん」

「け、けど……」

「魂の分離を外から無理やり行われたのだ。今のワシらの力では助ける術はない」

「でも」

「いい加減にせいッ! ワシらまでここで敗れれば世界が終わると思えッ! ならばそ奴らの犠牲すら無駄になるぞッ!」


 空気が振動する程のシルビアの怒号。無意識なのか、意識的なのか、振動に魔力が含まれていることが感じられる。


(…………くっ!)


 シルビアの言葉が理解できないわけでもない。ここで自分たちが負けるわけにはいかない。そうなれば何十万人もの人たちが苦しみ、叫び、命を失っていく。


(でも、僕は……)


 それでも捨てきれない希望。

 助けることができるのであれば何を失っても助けたいと願う矛盾。

 仲間の命と世界の命運を天秤に掛けてしまっていた。



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