第六百八十八話 憎悪の先
「――……すごい」
動き回るヨハンは卓越した二人の動きに感心せずにはいられない。
「ふんっ」
周辺、幾重にも張り巡らされた影の手【魔手】をことごとく撃ち落としていくシルビア。
「ぬんっ!」
ゴンザが繰り出す黒の刃は不規則に生じる渦の中から襲い掛かって来ているのだが、ジェイドは槍を高速に突き出すことで見事に相殺していた。
「だッ!」
その間隙を縫ってゴンザの懐に飛び込み、驚愕に目を見開く中で、大きく剣を横薙ぎに振るう。
「ぐはっ」
後方に弾け飛ぶゴンザに向けて追撃を仕掛ける。
「の、やろうッ!」
中・遠距離攻撃である刃を飛ばす隙は与えない。ゴンザは鎌を振るうのみ。
鎌の下に滑り込むようにして潜り込み、剣に闘気を流し込みながら振り上げる。
「浅かった」
顔を逸らすゴンザの頬を裂くのだが、すぐさま傷口が塞がっていった。
「もう負けを認めるんだゴンザ」
「……くっくっく。あーっはっはっはっは!」
「なにが可笑しい?」
額に手を当て、高笑いを浮かべるゴンザ。
「いやなに。お前が思いの外本気で殺りに来てくれたのが嬉しくてよぉ」
指の隙間から覗き込むようにしてヨハンを見た。
「……ゴンザ」
小さく呟くヨハンは目が合うゴンザのその赤い眼球に狂気を見る。
「そうだね。もう遠慮はしないよ」
先程の一撃にしても、今は手を抜く余裕などない。
横目に教皇の間が映されている様子を捉えながらゆっくりと剣を構えた。
「オレとしても本気のお前を殺さねぇと気が済まなかったからよ」
「これで終わりにしよう」
互いに構えを取る。
「ぬんっ!」
ヨハンの背後から襲い掛かるガルアー二の瘴気の髑髏。
「旋風」
素早くジェイドがヨハンの背後に回り槍を旋回させると、髑髏は霧散する。
「因縁の相手にはお前自身で決着を付けるといい。こっちは任せろ」
「そやつの言う通りじゃ。その間にこちらも片を付けよう」
「ありがとうございますジェイドさん。シルビアさん」
即座に魔力を練り上げるのだが、同時に考えるのはこれまでのゴンザの動き。
以前のゴンザよりも劇的に強さを向上させたことは勿論なのだが、魔族としての魔力操作と特異性。自然治癒力なのか、傷を負わせても多少の傷であればすぐさま塞がっていく。
「だったら」
回復が追い付かない一撃を放つしかない。
しかし魔法を繰り出しながら剣技に繋げるなどということは至極困難を要する。
『お前の父は魔法などなくとも一撃必殺を持っていたからな』
かつてのラウルの言葉。再会した父アトムが垣間見せた本気の片鱗。最上の頂にいるその父の構えから受ける威圧感は今思い出しても寒気を抱いた。
「やるしかない」
だが同じことをする必要はない。
『あなたは本当に魔法を上手に扱うわね』
幼い頃の母エリザの言葉。嬉しそうな母の表情を思い出す。
「何をするつもりだ?」
ゴンザがヨハンの様子の変化を訝し気に見ていた。
(大丈夫。前より随分と楽だな)
異なる属性の同時使用は身体に膨大な負荷をかけるのだが、これまでに比べれば幾分か負担は軽減している。
「ほぅ。小僧め、一段と腕を磨きおったな」
シルビアも感嘆するほど。以前目にしたヨハンとアトムの模擬戦では四つの属性の魔法を扱っていることに感心したものなのだが、その時は豪快さのみ。
しかし今は豪快さの中に含まれる繊細さ。相反する性質を見事に共存させていた。
「なんだろう」
どこか不思議な安らぎ。思っていたほど以上に負担が少なく済んでいる。以前にも感じたことのある感覚なのだが、いつのことだったか、随分と前に感じたような感覚。
「いくよ」
しかし今はそのようなことに考えを巡らせている時間はない。
「だっ!」
すぐさま最大の速度を以てゴンザへと向かった。
これまで以上の速度による踏み込みによりゴンザは守勢に回る。
「このやろうっ!」
「遅いよ」
魔法の中で最速は風魔法。自身を加速する様にして風の加護を得た。
『ヨハンって、自然に愛されてるよね』
『そう?』
ふと庭の手入れをしていた時のナナシーの言葉。花を愛でながらぽつりと小さく呟いている。
『でもエルフの人達みたいに植物は操れないよ?』
『そんなことまでされたらエルフの立場なくなっちゃうじゃない。そうじゃなくて、なんていうのかなぁ、マナが愛していると言ったらいいのかな? とにかく、そう感じるのよ』
『よくわかんないけど、好かれているなら嬉しいよね』
振り切られるゴンザの鎌はヨハンを捉えていた。
「なっ!?」
だがヨハンが避けるでもなく不自然な動きで鎌がヨハンを避ける。
「なにしやがったてめぇ!?」
鎌を振るったゴンザが一番不思議に思っていた。まるで見えない何かに邪魔をされたかのよう。
「あの小僧。風を味方に付けたか」
エルフの長であるクーナや元S級冒険者ミモザが見せてくれた風の加護。空気を圧縮させ重量感を生み出すこともあれば地蜥蜴の負担を減らすために風の膜を張るなど、その繊細な扱い。
それらを応用して、振り切られる鎌の前に空気膜を張り巡らせていた。
「チッ!」
明らかに劣勢に立たされるゴンザ。ヨハンの剣戟の鋭さに追い付いていない。
「なろぉっ!」
爆発するかのようにして自身の周囲を円形に黒炎を立ち昇らせる。
「ふッ!」
その動きに対して、剣へ魔力――氷属性を付与させて剣閃の要領で大きく横薙ぎに剣を振るった。
「アレほどの力が?」
「凄まじいな」
ガルアー二とジェイドが横目に見るその攻防。
立ち昇った黒炎なのだが、ヨハンの服を僅かに焦がしたのみですぐさま炎の氷像と化している。
「な、な、な……」
圧倒的なまでの力量。正直信じられない。黒炎の性質は尽きることのない炎。それが一瞬にして凍らされてしまっていた。
「終わりだよ。ゴンザ」
目が合うゴンザとヨハン。目の前には振り切られる白の剣戟。
(なんて目をしてやがるんだよ)
これだけの力を持ちながら、どうして憐れむような目で見られるのか。
「ごふっ」
強烈な一撃を受けるゴンザは両膝を着く。
「がはっ、ぐぅっ……」
吐血しながら、剣先を向ける憎たらしい少年を睨みつけた。
「そんな警戒しなくたってよぉ、もうオレには力が残ってねぇって」
周囲の空間にはぴしぴしと罅が入り始めている。空間の崩壊。ゴンザ自身が維持することができなくなっている。
「ゴンザ。最後に聞かせてくれないか」
睨みつけられていることは変わりないのだが、戦意を失くしていることは明らか。
剣を下ろしながら問い掛ける。
「どうして僕のことをそれだけ憎んでいたの?」
自分より強い者がいることが許せないとは言われていたが、それだけではないという感覚。
問い掛けた先のゴンザの視線。憎悪の中に含まれる妙な感覚。
「…………テメェに言うことなんかねぇよ」
チリチリと身体の先端から黒く散り始めていた。
「オレがどうしてこれだけテメェを殺したかったのかなんてのは、テメェ自身で考えろよ。じゃあな」
言い終えると、顔を俯かせたゴンザは前のめりに力なく倒れる。
「終わったようだな」
「どうやら。奴は複製体のようだな」
「…………」
辺りを見ると、ガルアー二・マゼンダの姿はなかった。
シルビアとジェイドによって倒すことに成功していたのだが、教皇の間にも依然とガルアー二・マゼンダの姿がある。
(さよなら、ゴンザ)
最後の言葉の意味は理解できなかったのだが、なんとなく憎しみだけではないのだろうという見解を抱いた。
でなければ、最後に顔を俯かせる直前に見せた笑みの理由がわからない。本当に憎しみだけであれば、怨念を抱きながら倒れるはず。
「お願いしますシルビアさん」
「うむ」
シルビアによって空間から脱出する。罅割れた先から飛び出していった。
そうして次に目にしたのは、崩壊した教皇の間。




