第六百八十 話 挟撃
「ボルテックス! 奴を追え!」
上方の空へ舞い上がる巨大翼竜を追うカイザス。
「ハッ。どうやら経験が不足していたようだな」
あれだけの巨体で小回りの利く旋回などできようもない。先程カイザス自身が行った後方へ回り込む動きを見様見真似でしようとしているだろうが詰めが甘い。
そもそもそれ以前の問題。
「振り落とされて無様に地面へと落ちるがいい!」
必死にしがみついているニーナの姿。一撃でも加えれば明らかに手を離す勢い。
「もう、ちょっと……」
剣を振り切ろうとするカイザス越しに地面をチラチラと確認するニーナ。
「いまっ!」
ぼこッと地面が隆起するのを確認するのと同時にカイザスは剣を振り切る。
「死ねッ!」
「やーだーよ」
カイザスの攻撃を回避する為にギガゴンの角からバッと手を離すニーナ。
「自ら手を離すとは自殺行為だな」
「へっ、後ろ見てみなよ」
「何を言っている」
空から舞い落ちるニーナから視線を外すことはない。このまま落下させても熟れたトマトが潰れるようにして死ぬことに変わりはないのだが、それだとここまで邪魔されたことに対して気が済まない。
「そんな手に引っ掛かるとでも?」
「見ないとアンタ終わるよ?」
「なに?」
終わりは小娘の方だろうがと思いながらも、どうしてその様な余裕を見せることができるのか気になり思わず視線だけ後方に向けると、とんでもないモノを目にして驚愕に目を見開くカイザス。
「な、なんだアレは!?」
眼下から自身に向けて一直線に迫って来る水の塊。まるで自分達を飲み込もうとする勢いで迫る蛇。
「ぐっ!」
なんとかして回避の為にボルテックスを旋回させなければならない。
「見たところでどっちにしろもう終わってるけどね」
小さく聞こえる少女の声。
「!?」
「やああああッ!」
先程よりも近く聞こえる声。一直線に空から降って来る少女は炎を拳に宿している。
「避けろボルテックス!」
回避するための操舵をするのだがとても間に合わない。
「キシャッ…………――――」
それより先にボルテックスの腹を水蛇が叩き上げた。
カイザスは広大な空の中でその身を放り出される。
「こ、小娘がぁッ!」
一体どういう手を使ったのかわからないが、それどころではない。このままでは自由落下の結果、絶命は免れられない。
「おのれッ……」
ならばせめて全てを台無しにしたこの小娘だけでもこの手で殺してしまわなければ納得できない。睨みつけ、漆黒の剣を振り上げる。
「これでおわりだよっ!」
「なっ!?」
既に眼前に迫って来ているニーナ。目の前にある少女の目、瞬時に黒目が黄色く縦長になっていた。まるで竜の目。
振り上げられるカイザスの漆黒の剣と振り下ろすニーナの拳。
「ぬおおおおおおッ!」
「やああああああっ!」
凄まじい爆発音を伴い空中で衝突する。
「ぐ、ぐぐぐっ」
「はあああああっ!」
徐々にカイザスの剣が押し負け、大きく弾け飛んだ。
「ば、バカなっ!?」
空を舞う漆黒の剣はパキンと音を立てて折れ、粉々に砕け散っている。
「あたしの勝ちだね」
「ごふっ」
笑顔を作るニーナにそのまま顔面を殴打されるカイザスはボルテックスと共に落下していった。
「ふぃぃっ」
同じようにして脱力しながら地面へと向かい落下するニーナ。
「ぎーがごん」
「まったク。無茶をしおル」
ぽすっとその背を受け止められる固い鱗。
落下するニーナをギガゴンが空で受け止めている。
「ありがと。ギガゴンなら助けてくれるって信じてたよ」
「勝手を言ウ」
「嬉しいくせにぃ」
「べ、べつに嬉しくなどなイッ!」
「そっかぁ」
地面に落ちるカイザスとボルテックスが魔素へと還るようにして霧散していく中、空を大きく飛ぶギガゴンの背にうつ伏せになり肘を立てるニーナは笑みを浮かべていた。
「あたしは嬉しいけどねぇ」
「そ、それより娘ヨ」
「娘じゃなくてニーナね。あたしはギガゴンを名前で呼んでいるのだからあたしのことも名前で呼んでよ」
「むぅ。だがお主が勝手に名前ヲつけただけであろウ?」
「だから、ニーナ、だよ?」
「……む、むむぅ……に、ニーナ」
「えへへ」
名を呼ばれ顔を綻ばせるニーナ。
「なぁにギガゴン?」
ギガゴンの背でパタパタと足を動かす。
「いや、倒したのは見事としか言いようはないのだが、アノ魔力ヲ感じ取ったというのカ? よくわかったナ」
あの魔力――ボルテックスの腹を叩き上げた水蛇。
それはサナとカレンによる合同魔法【彲】。
「んー? 勘だけどねぇ」
「勘、などと不確かなものニ頼ったというのカ?」
「だめだった?」
「だめなどとそういう問題ではなク、アレがなければどうするつもりだったのダ?」
「その時は今と同じでギガゴンに受け止めてもらってぇ、そんでまだアイツを倒せていないってだけだよ? で、そっから先は違う方法を考えていたかなぁ?」
「…………なるほド。つまりは考えなしだトいうことカ」
呆れて物も言えない。しかしどうにもその無鉄砲さにはどこか妙な親和性を感じ取る。
「まぁいいじゃん。上手くいったんだし。終わり良ければ全部いいんだよ」
ポンとギガゴンの頭部に手の平を乗せるニーナ。その様子にギガゴンは大きく息を吐いた。
「まぁ良い。それで、他に悪しき者はどれだけいル?」
「え? 悪しき者って魔族のこと?」
「ウム。ワレの巣を破壊し、この国ヲ混沌の渦に引き込んだ元凶ダ」
「えっと、だったら…………」
確実に他にも魔族はいる。
「うーん、と」
しかし魔族は魔力を解放しなければ認識できない。魔眼を駆使して見渡したところ、街中がそれに近しい魔力を宿している者達で溢れ返っているのだが、そのどれもが魔力の規模で云えば大したことはない。低級。
「あれ?」
そんな中、遠くではレオニルがニックとカルーに加え、他にいくらかの翼竜を引き連れ先頭で空を飛んでいた。
「良かった。仲直りしたんだ」
その様子を見る限り、もう心配はいらなさそうだと。
「あっ!」
そうしてレオニル達が飛び立っていた風の塔の奥。そこには気になる場所が見える。
「あっち!」
指差す先はミリア神殿。水の塔。
「あっちにすんごい大きな力を持っている魔族がいるっぽい」
「あそこだナ。承知しタ」
ゆっくりと空を飛んでいたギガゴンがバサッと大きく翼をはためかせ。
「ひゃあっ! うわぁ、ははっ!」
ニーナが指差した場所を確認するなり一直線で飛んでいく。
(やっぱギガゴンは凄いなぁ)
以前乗った翼竜と比較しても比べ物にならない速度。
その背に乗り風を感じるニーナは笑顔を見せていた。
(にしても、つっかれたぁ)
大きく魔力を消耗してしまっている。もうあと何戦もできない。
「とりあえず約束はこれで果たしたし、もういいよね」
レオニルの様子を見る限り護衛の必要性はなさそう。
「あとはお兄ちゃんたちかぁ。上手くやってるかなぁ?」
モニカを助けるために向かっているはずなのだが、今どこで何をしているのか。
「まぁいいや。とりあえず休んどこ」
束の間の休息を堪能するニーナ。
そうして翼竜厩舎で巻き起こった風の部隊、その筆頭聖騎士であるカイザス・ボリアスの反乱が幕を閉じた。




