第六百七十八話 元風の聖女
大きく崩壊している街並みの中で対峙するカイザスとレオニル。
いくら獣人の中でも最上位に位置する獅子王族だとしても、地上と空では戦局的な不利は否めない。
「……はぁ……はぁ……はぁ」
息を切らせて上方を見上げる。
「あなたはよく戦いましたよ。本当に」
漆黒の翼竜に跨るカイザスは空に浮かびながら悠然と剣を掲げた。
「忍びありませんがここで死んで頂きます」
魔力を剣先に集中させると、バチバチと音を立てて黒い魔力が凝縮されていく。
「させないよ!」
「なに!?」
聞こえてくる声に顔を向けると、外壁を飛び越えてくる大きな影。突然の動きに剣を下げて後方に下がるカイザス。
「ニーナさん!」
満身創痍のレオニルの前に降り立つ巨体。巨大な翼竜。
「大丈夫!? レオニルさん!」
「に、ニーナさん、それは!?」
その背に乗るニーナの姿。一体何がどうなっているのか。
「とにかくここから先はあたしとギガゴンに任せて! あいつはあたし達が倒すから!」
「ぎが、ごん?」
「今さらだガ、ワレはギガゴンということになっているのだナ」
「やだった?」
「……いや、構わヌ」
「そっか。ならいいじゃん」
「フンッ」
はにかむニーナに対して憮然とした態度を取るギガゴン。
「チッ!」
「逃がさないでギガゴン!」
距離を取り始めたカイザス。
「無論ダ」
カイザスを追って大きく飛翔した。
「どう、いうことなの?」
その場に置いて行かれるレオニル。
ただ、一つだけはっきりとしていたことがある。
「あの子、嬉しそうだったわ」
あの子――巨大な翼竜。
表面上の態度とは異なり、滲み出ている感情の高揚が感じられた。
「……ふぅ。それにしても、なんとか生き延びれましたね」
もう既に残された力はない。スッと獣化を解くレオニルは荒い息を吐く。
「大丈夫かよ!」
「レオニル!」
その場に降り立つ二頭の翼竜。
「あなたたち、どうして?」
姿を見せたのは退避したはずの聖騎士であるニック・ワーグナーとカルー・ベルベット。
「んなもん決まってんじゃねぇかよ」
「ああ。あんた一人を置いていけないって」
「……二人とも」
「それにニーナの嬢ちゃんも助けねぇとな」
一般兵達を風の塔に避難させたあとに戻って来ている。
「にしてもカイザスの野郎、とんでもねぇことをしやがって! ぶっ殺してやる!」
視線の先には、パルストーン上空で交戦している二頭の翼竜。
「やめとき。あんたじゃ勝たれへんってわかってるやろ」
「チッ! だけどあのヤロウをのさばらしておくっていうのかよ!」
「そんなこと言ってないやろ! けどアンタじゃなんもできひんって!」
現在飛行している速度にしても、二人の知っているカイザスと翼竜の動きではない。明らかに異常。
「やめなさいッ!」
空気を響かせるレオニルの声。
「今はそんなことで言い争っている暇はありません!」
「アンタに言われたくねぇよ」
「すんませんけどレオニルさん。ウチもおんなじだよ。それとこれとは別っすね」
「二人とも何か勘違いしていませんか?」
キッと睨みつけるレオニル・キングスリー。かつての聖女。その態度に思わず怯む二人。
「な、なにを勘違いしてるってんだよ」
「はぁ。こんなことを言わなければならないだなんて、あなたは私やイリーナから何を学んで今の位置にいるのですか?」
「学ぶったって……」
互いに視線を地面へと向ける。
「カイザスの暴虐に関しては彼女に委ねるべきです。彼女、ニーナさん以上の対抗できる戦力が今あるとは私は思いません」
「け、けどよ」
言われていることは理解している。あの誰も背に乗せなかった巨大翼竜がニーナを乗せている。それだけでなく、異常なカイザスの変貌と伴う空中戦に誰も割って入ることはできない。
(ニック……。でも、それがあなたの役割ではありません。見誤ってはいけません)
拳を強く握りしめるニックの様子を視界に捉えるレオニルにはその心情を察するに余りあった。
「あなた達はあなた達が成さなければならないことが他にあるはずです。今は神都が未曽有の危機に瀕しています。今こうしている間にも七族会が攻め込んでいます」
「「…………」」
把握している事態だけでも理解が追い付かない。遠く聞こえる戦闘音。それだけでない把握しきれていない魔族の存在。
この状況で何ができるのか。何を成さなければならないのか。
「わからないのですか? 確かにあなた達風の部隊は現在の聖女であるイリーナを始めとして、カイザスの反乱や、獣人を根絶やしにする思想の影響を受けて状況は絶望的だと言えるでしょう」
「「…………」」
「それどころか、七族会による侵攻を受けて、仮に生き残ったとしても獣人の立場は一層に危ぶまれかねないです」
「……だったら、あんたらに手を貸せっていうのか?」
大半が獣人の血を引く者達で構成されている風の部隊。そうであれば獣人として加勢した方が得策なのではないかと脳裏を過る。
だが、ニックの問いを受けるレオニルは笑みを浮かべた。
「いえ、反対ですよ」
「なに?」
「あなた達は神兵として七族会を迎え撃ちなさい。それが例えどれだけの人間達に批難されようとも、虐げられようとも、侵攻してくる者達を撃退しなさい。そのために私が力を貸しましょう。惜しみなく」
「なっ!?」
「そんなこと言ってええのん!?」
驚愕するニックとカルー。レオニルが七族会の党首であるバンス・キングスリーの娘であることは周知の事実。
「当然でしょう。そもそもあなた達は何を言っているのですか?」
「なにって言ったってよぉ」
「う、うん」
「見当違いも甚だしいですよ。あなた達は使命を忘れたのですか?」
「使命って……」
「そんなの……」
互いに顔を見合わせるニックとカルー。
(獣人との懸け橋)
(人間との共存)
言われなくとも使命を忘れたことなど一度もない。二人の表情を見るレオニルは再び笑みを見せる。
そのまま笑みを潜めると向けるのは真剣な眼差し。
「たとえ聖女が不在であろうと、誰がどのような状況に陥ろうとも、あなた達が務めなければいけない責務はたった一つ。この国を守ること。それ以外はありません。種が異なるということでどれだけ自分達が虐げられようと、蔑まれようとも、次代のためにその身を捧げると誓ったのではありませんか?」
捧げるなどというのは所詮崇高な言い方にしか過ぎない。実際は犠牲。それだというのに笑みを浮かべるレオニルの意図。
言われた事は忘れたわけではないのだが、事態の切迫さによって抜け落ちてしまっていた。
(この人)
最初から不思議に思っていた。
自分達を裏切ったのであれば七族会の侵攻をわざわざ教える必要などない。ただそれも当初は少しでも獣人側の戦力を増強させるために風の部隊を引き入れるための言葉なのかと考えてしまっていたのだが、実際的にはその逆。
(まさか初めからそのつもりで?)
先程の言葉が真実だとすれば、自分達に力を貸すということは一族と敵対するということ。
信じられない。だが、どれだけ信じられなくとも、目の前の光景が真実だと物語っている。これだけボロボロになりながらも風の部隊の為に戦っていたのだから。紛れもない事実。
(この人がこんだけ尽力したんだ)
(ウチらが悩んでいたらだめやな)
後進に示しが付かない。それに改めて冷静に考えてみても、七族会に協力して獣人がこの戦いを勝利することができたとしても、その先はどうなるのか。一時だけの勝利に酔いしれることなどできない。再び人間との関係が悪化するのは目に見えている。
だからこそレオニルはこのような状況に於いても人間の味方をする獣人は必ずいるのだと示さなければならないと言っていた。それが誓い。
(ハッ。わかったぜ)
(ほんま、変わらんねこの人は)
突然退任して、イリーナに任せたことでいくらか恨みはしたもの。
しかしそれにもレオニルなりの想いが込められていたのだと。
(敵わねぇな)
(恐れ入るわ)
現風の聖女であるイリーナとは親交によって繋がっているのだと思っていたのだが、近隣の獣人の最大勢力である七族会の動向を確認していたのだと。
「わかった」
「しゃあないから、ウチの全力を以てして七族会を迎え撃とうやないか」
「ありがとうございます」
ホッと安堵の息を吐くレオニル。
(申し訳ありません二人とも)
戦力として確実に上位に位置する二人の参戦によって確実に更なる獣人の犠牲がでる。それも獣人同士の戦いによって。それを預けてしまうことに対して、二人がどれだけ胸の締め付けられるほどの苦しみを生み出すのか。レオニルにもわからないはずがない
(私にはもうここまでしか)
だがここまでは上手くいっている。本来であれば不要な獣人の争い。しかし未来を見据えるのであれば必要な行い。必要悪。こんなこと父に話していたとすれば確実に猛反対されるのは目に見えていた。
「けどな、こんな厄介なこと頼まれたんだ。だからこっちも条件があんだわ」
「そうやな」
「え? 条件、ですか?」
何かを相談したわけではないのだが、理解し合っているニックとカルー。
一体どのような条件を突き付けられるのか。ただ、全てを犠牲にすると決めている以上、どのような条件であっても受け入れる心構えはレオニルにはできている。
「だったら、だったらあんたが責任を取って俺らの前に立って指揮してくれよ」
「え?」
「そうや。こんだけの事態でウチらの責任にされるのはさすがにかなんって」
「で、ですが、そんなこと」
想定外の提案。
困惑するレオニルに対して、同時に片膝を着くニックとカルー。
「ちょ、ちょっと二人とも」
「獣人の未来の為に、どうすればいいのか俺達を導いてくれ」
「イリーナ様が不在の今、今だけでいいので」
真剣な顔つきをレオニルに向ける。
「「聖女レオニル様!」」
「あっ……――」
かつて向けられた尊敬の念を抱いた瞳。それが変わらず今目の前にあった。
だが聖女の任は退いた身。果たして応えていいものなのかどうか迷いを抱く。
「――……っ!」
そんなことはできない。そう一瞬口を開きかけたのだが、目を逸らすことのできない二人の決意を目の当たりにすると、その言葉を発することは出来なかった。
「はぁ。わかりました。では、今一度、ほんのひと時だとしても、あなた達を導くために再びこの身を捧げましょう。一時のことであれば神も許容してくださるでしょうし」
返って来た答えに顔を見合わせるニックとカルー。
「っし、決まりだな」
「久しぶりにレオニル部隊、出陣や!」
すくっと立ち上がる二人。
「ちょ、ちょっとどうして二人ともそんなに楽しそうなのですか」
尚も困惑するレオニルと共に、再結成される元風の聖女レオニル・キングスリーの部隊は街の鎮静化へと向かっていくことになる。




