第六百七十四話 清浄の間
ヨハン達が踏み込んだ場所は、≪清浄の間≫と呼ばれる神聖な空間。各聖塔に作られたその場所は平時に於いてそれぞれの聖女が思い思いに祈りを捧げる場であり、クリスティーナは時間があれば毎日、なければ可能な限り訪れ祈りを捧げている。
他の塔に向かうためには最奥にある扉の先に進まなければいけないのだが、その最奥に当たる場所には一人のローブの男が立っていた。
「ほほぅ。まさかここまで来るとは思いもよらなかった」
部屋の中に見える悍ましさ。それはミリアが知っている清浄の間とは大きく異なっていた。
扉の手前、最奥に作られた泉。そこには溢れるばかりの水が流れ込んでおり、それだけでなく四方を取り囲む壁もまた広範囲に水が流れている。
「……これはあなたの仕業ですか?」
クリスティーナにしては珍しくはっきりと嫌悪感を露わにしていた。
本来であれば透き通る水が流れているはずのその場所は、今は血の様な赤が流れている。
「左様」
一言だけ言葉を返す男。対して、一歩だけ前へ出るクリスティーナ。
「どうしてこんなことを?」
「この国の憎しみを集めているのだ」
「憎しみを?」
「その通り」
「あなたはいったい?」
「我か?」
笑みを浮かべながら薄く口角を上げるローブの男よりも先に聞こえるのはヨハンの声。
「……三の魔将、クリオリス・バースモール」
その言葉を聞いて反応を示すローブの男は若干の驚きの色を見せていた。
「ヨハンさん?」
名乗りを挙げるよりも先に声を発したヨハンを不思議そうに見るクリスとミモザ。
「知り合いなの?」
「あっ、いえ。そういうわけではないのですが」
「……やはりお前もそう思うか?」
「うん。じゃあサイバルも?」
「ああ。記憶違いか他人の空似かと思ったのだが、やつの反応からしても恐らく間違いないだろう」
疑問符を浮かべるクリスとミモザを余所に共通認識しているヨハンとサイバル。
「驚いた。どうしてそこな子供が我の名を口にする?」
「偶然人魔戦争を視ることが出来たからね」
ヨハンとクリオリス・バースモールは互いに疑問を抱かずにはいられない。
(千年前の魔族が復活している?)
間違いなく目の前の男は当時シグとスレイの二人によって倒されている。それがどうして目の前にいるのか。
「なるほど。どういうわけなのかわからぬが、ただの子供ではないということだな。マゼンダの奴が警戒するのも頷けるというものだ」
上方に手を掲げるクリオリス。直後にはそこかしこの床に描かれる魔方陣。
「千年も時が経てば面白い技法も生まれるもの。我の代わりに闇魔法の深淵に近付いたシトラスという者には感謝せねばな」
魔法陣から浮かんでくるのは死人兵。鎧を纏う腐った身体。その数が尋常ではない。
「死者を冒涜するなど、神を恐れぬその行い」
「神など、我等魔族が滅ぼしてみせよう」
「神様はあなた達の陰謀など見透かしております」
「ならばお前達がその御使いとでもいうのか。面白い。だが魔王様の復活の刻まであとわずか。千年前には叶わなかった我等の悲願。それまで貴様たちには大人しくしていてもらおう」
余裕を見せるクリオリス。
「だが我も慈悲がないわけでもない。せめて魔王様の復活は見届けさせてやろう。無論、ここで死した後、死体となりて我の傀儡と化してからの話だがな」
大きく水平に腕を揮うと、一斉に動き出す死人兵。
水の塔の最上階、清浄の間に於いて予期せぬ戦闘が開始される。
◆
「まったく、キリがないわね」
溜息を吐きながら清浄の間全体を広範囲に高速で移動するミモザ。
既に乱戦になっていた。
「ふっ!」
時には中空に風の膜を展開してそれらを蹴り上げる。
「はあっ!」
両の手に握っているのは独特な形状の武具であるククリナイフ。
(さすがミモザさん)
長らく実戦から離れていたことによる戦闘勘の不足と、それに伴う体力の低下だけが心配だったのだが、随時クリスによって回復してもらうことにより体力は十分。
戦闘勘に関してもここに至るまでと、死人兵との戦闘によって十分とまではいかずともそれなりに取り戻しつつあった。
「サイバルっ!」
サイバルの後方から襲い掛かる死人兵。
ヨハンが素早く火魔法を放つとすぐさま死人兵は灰塵と化す。
「大丈夫?」
「ああ。だがこっちの心配はするな。自分の身ぐらいは自分で守れる」
「わかった」
強がりなどではない。サイバルも通常の死人兵の相手であれば問題はない。
ただ、いくらサイバルがエルフ有数の戦士だといっても、一人ではクリオリスを相手にするには分が悪い。
「ほぅ。中々持ち堪えているではないか」
最奥で悠然と戦況を眺めているクリオリス。
「あれだけの魔法使い」
人魔戦争でシグとスレイを同時に相手取ったクリオリス・バースモールの魔法技能の高さはそれだけのもの。
千年前の人魔戦争に参戦していた者達の剣技や魔法技能の洗練度は現代からすれば大きく劣るとはいえ、シグとスレイの能力の高さは現代と比べてみても最上と遜色ない。
その二人を相手取った強者。
(何より、警戒心が高い)
術者を倒せればそれで召喚された死人兵たちは消えるはずなのだが、隙を見て攻撃を加えようとするとクリオリスは必ず死人兵の数を増やしている。
「これは驚いた。まさかたった四人でこれだけ戦えるとはな」
感心するクリオリス。少人数の上に女子供で編成されているとはいえ、紛れもない強者。
(クリスの魔法のおかげだね)
時折展開される広範囲治癒魔法。効果範囲内にさえいれば深手を負ってさえも時間をかければ回復が可能だという程の効力。同時に、死人兵との相性もあり、魔方陣の中に入る死人兵は僅かに動きを鈍らせていた。
しかし、このままではジリ貧。一方的に消耗させられるだけ。
「ミモザさん! サイバル!」
だが、打開策がないわけでもない。ここまで闇雲に死人兵の相手をしているわけではなかった。図っていたのは二つ。
一つはクリオリスの魔力総量に関して。
(恐らくほとんど無限)
召喚の規模に関わらず、そもそも召喚魔法自体膨大な魔力を必要とするのだが、どうにも際限がないように感じられる。詳細はわからなくとも、余裕を見せていることからして何らかの理由があるのだろうと。
「合わせて!」
大きく声を掛けるヨハン。打開できるとすればもう一つの方。
ミモザとサイバルもヨハンの意図は理解している。
「任せて」
「援護する」
見極めていたのは一度に召喚できる死人兵の数に上限があるのかどうか。
今がその上限だという判断。
「風殺刃」
「瞬速の矢」
クリオリス目掛けて飛来するミモザが繰り出した幾つもの鋭い風の刃とサイバルが放つ複数の矢。
「浅慮な。数で押せばなんとかなるとでも思ったか」
自身を守るようにして立ちはだからせる死人兵隊。風の刃に切り刻まれ、矢によって貫かれる死人兵達。クリオリスへは攻撃が一つも届かない。
「でも、ここが隙だよね。はあッ!」
大きく剣を振り切るヨハン。剣閃。
サイバルとミモザの間を通り過ぎる一筋の閃光はクリオリス目掛けて一直線に迫る。
「これは!?」
驚愕に目を見開くクリオリス。かつて剣聖と呼ばれた男、スレイが放った至高の剣技。
(これは躱せないわ)
ミモザも称賛する絶妙のタイミング。ヨハンが狙っていたのは死人兵を倒した際に出来る一瞬の空白。
ヨハンが放つ一撃の為のミモザとサイバルの魔法。クリオリスまで繋がる道をこじ開けていた。
「ぐっ!」
突然迫りくる閃光の刃に驚愕しながらも、見覚えがあったことで僅かに身体を動かせるクリオリスは肩を斬られるのみ。だが致命傷には違いないその裂かれた肩からは瘴気が漏れ出ている。
「な、なるほど。素晴らしい連携だ。これだけ互いの意図が通じ合っているなど、まるであの双子のようだな。まったく、忌々しいものを思い出させてくれる」
肩に手の平を当てると正気を漏れ出していた肩が塞がっていった。続けて、手の平を上に向けると、ボッと黒炎を発生させる。
「だが生憎と、我も再び不覚を取るわけにはいかないのでな」
そのまま前方へと手の平を下方へ向けると黒炎は床へと落ち、クリオリスを中心としてすぐさま描かれるのは大きな黒の魔法陣。
「気を付けてください! なにか来ます!」
悍ましい気配をいち早く察知したクリスティーナの声の直後、魔方陣から浮かび上がって来るのは巨大な竜。
「グギャアアアアアアッ!」
≪清浄の間≫全体に響く獰猛な雄叫び。
声を発するのは人間など軽く飲み込みそうな大きな頭部。そしてそれに見合う巨躯。しかし何よりも異常なのは腐臭を放つその身体。空を飛べそうもない穴だらけの翼。
「……ドラゴンゾンビ、ね」
小さく呟くミモザ。
「まったく。嫌になるわね」
元S級であるミモザでも覚悟をしなければいけない程の伝説の魔物。
厄介なのは、ただでさえ竜種は魔物の中でも最上位に位置するだけでなく、アンデッドであることからして生命活動を行っていないということ。




