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第六百七十 話 閑話 アイシャの好奇心④

 

「動いたらこいつを刺す」

「ひ、卑怯だぞ!」

「はっ! とんだ甘ちゃんだな。まぁそれも自分の女ともなれば当然か。せっかくテメェの女を助けに来たところ悪いけどな、お前にも来てもらおうか」

「何を言っているのだ? その子のことは知らないぞ?」

「おいおい、酷いこと言うもんだ。見捨てて逃げるってのかよ」

「いや、本当に知らないのだが?」


 疑問符を浮かべる中、悶絶していた男が立ちあがり、マリウス目掛けて拳を振るう。


「ごはっ!」


 苦悶の表情を浮かべながらドサッとマリウスが膝を着いて痛みに堪える。


「調子に乗んなよテメェ!」

「ぐっ、がっ、う、うぅっ」


 ガンガンと何度も足蹴にされる。


「や、やめて! お願い! もうやめて!」

「おいおい、程々にしとけよ。殺しちまったら売れねぇじゃねぇかよ」


 アイシャが絶叫する中、マリウスと目が合った。ほんの少し、隙間を縫うように。


(え? な、なに!?)


 小さく口をパクパクと開けている。何かを伝えようとしているのだと。


(に、げ、ろ)


 マリウスが伝えようとしているのは、せめてアイシャだけでも逃がそうと。一瞬であれば隙を作れる。


「けっ! ガキが調子に乗りやがって」

「ぐっ、うぅ、ぅうっ……――」


 散々蹴られ尽くされたあとには顔へ唾を吐きかけられる。身体中は痣らだけ。


「――……う、うわあああああッ!」

「は?」


 片膝立ちになり足払いを駆けるようにして横薙ぎに剣を振るう。


「ぐあっ」


 突然のマリウスの行動に驚き尻もちを着く男。その男を余所にマリウスが必死の形相で駆け出すのはアイシャを人質にしている男へ。


「やあああああっ!」

「うおっ!」


 大きく振り下ろされる剣に驚きアイシャを放り投げ、マリウスの剣を躱す。


「今だッ!」

「で、でも」

「早くッ! 時間は稼ぐから!」

「う、うん」


 一瞬だけ躊躇したのだが、迷っている暇はない。


「ご、ごめんなさい」


 せっかく作ってくれた隙。慌てて駆け出すアイシャ。


「待ちやがれッ!」

「お前の相手は僕だ!」

「てめっ!」


 マリウスが立ち塞がり、男達の足止めをする。


「待ってて! すぐに助けを呼んで来るから!」


 急いで通りに出れば誰かを呼べるのだと、背後に目を送りながら駆けていると正面からドンっと何かにぶつかった。


「いたっ!」


 弾けるようにして後方に転倒しそうになったのだが、抱き留められる。


「見つかって良かったです。アイシャ様」

「え?」


 聞いたことのある声だとばかりに顔を上げると、そこには安堵の表情を浮かべているネネ。


「ネネ、さん?」

「申し訳ありません。遅れてしまい」

「あっ……いえ」


 どうして謝られてしまうのか。謝らなければいけないのは勝手に出て行った自分のはず。

 しかしそんなことよりも今はあの男の子を助けなければならない。


「どこもお怪我はなさそうですね」

「ネネさん!」


 不安気なアイシャの表情の意味を察しているネネ。


「大丈夫ですアイシャ様。あとは私にお任せください」


 ポンと頭上に手の平の重みを感じながら、しゃがみ込まれるネネが向けてくる微笑み。


「で、でも」


 しかし不安は拭えない。相手は容赦のない大の男二人。


「さて。あなた達、覚悟はよろしいですね?」


 ゆっくりと男達に向かって歩いて行く使用人姿のネネ。その様子にニヤニヤと笑みを浮かべる男達。


「んだよ。せっかく来た応援がお手伝いさんかよ。残念だったなガキども」

「へへへ。お前は俺らが回してやるぜ。気にすんな。痛くしねぇよ」

「むしろすっげぇ気持ちいいぜぇ。ガキにはちょーっとばかし刺激的だけど、そっちの女の子はこれから経験するんだ。勉強しておいた方がいいよな」

「さすがお手伝いさんだ。さぁ、気持ちよくなろうぜ」

「それは奇遇ですね。私もあなた達を気持ちよくさせてあげようと思っていたのですよ」


 真っ直ぐに右手を伸ばすネネ。


「んだ?」


 疑問を浮かべているところにぐにゃっと視界が歪み始める。


「「…………」」

魅惑の幻視(テンプテーション)

「あへ、あへ」

「ぐへへ」


 トロンと表情を緩める男達。一体何が起きているのかアイシャには理解できなかった。


「なにを、したのですか?」

「良い夢をみさせてあげているだけですよ」


 軽く微笑むネネ。


「あっ、一つだけ言い忘れていました」


 そのまま歩くネネはだらりと腕を下げてだらしない表情を見せる男達の前に立つ。


「もちろん痛い目にも遭って頂きますので」


 ニコリと笑みを浮かべるなりフワッとスカートを靡かせながら振り切られるのは豪快な回し蹴り。

 無防備な男達の顔面に蹴りを放つ。


「…………」


 これまで接していたネネにはまるで似つかわしくないその所業。しかしアイシャは思わずそれらに見入ってしまっていた。


「立てますか? マリウス様」

「あ、ああ」


 マリウスに手を差し伸べるネネ。口元を拭いながらネネの手を取るマリウスはゆっくりと立ち上がる。


「チッ、くそっ。俺の名前を知っているということはセバスに頼まれてきたのか?」


 悔しさを露わにしていた。


「それもありますが、彼女を探していましたので」


 肩越しにアイシャを見るネネ。


「それと申し訳ありませんマリウス様。私は治癒魔法が使えませんし、治癒薬も持ち合わせておりません。しばらく我慢してくださいませ」

「いや、いい。自分で首を突っ込んだのだ。自己責任だよ」

「…………はぁ」


 その台詞に思わず目を丸くさせるネネ。


(本当に変わったようですね。この子)


 感心せずにはいられなかった。たった一人で暴漢に立ち向かっただけでなく、結果的に窮地に陥ったとはいえそれでも泣きべそ一つあげず、強気に振る舞う様に。


「あ、あの」

「傷はないか?」

「は、はい」

「なら良かった。お、いや、僕はこれで失礼するよ」


 軽く手を振り、来た道を戻ろうとするマリウス。


「ごめんなさい! 私のせいで!」

「え?」


 深々と頭を下げるアイシャを目にしてマリウスは立ち止まる。


「私が攫われたりしたからあなたをこんな目に遭わせてしまって……」

「いや、それは違う。こういうやつらをのさばらせていること自体が問題なのだ。気にするな」

「で、でも」


 そういうわけにもいかない。助けられたのは事実。何かお礼をしたいのだが何も思いつかない。


「ではお二人とも、こういうのは如何でしょうか?」


 二人の様子を見るネネが指を一本上げて提案する。



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