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第六百六十四話 一方通行だとしても

 

「あっ」


 声を漏らすナナシー。

 炎の鞭が襲い掛かるのは矢を撃ち終えたナナシーであり、回避が間に合っていない。


「な、ナナシー!」


 横っ飛びでナナシーへと飛びつくレインが共に床を転がる。


「フン。女を庇う余裕があるのか貴様に」


 素早く振り切られる炎の鞭。意志を宿しているかのような複雑な動き。


「はあッ!」

「甘いな」

「ぐっ!」


 横薙ぎに振るわれる炎の鞭を受けるリオンが後方へと吹き飛ばされた。


(どうして、どうしてよっ!)


 焦りだけが加速する。

 これまではナナシーへ寵愛を使えた。それだというのに、今はナナシーにさえ使えない。原因が何なのかわからない。


『特異な能力だから、もしかしたら制限があるのかもしれないね』

『制限? それはどういうことですか? お父様』


 父であるマックス・スカーレット公爵との会話。


『うーん。恐らくだけど、状況を考慮したところ、マリンの感情の高鳴りに共鳴するようにして能力の向上があったと思うのだよ。実際にこれまでにもそういったことはいくつか確認されているからね』

『そ、それは……は、はい。あの時はエレナの凄さを改めて目の当たりにしたことがわたくしの力になったか、と……』


 エレナを認めたからこそ【与えるべき寵愛】から【贈られる寵愛】になったのだと。何となく程度の自覚。


『うん。素直だね。それは良い兆候だよ。だけど、危惧しておくことが一つ』

『危惧しておくこと?』

『この手の能力は、感情の揺さぶりで能力が低下することがあるからね』

『……はぁ』


 言っている意味はわからないでもないのだが、能力が低下する程の感情の揺さぶりが想像できない。


『もしそうなった時は、もう一度自分の気持ちを思い返してみることだよ』

『……自分の…………気持ち………………』

『もしかすればそれで打開できるかもしれないからね』


 現実、父の言葉の通りになっているのだと。能力の低下。


(自分の気持ちって?)


 そうして胸に両の手の平を押し当てる。込み上げてくる葛藤ともどかしさ。この胸の中の引っ掛かりが能力を抑制しているのだとすれば一体何が起きているのか。


(自分の力のなさが一つあるとして、レインに使えないだけでなく、エルフにも使えないなんて)


 悪化しているその理由。ただ、なんとなくだがその理由には思い当たることがあった。


(嫉妬、ですわね)


 ナナシーへ能力の行使ができない理由。レインの横に立って戦いたいのは本来であれば自分自身。そのナナシーへの強化を心の奥底の感情が拒んでいるのだと。


(くや、しい)


 エレナのように戦いたくとも、今すぐに絶対的な力を身に付けられるわけがない。


(仕方ありませんわ。ここはあのエルフに託すしかありませんもの)


 心の中の言葉とはいえ、自覚したことで胸の奥のつっかえが一つ解けた気がする。

 胸の奥底で白く小さな光を灯す。


(だったらレインは?)


 嫉妬では片付けられない。仲間として認めるどころかそれ以上の感情を持ち合わせているのだから。


(となれば、これが原因)


 秘めたる恋心によるもの。素直になれない自尊心。それらがレインへの能力の行使を拒んでいるのだと。


(でも、それ以外に考えられないですわね)


 むしろそれが一番しっくりとくる。自分自身でも可愛くないのだという自覚はあった。


『その性格を直せばお前はめちゃくちゃモテるぜ』

『へ?』

『だってお前、黙ってればかなり可愛いもんな』


 そんな自分でもレインは可愛いと口にしてくれていた。思わず笑みがこぼれる。

 外見上の可愛さ。それでも認めてもらえていることが嬉しく、正直に胸を高鳴らせた。


(…………うるさいわよ)


 しかし同時にその言葉が意味することは、内面は認めてもらえていない、のだと。


「っ!」


 可愛くない自覚はある。どうすれば内面が可愛いのだと認めてもらえるのか、悔しさが込み上げてくる。


(んだ? こいつさっきから)


 隣に立つシンは表情をころころと変えているマリンを不思議に思っていた。何かと戦っているかのような表情。そんなシンの視線に一切気付かないマリンは葛藤している。


(うる、さいわよっ!)


 一体どうすれば振り向いてもらえるのか。憎たらしいエルフに向けられるような表情を一度も向けられたことがない。


『黙ってればかなり可愛いもんな』


 だとすれば、黙っていれば振り向いてくれるのか。

 否。断言できる。絶対にそんなことはない。ただ単に距離が開くだけ。


『その性格を直せばお前はめちゃくちゃモテるぜ』


 余計なお世話。だいたい言われるまでもなくチヤホヤされている自覚も自信もある。伊達に生まれた時から公女をしていない。レインが知らないだけ。


(でも、そんなことに意味はないわよ)


 誰にモテる必要もない。そもそも性格を直すなど、どうやって。どの方向に。


「うるさい」

「んん?」


 小さく漏れる声。処理しきれない感情が押し寄せてくる。


「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい」

「んだよ突然? なんも言ってないだろ?」

「黙りなさいッ!」

「お、おぅ。すまん」


 シンが思わず気圧される圧力。ただし、シンに向けられた言葉ではない。


(もうわかりましたわ)


 結構。黙っている必要などない。性格を変える必要などない。あれこれ思い悩むのがそもそもめんどくさい。


(覚悟なさいレイン)


 どうして自分だけがこれだけ悩まなければいけないのか。本来であればレインを悩ませたい。立場が逆ではないのか。


(ふんっ)


 思い返すのは、一度だけレインを困惑させたことがあった。


『キス、したいな』


 不意に漏らした本音。その時のレインは間違いなく困惑していた。


(だったら……――)


 覚悟を決めるしかない。隣に立つ男は死なない程度には守ると言っていたが見ず知らずの男の言葉など鵜呑みにするわけにはいかない。致命傷を負いかねない攻防が今も繰り広げられている。ここでレインに死なれるわけにはいかない。死なれてしまえば叶わない。今後決してその言葉を口にする機会は訪れない。


「レインっ!」


 もう迷いを抱かない。気持ちは固まった。

 広間で激闘を繰り広げているレインは動きを止めることはない。満身創痍。


「大好きよっ! レインっ! この戦いが終われば、わたくしとデートしますわよ! 約束ですわよ! だから、死ぬことは許しませんわ!」


 大きく声を発して一方的な約束の押し付け。だがレインは振り向かない。そんな余裕などない。


「は?」


 隣に立つシンは突拍子もない言葉に呆気に取られる。突然何を言い出しているのか理解できなかった。


「言った、言った、言った、言ってやったわ!」


 握り拳を作りながら小さく何度も呟いているマリン。振り返りはしなかったものの、確実に聞こえたはず。広場に響くだけの、それだけの声量で発したのだから。その証拠に、一番遠くにいたリオンが思わずマリンを見上げている。


「ふぅ。すっきりしたわ」


 大きく息を吐き出し。どこか不思議な達成感が沸き起こる。

 胸の奥底で白く灯していた光が大きく膨らみ始めた。


「……なにを言ってんだ?」

「え? んーと、告白?」


 笑みを浮かべながらシンの問いに答えを返すマリン。


「いや、そらそうなんだろうけど」


 どうしてこの状況でこれ程の晴れやかな表情を浮かべられるのかシンには不思議でならなかった。しかし状況の変化は他にもある。


「ってかよぉ、お前それ……どうなってんだ?」

「え?」


 シンが指差す先はマリンの胸元。胸の奥底で輝き始めていた光が表面へと表出し始めていた。


「やっぱり、そういうことでしたのね」


 それが何の光なのかということはマリン自身はっきりと理解している。

 次の瞬間、マリンを中心として足下に円を描くように浮かび上がるのは紋様。魔文字で描かれた魔法陣。そこから、幾つもの細い光が上方へと迸った。


「だからレインに使えなかったのですわ」


 本当の意味で理解する。同時にこれから口にしなければならない言葉をも。

 元々使えていた【与えるべき寵愛(アフェクション)】。それが進化して【贈られる寵愛(ジ・アフェクション)】になったのだとばかりに思っていたのだが違っていた。実際的にはその二つは似て非なるモノなのだと。


【贈られる寵愛】は王族としての能力。民に与えるべき力。


 認識したその能力を正確に捉え、胸の前で手を組む。向ける先は眼下の広間で戦っている想い人へ。


「我儘も言いたくなるわよ。だって女の子だもの」


 これからそれをただ一人にだけ与える――いや、届ける。それがたとえ一方通行なのだとしても。それが一人の人間としての、愛しい想い。


【与えるべき寵愛】は独善的な能力。上下関係。今口にする言葉はまた別の意味を持っている。


「受け取って。レイン」


 小さくだが、それでも淡い想いを乗せたたった一言の言葉。ゆっくりと口を開いた。


届ける寵愛(アフェクション)


 この能力の真の意味。光と影のように、表と裏。

 王家の人間として多数の民へ向ける幾つもの愛。それとは別に、個人として愛しい者に届けられる愛。同じ愛でも意味は別のモノ。しかし離すことのできない謂わば表裏一体。どちらも等しく愛さなければならない。どちらかに偏るわけにはいかない。


(たとえ、この恋が叶わなかったとしても)


 シンが思わず呆気に取られる中、マリンから伸びる幾つもの光は次第にその光を太く束ねるようにして重ね合うと一つの大きな柱となる。

 マリンは知り得なかったのだが、それはかつて人魔戦争時にミリアによってシグへと届けられた能力()と同じだった。



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