第六百六十一話 ナナシーと仮面の男
土の塔の中腹部。塔を出るために階段を下りる男女。
「それにしても、すっごい強いんですね! さすがシェバンニ先生の知り合いです!」
「…………」
満面の笑みで階段を下りるナナシーと無言の獣の仮面をした男。
「どうして返事をしてくれないのですか?」
「…………」
塔の最上階での激闘は既に終えている。激闘と言っても過言ではない戦いは激しく損壊した最上階の様子から見ても明らかだった。
(本当に強かったわ、この人)
土の第一聖騎士の襲撃を受けていたのだが、仮面の男の剣技の方が上回っていた。
(こいつがヨハンの仲間だったのかよ。まぁ依頼だから仕方ねぇけどな)
独特な反りを持つ剣の柄に手を掛ける獣の仮面の男。その仮面の奥では苦笑いしていた。
現在階下へ向かっている頃より遡ること数十分前。
『あそこ! 誰かが戦ってるみたいよ!』
『あそこってどこだよローズ。あぁん? んなもん、あんなとこにいけるかよ』
ローズが指差す先、そこは遠くに見えるミリア神殿の四つの塔の内の一つ。ナナシーとゴズ・スカルの戦闘によって崩壊した外壁。
シン達ペガサスはシェバンニと共にパルストーンへと踏み込んできている。
『ったく、思ってた以上に大忙しだな。あっちこっちで魔族が生まれてるわ、わけのわかんねぇことは起きるわ』
少し前には遠くの地面から天高くに水蛇が――シンからすればさながら水の龍が空に立ち昇る昇龍の如き様子を目にしていた。
『これは手分けした方が良さそうだな』
『だったらシンはあそこね』
『……俺があそこ?』
まるで信じられないとばかりに自身を指差すシン。ローズの視線の先は土の塔の壊れた外壁。
『仕方ないでしょ。あなた以外に誰があそこに向かえるというのよ』
『ジェイドでもいいだろうが』
『拙者は断る。貴様の方が向いているだろう。身軽さであれば拙者より上手なのだからな』
『へっ。たりめぇだぜ』
『はい。それじゃあ決まりね』
パンと手の平を叩くローズ。
『い、いや、ちょ、ちょっと待て!』
『まだ何か? ねぇシェバンニ先生』
『ええ。それとも、以前私の依頼を無視したことを忘れたとでも?』
『……いえ、なんでもないっす』
かつて依頼した学年末試験のシンの暴走。
(まぁだ根に持ってやがった。ったくよぉ)
シン達ペガサスは七族会を始めとした獣人とパルスタット神聖国の闘争に直接関わるつもりはなかった。それは当初の依頼を越えた行い。
『――……始まったか』
『…………』
更に遡ること少し前。
パルストーンへと千人規模の獣人が攻め入るのをシンとローズは遠くから眺めていた。
『『!?』』
そこで不意に背後に強烈な魔力の気配を得たことで振り返り臨戦態勢に入るのだが、目の前の人物を目にして手を止める。
『あなた達? どうしてここに?』
『『シェバンニ先生?』』
そこには学生達を近隣の町へと避難させたシェバンニがパルストーンに戻って来ていたとこと。そこで偶然シン達とばったりと出会い、簡単にある程度の互いの話をするのだが、傍観を決め込んでいたペガサスに対してシェバンニがシンとローズを激しく叱咤していたことが事の始まり。
『それがあなた達の矜持なのでしょうけど、せめてもう少し柔軟に動いて欲しいですね』
『しゃあねぇじゃん。俺らはそうしてバランスを取ってきたんだから。今さら変えられないっすよ』
シンとローズはシェバンニの促しで仕方なく動こうとしたのだが、そこはジェイドとバルトラが拒否していた。いつも通りのやり取り。パーティー内のルール。
(そのおかげで彼はまた一段上のレベルに到達したみたいですが……)
聞き及んでいるカサンド帝国でのヨハンとの敵対。下手をすればヨハンは死んでいた。
頑として動こうとしないジェイドとバルトラを見て大きく溜息を吐くシェバンニ。
『仕方ありません。では、これは私からの依頼として受けてください』
『先生から?』
『ええ。勿論報酬は弾みます』
『マジでかっ!? おいっ! 依頼だ依頼! こっちこいよ二人とも!』
手招きしてジェイドとバルトラの二人へと声を掛けるシン。
『……依頼であれば仕方あるまい』
『うむ』
その様子を見て内心で呆れるシェバンニとローズ。
(さすが先生だけど、めんどくさいわねこいつら)
(この様子だと、本当は介入したかったようですね)
明らかに態度を軟化させるのが普段より早すぎる。
(でも、あれから二人ともどこか柔らかくなったのよねぇ)
(しかし、これもまた彼の成果とも言えるのでしょうか)
ヨハンと敵対していたからこその今。この二人と戦っていたからこそではないかと思えた。
(とはいえ、介入することで他にも彼らに利はあるのですが、今は伏せておきましょうか)
チラリとシェバンニが視線を向ける先は西方。学生達を避難させた町。
『では聞こう。依頼とは?』
『単純です。依頼内容は学生達の身の安全の確保。この一点のみです』
『それだけで良いのか?』
『ええ。ただし勿論目的の為に降りかかる火の粉は取り払ってもらう必要はありますが、あなた達であればその辺りはわざわざ説明する必要はありませんよね?』
『無論だ。任務は遂行する。邪魔は全て排除する』
ジェイドの言葉に深く頷くバルトラも同じ意。
『ではこれであなた達がこの件に介入しても問題ありません。よろしいですね、ジェイド、バルトラ』
『……うむ。拙者はそれで構わぬ』
『そういや学生の見分け方ってあるのか?』
『ある程度の特徴は伝えておきますが、だいたいは見ればわかるでしょう。今残っているのはそれだけの子達ですが、念のため近付けば学生証の魔力を探知する魔道具を渡しておきます。それと地図と』
『了解した。では早速向かおう』
『ええ。よろしくお願いします』
そうして獣の仮面を身に付け、パルストーンへと突撃していた。
(ってか、このお嬢ちゃん、先生の言ってた通り中々やるじゃねぇか)
バルトラの剛腕から振るわれる巨斧と、ローズとシェバンニの風魔法によって放り投げられた結果による土の塔最上階の遭遇戦。
シンとしても、土の第一聖騎士バルバトス・ティグレとの一戦は、負けるつもりは毛頭なかったのだが、それでもある程度の戦いになるだろうということは覚悟をしていた。
『新緑の円舞曲』
『!?』
だが、不意を突くナナシーの援護がバルバトス・ティグレの気を引いたことで決定的な一撃を見舞えて戦闘を終えていた。
「……止まれ」
「あっ、やっとしゃべった!」
ようやく声が聞けたかと思えば、ナナシーに対してシンは片腕を伸ばして制止させる。
「どうしたのですか?」
疑問符を浮かべて問い掛けたのだが、シンが指差す先は少し向こうにある下へと向かう階段。僅かに光りが差し込んで来るそこは外壁伝いに大きく螺旋状に取り付けられていた。
「なに?」
「誰かが戦っているな」
「あっ!」
そこでふと思い出すナナシーは慌てて駆け出す。
「おいっ!」
「大丈夫です! 少し覗くだけですので!」
ガッと階段の手すりに身を乗り出して階下を見ると、そこは大きな広間。間違いなく塔の一階部分に当たるのだということは何度か中を歩いていたことでわかったのだが、それと同時に視界に飛び込んで来るのはレイン達が戦っている姿。
「やっぱり!」
レインとマリンの魔力反応を捉えていたことをすっかり忘れてしまっていた。
そのナナシーの後ろ姿を見るシンはシェバンニから預けられた魔道具である小さな水晶を手に持ち、赤く光ったことを確認している。
「これでここに二人、か」
依頼内容は学生たちの救出。カレンも含めて全員で八人。
ようやく三人見つけられたのだと小さく呟いていた。




