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第六百五十一話 地下水路の終幕

 

 一言大きく発し、二人の声が重なると同時に、彲は一層の輝きを増した。

 刹那の瞬間、衝突するのは赤黒い蛇と青白い蛇の二つ。


「はああああああっ!」

「んあああああああっ!」


 最大限の魔力供給。


「無駄なあがきを……――!?」


 最後に見せる抵抗を蹂躙せしめようとしたのだが、バニシュが生み出した炎の蛇、火愚殱血が徐々に押し負け始めている。


「ぐっ、ぐうぅぅぅぅぅ…………そ、そんな、ば、バカなッ!? どうしてこれだけの力を!?」


 魔力を最大に練り上げるバニシュ。それは限界を超えており、明らかにこれまで感じたことのない力を生み出されていた。


「か、神の力を手に入れたウチが、負けるはずが……――」


 ここで負けてしまってはあれだけの思いをして聖女に上り詰めた全てが無駄になってしまう。


『ぅうっ、はぁ……はぁ……けほっ』


 脳裏に甦るのは二十年前。あの地獄から生還した時の事。燃え落ちる屋敷を視界の遠くに映しながら、抱きかかえられたのは女性の腕。


『よぉくここまで辿り着きましたぁ』

『けほっ、た、たすけていただいて、あ、ありがとうございます』

『気にしなくていいのよぉ』

『ええ。今はゆっくりとおやすみなさい』


 耳に残る二人の声。

 喉はカラカラ。意識は今すぐにも飛びそう。それでも九死に一生を得た。


『(だ、だれ?)』


 そうして助けてくれた二人の顔を見ようと重たい瞼を必死に持ち上げようとする。


『あらあらぁ。もう頑張らなくてもいいのよぉ?』


 そっと手の平で目を覆られ、瞼が閉じられる中、陽の光を背に背負う二人の女性の顔を確認する。


「あ、アスラ様とベラル様の為にもここは負けられんさねッ!」


 ゴオッっと炎を噴き出し、サナとカレンが生み出した水蛇【彲】を再び押し返そうとする。

 だが、火愚殱血の勢いは彲の勢いを抑えることができず、彲は火愚殱血ごとその巨大な炎を呑み込み始める。


「――……し、信じられぬ! ま、まさか、まさかああぁぁぁぁぁぁぁっ…………――」


 彲によってバニシュから噴き出していた炎の全てが呑み込み程なくして弾けるようにして消滅する。辺りには炎の残痕が飛び散っていた。


「ふむ。あの様子だと、本格的に魔族に成り下がっていたわけではないのか。これ以上は必要ないか」


 バニシュの炎の様子を見てウンディーネがくいッと指を動かすと、宙に浮いていた彲は大きく上方目掛けて飛び上がる。そうしてドゴンと激しく音を立てると天井――地盤に穴を開けていた。


「うむ。やはり空は良い。いつ見てもな」


 そこから覗かせるのは空の青。地上で巻き起こる喧騒の中、一迅の水の蛇が上空へと飛翔する。さながら滝登りの如く。


「ば、ばかな、ばかな、ばかな…………」


 空を見上げるバニシュはドサッと膝を折り、肩を落として絶望に陥った。


「ウチが、負けた、だと? 神の力を得たウチが?」

「中々に面白かったぞ人間。だがやはり我の見込んだ者の方が上だったな」


 バニシュの前に顔を近付け、笑みを浮かべるウンディーネ。


「貴様程度では魔の力を借りてやっと対等にやり合えるといったところか。だがこれほどの趣、久しく味わっていなかった。あやつ、イフリートの愚か者以来か」


 突然耳にする言葉にバニシュは思わず目を見開く。


「イフ、リート、だと? この召喚獣は一体何を?」


 自身を打ち負かしたその一角である目の前の存在から発せられた言葉が信じられない。

 後方、その様子を見ているカレン達へ近付くのは女性。


「どうやら無事に終わったみたいだな」

「アリエルさん。無事だったんですね」

「ああ」


 身体中に傷を負っているアリエル。衣服もボロボロ。


「しかしもう少しで倒せそうだったのだが、惜しかった」

「「え?」」


 倒せそうとはどういうことなのかと、カレンとサナの二人して見た先。そこには壁にめり込んでいるガウとネオンの二人の聖騎士の姿。


「え、えっと、アレ……死んでいないんですか?」

「今のところはな。だが危うく殺しかけたのは事実だ。殺らなければ殺られるからな。ぎりぎり殺さずに済んだのはトドメを刺す瞬間、どうやら魔族化が解けたみたいでね」

「それ……」


 カレンの視線の先、特に損傷がひどいのはアリエルの拳。ひどく焼けただれていた。


「ああ。さすがの私も本気で殺す気の一撃を直前で寸止めしたのだ。反動でいくらか傷は負ってしまう」


 攻撃を止めたことで反動を負う一撃などそうそうない。その破壊力が一流である証左。アリエルの一撃の強さを物語っているのと同時に、それだけの力を使わざるを得なかった事態に陥ったのだと。


「すまないね、気を遣ってもらってしまって。傷の治療はわたしが責任をもって行おう」

「助かる。それはそうとして、こっちはどうなっている?」


 戦闘に集中していたアリエルには事態が呑み込めていない。認識したのは炎と水の蛇が衝突したことぐらい。


「バニシュは、戦意を失くしたのか」


 かつての友。魔族化したのであれば命のやりとりになる覚悟はあった。それが戦場。


「それに、あの精霊。アレは凄まじいな」

「わたしも驚いておる。まさかウンディーネ様が顕現なさるとは思ってもみなんだ」


 顔を見合わせ苦笑いするカレンとサナ。


「これは後で質問攻めよサナ。覚悟しておかないとね」


 水の聖女を務めたテトであるからこそ、そこに興味と感心が尽きない。


「……はい。でも、私は嬉しいんです。こうして皆さんの力になれたことも、カレン先生と力を合わせられたことも、それに…………」


 たとえ目の前で見守られていなくとも、確かに彼の存在が高みへと導いてくれているのだと。そう考えれば喜びが込み上げてくる。


「…………」


 そのはっきりとした笑顔を見てカレンも笑みを浮かべて息を吐く。


「……そうね。でもまだ終わっていないわ。とにかくはやくこの場を切り上げないと」

「はい」


 そうして目を向ける先はウンディーネとバニシュへ。バニシュはわなわなと肩を震わせていた。


「――……火の大精霊であるイフリートの名をどうして召喚獣である貴様が?」

「無論そんなこと、我と奴が喧嘩仲間であるからに決まっておろう」

「けんか……なかま? ならば貴様の名は」

「何をおかしなことを言いおる。ウンディーネ。それが我の名に決まっておろう」


 突然耳にする名に驚き目を見開くバニシュ。


「……そんな、バカな…………」


 想定外の名を聞いたことで驚き禁じ得ない。


「よ、四大精霊、だと? キサマが? そ、そんなまさか……だ、だが、この感覚……――」


 真偽の程は定かではないとしても、視界に映る神秘性と肌に感じるどこか不思議な滑らかさ。とても偽物だとは思えなかった。


「な、ならば、先程言った魔の者とは、いったいなにさね?」

「魔の者と云えば魔族に決まっておろう」

「魔族?」


 ウンディーネの言葉に耳を傾けるバニシュなのだが、返って来た言葉に思案に耽る。


「魔族とはやはりあの古の魔のことだろうか。ならば先程テト様が言っていたことは? 間違いではなかったというのか? だが果たしてそれを鵜呑みにしてもいいものなのか……――」


 ブツブツと独語を呟いていた。


「――……しかし確かにこれだけの神秘性を放つ存在など四大精霊だとすれば納得もいくさね。それにウチを負かすだけの力、なればイフリートとも渡り合えるやもしれぬのも。なるほど、そうか、なるほど。そういうことさね。そういうことであればウチが敗れたというのも、相手が四大精霊のウンディーネだとすればそれも致し方あるまい」


 思考を巡らせ、事態についての自己消化を始めるバニシュ。


「だが、ならば神の力とは一体何なのさね? まさかあの方たちが偽りの言葉を並べ立てたとでも?」


 僅かに表情を難しくさせるバニシュは、チラとカレン達に目線を送ると立ち上がり、錫杖をアリエルへと真っ直ぐに向けながら口を開いた。


「アリエル。裁定が変わった。貴様らの処刑に関してはもう少し遅らせることとするさね。冤罪の可能性がある以上はな」


 その言葉を聞いたアリエルは額を押さえる。


「ふぅ。勝手なことを言う。どうして敗北したお前が偉そうにしているのか」

「いいじゃないですか。これでこれ以上は不要な戦闘が避けられるのですから」

「ああ。お嬢さんのおかげで助かった。礼を言う」


 突然アリエルに褒められたことで両の手の平を振るサナ。


「そ、そんな。こ、こちらこそ、少しでも皆さんのお力になれて嬉しいです」


 思わず不意の感謝に顔を赤らめていた。


「さて。のんびりもしておれんな。上に向かおうか」


 そうして地下水路での不意の襲撃によって巻き起こった戦闘、火の聖女バニシュ・クック・ゴードとの戦闘が幕を閉じる。



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