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第六百五十 話 ……二つの蛇

 

「フム。何やらいやらしい魔力の波動を感じるな」


 未だにサナが疑問を抱く中、サナへ笑みを向けたウンディーネは即座に振り返ると手をかざした。その先にいるのはまるで魔獣と化したサラマンダー。


「去れッ。この痴れ者がっ!」


 ぽぽぽっと、いくつもの泡が生み出されると、サラマンダーの身体へと取り付いて行く。


「ギャ?」


 突然泡が付着したことにより、周囲は疑問符を浮かべるのだが、その疑問はすぐに目の前で起きたことによって払拭される。


「魔族に影響を受けるなど、恥ずべきことと知れ」


 ぎゅっと手の平を握ると同時に、泡はサラマンダーの身体を宙に浮かせた。ぶくぶくと泡に包まれサラマンダーの身体を覆い隠したかと思えばそのまま泡が大きく弾け飛ぶ。


「なっ!?」


 バニシュが驚きに声を上げるのは泡が弾けた先、自身の召喚獣であるサラマンダーの姿がどこにもなかった。


「貴様が術者か。邪魔なのでアチラへ帰ってもらったぞ」

「…………」


 アチラ――ウンディーネが差す言葉の意味。精霊も召喚獣も生まれ落ちる先は同じ。精霊界とも呼ばれる異界。人間には未知の領域なのだが、それは確かに存在する。


「……人語を話す召喚獣だと?」


 憎悪の視線をウンディーネへ向けた後にサナへ向ける火の聖女バニシュ・クック・ゴード。


「まさかあのような小娘がこれだけ高等な召喚獣を使役できるとは…………」


 ふよふよと高慢な態度を見せながら宙に浮くウンディーネはバニシュの言葉に目を細めた。


「ふん。貴様は我を召喚獣と呼ぶか。だがそれもまた良し。そういう者がいることは我も承知しておる」

「ちっ。何をごちゃごちゃと言っているさねッ!」


 ゆらめく炎を纏うバニシュはその炎を格段に大きくさせる。まるで薪を盛大に燃やすかのようにパチパチと弾けさせ、火の粉が宙を舞っていた。


「マズいッ!」


 大きく声を発すカレンなのだが、防御障壁の展開がもう既に間に合わない。


「神罰をその身に刻むがいいッ!」


 カッと辺りを包み込む光。周囲を舞っていた火の粉のどれもにバニシュの魔力が込められていた。


「あーっはっはっはっは!」


 高笑いを上げるバニシュ。これで全てを燃やし尽くしたのだと。


「――……は?」


 しかしバニシュの思惑通りにはならなかった。


「ど、どうして何も起きないさね!?」


 宙を舞う火の粉はいつの間にか青白い光沢に包まれている。それはウンディーネが生み出した無数の泡。


「愚かな人間よ。我を前にその程度で何をするつもりだったのだ?」

「ぐっ! 舐めるなッ! 神の力がこの程度なわけがないさねッ!」


 ゴオッっとゆらめく炎を真っ直ぐ上方へと伸ばす。


「地獄の業火は天上の生物をも焦がし尽くす。どれだけ生命を燃やし続けようとも尽きぬことのない憤怒の炎よ」


 炎のゆらめきはまるで生き物かのように見える動きを見せていた。同時に炎は嫌悪感と悍ましさを見せている。


「ほぅ。なるほど、魔の力を宿しておるのだったな」


 バニシュから伸びる炎は黒く変色し、巨大な蛇を形作っていた。


「我、バニシュ・クック・ゴードの名の下に命ずる」


 目を血走らせ、重く呟くバニシュ。


火愚殱血(カグツチ)。この場を燃やし尽くせ」


 テトとサナとカレンが呆気に取られる程の禍々しさ。それはまるで地獄の業火。


「そこの精霊使い」

「え? わ、わたし?」


 突然声を掛けられたカレンが間の抜けた声を発す。


「死にたくなかろう」

「え、ええ」

「ならば我に力を貸せ。アレだけのものともなればサナとこの地のマナだけでは少しばかり足りんようでな」

「…………」


 その言葉の意味をテトとサナには理解できなかったのだが、カレンにははっきりと理解できた。


「できぬのであればお主等を連れてこの場を離脱する」

「できるわ」


 即答。迷う必要もない。精霊に関することは誰よりも理解している自負がある。


(そうよね、ティア)


 胸元の翡翠の魔石を握りしめ、ウンディーネの魔力の波動を感じ取った。


「サナ」

「大丈夫。わかってます」


 数瞬遅れてウンディーネがカレンに掛けた言葉の意味を理解するサナ。


「うむ。やはりお主はサーシャによく似ておる」

「え? サーシャって?」


 聞き覚えのない名。しかしオウム返しかのように呟いた名が誰なのかということまではわからずとも、それがかつてウンディーネと深い絆にあった者の名なのだということはウンディーネが浮かべている柔らかな笑みを見ればすぐに察せられる。


(ありがとう。ウンディーネさん)


 この局面を打破するための力を貸してくれて。


(そう。私は誰かと一緒に強くなる)


 自分だけで届かなければ誰かと手を取り合えば良い。


「カレン先生」

「違うわよサナ」

「え?」

「今は生徒と教師ではないわ。あなたとわたしは共に戦う仲間よ」


 その言葉を聞いて思わず呆気に取られるのだが、移り変わるのは笑顔。


「……はいっ! カレンさん。お願いします」

「うん」


 返事を返すカレンも笑顔。そうしてサナの横に並び立ち、互いの手の平を重ね合わせた。


「やるわよ」

「任せてください!」


 同時に最大限に魔力を練り上げる。水の操作術に関しては随分と上達したものだと思うのは、あの学年末試験で最後に繰り出した魔法【水流の顎】。

 あの時点ではあれが生み出せる最大の魔法だと思っていたのだが、ここに至ってはその先、まだ上を目指せるのだと。


(わかる)


 何を説明されなくとも、何をしなければならないのか、を。

 左手のブレスレットを通してウンディーネの魔力が教えてくれる。右の手の平を通して感じるカレンの魔力がそれを可能にしてくれる。


「いきますっ!」

「ええ」


 不思議とその言葉が胸の奥から込み上げて来た。カレンにとっては二度目の感覚。


生命(いのち)の源たる水よ」

「生きとし生ける者達へ届けられる愛の水よ」


 二人で紡ぐ言霊。


「どれほど小さな命であれども育むことを厭わない水」

「時には名もなき一輪の花を照らし」

「その道筋を華々しく煌めかす」

「運命を導く役割を担う水」


 共に反対側の手を前方に押し出し、手の平を重ね合う。

 その結果、二人の左右の手の平が互いの手の平と繋がれる。円を描くようにして流れるように二人の間を循環する淀みのない魔力。その流れによって二人の目の前に生み出されるのは純粋な水の塊。


「時には荒ぶる牙となりて」

「自らが生み出した生命(いのち)をもその手に掛ける」


 大気中の水分すらもその塊の中に粒子として取り込み、瞬時に凝縮させていった。


「なにをしようとしているのか知らないが、お前達はここで神の力を得たウチによって死ぬしか道は残されていないさねッ!」


 バニシュが錫杖を大きく振りかざし、赤黒い炎の蛇【火愚殱血】が動き始める。


「神の愛をその身に刻み、永久(とこしえ)の眠りに落ちるがいいッ!」


 怒声を発しながら火愚殱血の炎が視界を埋め尽くした。


「我、サナの名の下に生まれ落ちん」

「我、カレンの名の下にその名を与えん」


 直後、凝縮させた水の塊が形作るのは青白く輝く水の蛇。


「おおっ。これはなんと見事な」


 その輝きを見るテトが心奪われる程の美しさ。神々しさを感じさせる。


(サナっ!)

(カレンさん!)


 共に横目にチラと目線を合わせる。大きく息を吸い込み、生み出されたその神秘的な水蛇の名を口にする。


「「――……(みずち)」」



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