第六百四十一話 変貌
(じゃあよろしくね)
直後、手甲に炎を灯すニーナ。
「ほぅ。ようやく出し惜しみをしなくなったのか。中々の武具と見る」
これまでカイザスの剣で傷一つつかない程の強度を誇る煉獄。しかし煉獄は防具ではなく武具。
魔力を溜め込めるのが煉獄の本領。準備は万端。
「ねぇねぇ。爆撃って知ってる?」
「何を言っている?」
「知らないんだ。じゃあ見せてあげるよ」
戦いを開始した中で戦闘と平行して魔力を煉獄に流し込むのは至難の業。それを煉獄の前の持ち主、何食わぬ顔で行えるアリエルがとんでもなく器用なものだと思っていたものなのだが、譲り受けた頃に比べればニーナも遥かに扱えるようになっている。
(さーて、あとはレオニルさんが気付いてくれるかだけど……――)
ニーナが拳を構えるのは地面に向けて。
「どこを狙っている?」
カイザスを始めとして、一体ニーナは何をするのかと全員が疑問に思うのだが、拳を振り下ろす直前、ニーナがチラと見るのはカイザスではなくレオニルへ。
((――……気づいてくれた!))
互いに重なるその思惑。
期待の通り、ほんの、ほんの僅かではあるがレオニルはニーナと目が合った。
「はあッ!」
炎を宿しながら勢いよく地面に振り下ろされるニーナの拳。ドゴッと地面が陥没する程の穴を穿つと次には盛大な地響き。
割れた地面からはまるでマグマの如き炎を噴き出しながらカイザスの方角目掛けて迫る。
「なっ!?」
突如として生じた事態に驚きを禁じ得ない。
「ちっ!」
避けるためには跳躍するしかない。
「ピィィィィ」
鋭く響くカイザスの指笛。翼竜を呼び寄せる笛。
バサッと翼を動かすカイザスの愛竜はすぐさま地面から飛び立った。その翼竜へ向けて素早く跳躍する。
(今ッ!)
ようやく見せた隙。これまでレオニルに対して一切警戒心を解かなかったカイザス。
肩から指先にかけてボゴッと肥大化するレオニルの右腕。金色の毛が包み込んだ。
「やあッ!」
瞬間。直後には全身を獣化させたレオニルは、そのまま手に持っていた槍を迷うことなくカイザス目掛けて投擲する。事前に魔力を練り上げていたことによる淀みのない、流れるような獣化。
「!?」
愛竜に飛び乗るのと同時に自身へと襲い掛かる高速の槍を目にする。
「ぐあっ!」
避ける間さえないその一投は見事にカイザスの肩を貫いた。
「やったね!」
「ええ。ニーナさんのおかげです」
すぐに獣化を解くレオニル。駆け寄って来るニーナに笑みを向ける。
「さて」
だがすぐさま表情を引き締め、上空を浮かんでいるカイザスを見上げた。
「その傷ではこれ以上戦えないでしょう。負けを認めて投降してください」
「…………」
大きく声を掛けるレオニルなのだが、カイザスは肩を押さえるのみ。
「あれ?」
そのまま両目を凝らすニーナ。チラチラとレオニルや他の風の部隊を見るのだが誰も気が付いていない。
(あれって……――)
どす黒い瘴気がカイザスより生み出されている。
(――……どう見ても魔族化、だよね?)
間違いないと断言出来た。
「ニックさん! カルーさん!」
すぐに大きく声を掛ける。
「んだよ?」
「どうかしたん?」
「すぐに皆をここから離れさせて!」
「ん?」
「へ?」
意味が解らずキョトンとさせるのはレオニルも同じ。
「早くッ!」
ニーナの怒声にニックはビクッと身体を動かした。
「わ、わかったっつーの」
ニックとカルーの指示により、疑問に思いながらも翼竜に跨っていく風の部隊。背後に立つ風の塔へと飛んでいく。
「なにか、視えたのですね?」
「うん。アレはちょーっとだけマズいなぁ」
「少しだけ、ですか。そうは見えないですが?」
声の調子とは反対に冷や汗を垂らしているニーナ。その眼に捉えるのはどす黒い瘴気を盛大に噴き出し始めたカイザス・ボリアス。
「何が、と聞こうとしましたが必要ありませんでしたね。なるほど。アレが話に聞いていた魔族化、というやつですね」
もうレオニルの目にもはっきりと見える程に具現化された瘴気。
「許さんぞ貴様ら。よくも私の身体にこれほどの傷をつけたな……」
瘴気に包まれながら肩から槍を引き抜いた。血はすぐに止まり、頭部に角を伸ばすカイザス。それはまるで竜の角。肩や背中からも鋭い突起を生やしていく。
異形へと変貌していくカイザスの変化の影響を受けるかのようにして、愛竜である翼竜も皮膚を黒く変色させていった。
(あの眼……――)
カイザスと翼竜の変化の中で、なにより信じられなかったのは、カイザスが見せた両目の眼球の変化。
(――……あたしにそっくりだ)
竜人族のニーナが見せる竜化と。
カイザスはギロリと眼球を動かすと周囲を見渡した。
「それにしてもだ……――」
バサバサと翼の音をはためかせながら、街の至るところでは黒煙が立ち昇っている。混乱の最中にある首都を襲う更なる混乱。
「――……下賎な獣人どもめ。まさかこれほどまでに、神の裁きを必要とする者がいるとはな」
その頃、首都パルストーンの入り口付近ではトリアート大森林の獣人達が群れを成して突撃しているところだった。
「貴様らの罪、万死に値する!」
視線を真下に向けるカイザス。
まるで竜の眼に変貌させたその両目で眼下にいるニーナとレオニルを捉える。




