第六百三十一話 脱走
ミリア神殿中央の塔は光の聖女アスラ・リリー・ライラックの管理下。
その最上階に軟禁されているのはエレナ・スカーレット。
(何が目的なの?)
今回の一件を裏で糸を引いていたのが魔族だったこと。ガルアー二・マゼンダの姿を目にしたことからして間違いない。
「せめて今の状況だけでも伝えられれば……」
部屋の中には窓はあるのだが結界が施されているために開けることが適わない。
「かなり強力ですわね」
指先に感じるパリッとした魔力の膜。破るのにもかなりの時間を要する。
部屋の中を見回すのだが、結界が張られていないのは扉だけ。しかし扉の前には鎧の騎士、聖騎士が立っていた。光の第四聖騎士ランス・ポルナレフ。少し前までは他の聖騎士もいたのだが、今は第四聖騎士ただ一人でエレナの見張りを行っている。
「無駄な行いはしない方が良い」
「やってみなければわかりませんわ」
威圧感たっぷりの聖騎士は不動の姿勢を貫いているのだが、目の前で構えている少女が無手であるにも関わらずその目に宿す力強さには素直に驚嘆していた。
「痛い目を見ることになるぞ」
「ふっ!」
質問に対する答えは行動で表れている。床を踏み抜くエレナの突進。手には何も得物を持っていない。無手。
「仕方あるまいか」
剣を抜くことなく、鞘ごと振り抜いた。
(やはり……――)
その行いはエレナの予想通りだった。
現在、エレナ自身が無茶な行いをしなければ相手側から危害を加えられる意思は見られなかった。それは今の攻防にしてもそう。最低限の反撃に留められている。
(――……せめてこれを絡め取れれば)
活路が見いだされるはず。
目視出来ない程ではない。振り切られる剣速は、これまで見た至高の剣士の最速の剣速よりも遥かに遅い。
「なにっ!?」
足の先から滑り込み、柔らかな動きを用いながら、振り切られる光の第四聖騎士ランス・ポルナレフの剣――鞘の先端部分を掴みきった。そのままシュッと鞘を抜き取りながら脇を転がり抜ける。
「なるほどな。こちらが抜き身になれば攻撃を仕掛けられないと踏んだか」
ギラッと部屋の明かりを反射する銀色の光沢。紛れもない殺傷力を伴った剣。
「だが甘い。抵抗が激しくなれば最悪殺してしまったとしてもそれは不可抗力だ」
「そんなわけありませんわ」
「なに?」
鞘をくるっと回転させて持ち替えると、根本を両手でしっかりと握りながら魔力を流し込んだ。それは魔法剣と同じ要領。
「なにをしようとしているのか知らんが、せめて一思いに殺してやろう」
踏み込みながら、ランスが大きく振りかぶる上段からの剣。
「はあッ!」
瞬時にぽぅっと光を灯すその鞘を、手首に闘気を集中させて前方へと思いっきり押し出した。
ランスが剣を振り切るよりも早く、魔力を宿した鞘を腹部に衝突させる。
「ご、はっ!」
鎧が砕ける鈍い音を伴いながら、ランスは苦悶の表情に顔を歪める。
「ま、まさかこれほどの実力を有していようとは……」
「女子供だからって油断は禁物ですわよ」
想定以上のダメージを負ったことで膝を折り、見下ろされる少女の顔を捉えながらランスは思わず笑みをこぼした。
「なるほど。確かに相当な実力を持っているようだな」
「それではここは通らせていただきますわね」
「好きにしろ。アスラ様は貴様が抜け出すだろうということは予測済みだ」
「……そうですの」
既に鞘を大きく横薙ぎに振り切る準備は整っているエレナ。
「では一つだけお聞きしたいのですが、あなたは魔族とどのような繋がりがありますの?」
「魔族? 何を言っている?」
「知りませんの? ではあなたはどうしてわたくしをここに?」
「主の命令に疑問など持つはずがなかろう。王女である貴様がそのような言葉を吐くか?」
「これはこれは失礼いたしました。確かにその通りでしたわね。そのような忠臣がいれば助かりますものね」
主従の関係。権力者に従順であれば扱いも楽。
「であれば、光の聖女であるアスラ・リリー・ライラック様は余程の求心力があるようですわね」
わかりきってはいたことだが、この国における聖女とはそういうもの。
「無論だ。例え民衆がどう言おうが、アスラ様の言葉は全てを善にする」
その言葉を疑うことなく信じられるということ自体がエレナにはない感覚。盲目的な信者と化している。
「…………もういいですわ」
そうなれば風の聖女イリーナ・デル・デオドールの第一聖騎士であるカイザス・ボリアスがあの聖女裁判の場であのような発言をしたことが気にはなったのだが、今はそれどころではない。
「もう少し詳しいお話をお伺いしたかったところですが、時間がありませんのであなたには寝て頂きますわね」
直後には水平に振り切られる鞘。ランスの側頭部を直撃させると、ランスは意識を失いバタンと倒れた。
「とにかく、みんなと合流しませんことには」
ランスの剣を拾い上げ、鞘に直しこむと部屋の扉をゆっくりと押し開ける。
「わたくしの脱走は想定の範囲内のようですので時間はありませんわね」
想定しているならどうして見張りをもっと付けなかったのか僅かに脳裏に引っ掛かりを覚えながらエレナは長い廊下を駆けて行った。




