第六百二十九話 信頼
(……どういうことなんだろう?)
サイバルとサナによって報告されたのは大きく分けて三つ。
一つ目は、神殿へと呼び出されたエレナ達が帰って来ないということ。それに関してはシェバンニが潜入していたことで聖女裁判の一部始終の報告があり、結果拘束されているということはわかっていた。
「まさか、彼らがそんなことをするなんて……」
それとは別に、焦燥感に駆られるレオニル。
二つ目はパルスタット神聖国の首都、パルストーンで起きた獣人による暴動。どこから始まったのかはわからないのだが、きっかけはわかっている。
聖女裁判の結果が早々に街の中に情報として洩れていた。そのため、ここ最近の獣人に対する不満があった人間による獣人虐待が加速する。伴って、風の聖女の部隊であるイリーナの部隊も一気に風当たりが強くなった。
それだけで済めばまだ良かったのだが三つ目。悪い時には悪いことが重なるのだとばかりに翼竜の暴走が起きる。騎士の制止を振り払った翼竜が街の住人に被害を生み、悪評だけが先行して大きく知れ渡った。
「まるで全て仕組まれていたかのようにな」
サイバルが見渡す獣人達の部隊。このまま街へ侵攻すれば戦火は間違いなく拡大する。それこそ獣人との共生などもう叶わない程の亀裂。
「しかし我等も後には引けん」
「それは好きにすればいい」
「思っていたより冷酷なのだな。シグラムのエルフは」
「俺達も人間に淘汰された歴史を持っている」
「なるほど。では何故人間と行動を共にする?」
ジッとサイバルを見るバンス・キングスリー。獅子王族の族長。
「それは……――」
チラとヨハン達を見るサイバルは小さく息を吐いた。
「――……なにも人間全てが悪というわけではないのでな」
「……ふむ」
全てを語られずともバンスも理解できる。
「貴様の言うことも尤もだが、この国はもう取り返しがつかない」
だからこそ侵攻していた。
「サナ。先生たちは?」
「みんなを連れて近くの町に避難させているよ」
不要な混乱を生まないように、パルストーンで騒動が起きるよりも早く、集団任務と称して遠征任務に出ている。
「さすがシェバンニ先生ね。英断だわ」
「でもね、問題もあったの」
既にそれは片付いているのだが、シェバンニ達シグラム王国の学生達が遠征任務に出ようとした際、街の外で魔物を引き連れた魔族に襲われたのだと。
その場に居合わせていたサナとサイバルはシェバンニがそれを片付けるところを見ていたのだが、どうにもその時の魔族の言葉が引っ掛かっているのだという。
(僕たちがいる方がより都合が良い、か)
足止めをするかのような言葉。その言葉の意図をなんとなくわかっていた。
(たぶん、負の感情を増大させるために)
他国の人間、それも国家間のやりとりによって連れられた謂わば来客を自国の騒動に巻き込めば相手の国がどう対応しようとも不満を露わにするのは当然。責任の追及が生じる。
「でも良かったぁ。ヨハンくん達に会えて」
ホッと息を吐くサナ。
諸々の事情をヨハン達へ伝えるためにサイバルとサナはヨハン達の帰還をここで待っていた。
「まだ終わっていないよ」
「う、うん、そうだね」
とはいうものの、一つ目の問題は解決されている。
パルストーンに戻ってからすることの一つ目は学生達の避難だった。それが意図せずとも既に行われている。
「ここからは別行動させてください」
「ああ。一時間後に我等は出撃する」
「……はい」
それまでにエレナ達の救出をしなければならない。
そうして獣人部隊より先行してパルストーンへと戻ることになるのだが、その光景には思わず目を疑った。
◆
「――…………ひどい」
幻想的な、水の都と呼ばれる観光風靡なその景観が大きく損なわれている。
大きく立ち昇っている煙。街の人間から聞こえる怒りの声。
「獣人は皆殺しにしろッ!」
しかし、足蹴にされながらも前に立ちはだかるのは同じ人間。その後ろには隷属の首輪を付けている獣人。主人が使用人である獣人を庇っていた。
「も、もうやめてくれ! こいつは何も悪いことしてないだろうっ!」
「チッ。だったらお前が代わりに死ねぇッ!」
「ぐぅっ」
腰に差している短剣を抜き、大きく振り下ろされる。
「やめろっ!」
チィンと軽く金属音を響かせると、短剣は弾かれて水路に落ちる。
「なんだ貴様ッ!?」
「すいません。今は説明している時間がありませんので」
ドゴンと響く鈍い音。
「が、はっ……」
深々と拳を突き立てる腹部。襲っていた人間は気を失う。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
治癒魔法を施しながら、助けた人間からは涙ながらに何度もお礼を言われる。
「その人のことが大切なら、今は街を出た方が良いです」
「だ、だが……」
「命は、一度失うともう戻って来ません。お仕事など、色々と悩ませることがあるのでしょうけど、今は安全を優先してください。ここにいては危険です」
事前に聞いていたとはいえ、獣人に対する憎しみが相当に膨れ上がっている。
「う……むぅ、そうだな。すまない。そうさせてもらう。いこうエイミー」
「はい。ご主人様」
「お気をつけて」
「ああ。君たちも気を付けてな」
頭を下げるなりすぐさま走り出した二人を見送った。
「私たちも、本来であればあのように手を取り合えるはずですのに」
悲し気な表情を以てして二人を見送るのはレオニル。
「では、ここから私は別行動にします」
「え?」
「わたし達のことを見張ってなくていいの?」
「必要ないでしょう? ここから先もあのように困っている人がいれば人間だろうと獣人だろうとあなた達なら救ってくれると確信がありますので」
「そんなことないわよ? もしあれがポーズだったらどうするの?」
「ふふっ。それを聞くところからして、あなた達が信用できるというものです。それに契約もありますしね」
手の平を胸に当てるレオニル。
「レオニルさんはどうするんですか?」
「私は翼竜厩舎に行こうと思っています。イリーナのことも勿論ですが、あそこには獣人も混血も多くいますので」
今は引退したとはいえ、元々は自分が率いていた部隊。気にかけて止まない。
「……わかりました。ニーナ」
「はぁい!」
「え?」
ぴょんっと跳ねて自身の隣に立つニーナを不思議に思うレオニル。
「しょうがないからあたしが一緒に行ってあげるよ」
「で、ですが」
「ニーナもあそこには頻繁にお邪魔していましたので。お世話になっていたんですよ」
「で、でも」
「それに、ニーナならきっと役に立てると思いますので」
「おもいますので!」
えへんと腰に手を当てて踏ん反り返るニーナ。
「すぐ調子に乗らないの、あなたは」
「あたっ!」
ニーナの頭頂部に振り下ろされるカレンの手。
「あなた、ドミトールでのことは忘れていないわよね?」
「ドミトール?」
顎に指を持っていき、首を傾げるニーナ。
「あ・な・た・ねぇっ!」
「う、うそうそっ! 嘘だって! あたしがサリーさんのこと忘れるわけないじゃん!」
「まったくもうっ! ほんと危機感ないわねあなたは」
これだけの事態にも関わらず、ヨハンも含めて余裕の態度を見せていることがレオニルには殊更不思議でならない。
「あなたたち、その歳でどれだけの経験を積んでいるのですか?」
思わず問い掛けたくなる程。
カレンとニーナとサナは顔を見合わせる。
「彼は相当よ」
「お兄ちゃんはすっごいよ」
「ヨハンくんには負けますけど」
共に笑顔で答えた。はっきりと断言、即答することに呆気に取られる。
(それだけ信頼されている、ということなのでしょうね)
羨ましさすら感じるその信頼。
「わかりました。ではニーナさん、一緒にお願いします」
「りょーかい!」
ピシッと額に手を持っていくニーナ。
「ニーナ、くれぐれも無茶はしないように」
「お兄ちゃんもね」
「大丈夫だよ。じゃあまた後で」
「うん」
そうしてニーナとレオニルとはパルストーンの入り口で分かれることになった。




