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第六百十五 話 獣人の集落

 

 トリアート大森林。

 パルスタット神聖国とメトーゼ共和国の国境に位置する大森林は大昔より多くの獣人の住む場所とされていた。

 歴史的な背景は冒険者学校の授業はもちろん、歴史書などで確認できるのだが、何より人魔戦争を視て来たからこそより理解できる。


 当時は獣魔人と呼ばれていたのだが、シェバンニによると人魔戦争以降に手を取り合うようになったのだと。その証明として主にメトーゼ共和国で獣人との共生を行い、人魔戦争を終結に導いたパルスタット連合軍――中心となった当時の中立国であるパルスタット神聖国の聖女、つまり風の聖女に獣人やエルフを置くことになっていた。

 人魔戦争を終えた後の風の聖女は風魔法が最も長けた純血のエルフが務めていたのだが、代を重ねるうちに獣人の血も混ざり、その頃より翼竜を用いた部隊の編成が成されていったのだと。

 そうして現在に至る。


「カレンさんはどう思いますか?」

「確かにその可能性は否定できないわね」


 まだ推測でしかないが、これまで得た情報による見解。

 先代火の聖女が獣人との抗争により殺されたことが今回の発端になっているのではないのかと。それが当代の火の聖女であるバニシュ・クック・ゴードがイリーナを排除しようとしたのではないか。


「でも、それだと次の聖女をどうするのよ?」

「……それはわかりません」


 全て憶測でしかない。それにこれ以上の介入がどれほどできるのか。今は審問の結果を待つことしかできない。


「ねぇお兄ちゃん、あっち」


 ぴょんと木の枝から飛び降りるニーナ。遠くを指差す。


「何か視えたの?」

「ううん。なんかね、すっごい良い匂いがするの!」

「「…………――」」


 思わず無言になるヨハンとカレン。


「――……魔眼で視えたわけじゃないんだ」

「あなた目より鼻の方が良いのじゃない?」


 底なしの食い意地に呆れるしかない。


「早く行こうよっ!」


 目をキラキラさせて腕を引くニーナ。


「ちょ、危ないって。何が飛び出して来るかわからないんだし」

「だいじょうぶ。そのあたりはちゃんと視てるから!」


 二人の後ろ姿を見ながら呆れつつ歩き出すカレン。


「ほんと、憎めないのよねこういうところ」


 例えヨハンとニーナの親同士が結んだ婚約だとしても、自身の立場を主張できずにいたのはカレン自身もニーナを好きになってしまっているのだから。


 ◆


 ニーナに連れて行かれた先には、小さな集落。地面の上だけでなく、木の上にいくつも家が建てられていた。


「何ダお前達ハ!?」


 集落に一歩踏み出すと、集落の中からイヌ耳の獣人が剣を握り駆けてくる。


「ニンゲンが何しにココに来た!?」


 明らかに警戒心を高めている様子。


「すいません。この子がここから良い匂いがするって言うから」

「良い匂いだト? 確かニ食事の匂いはスルが、村の中でもほとんど匂わないのにニンゲンに匂えるハズがないだろうッ!」

「彼女は竜人族で鼻がとても良いのよ」

「竜人族だと!? こんな小娘がか? ハッ! 嘘ヲつけッ!」


 ブンッと勢いよく振り下ろされる剣。


「ニーナ」

「はぁい」


 ヨハンの声に同調するニーナはスッと目を閉じると、すぐに目を開けた。


「ナッ!?」


 そこには先程までの黒目がなくなっており縦長の黄色の眼。まるで竜の眼。


「ほいっと」

「ぐあっ!」


 振り下ろされる獣人の剣を見極め、手首を蹴り上げる。


「これでどう?」

「ぐっ、ぐぅっ」


 獣人は手首を押さえながら膝を着き、顔を上げながらニーナを見るその眼差しには確かな恐れを抱いていた。


「ソノ眼に今の動き…………ま、マサカ本当に竜人族ダトでもいうのカ……」

「だからそうだって言ってるじゃない」


 膝を折りながら、ぐっと顔を近付けるニーナ。蛇に睨まれた蛙どころか、それはさながら竜に睨まれているかの様子。目の前の獣人はガタガタと震えだしていた。


「ちょっとニーナ。やり過ぎだよ」

「はぁい」

「っ!」


 ニコッと微笑むニーナが顔を離すと、イヌ耳の獣人は大きく息を吐き出す。


「はぁっ……はぁっ。お、お前たちハ……ナニモノだ?」

「手荒な真似をしてごめんなさい」

「向こうが先に手を出して来たのだけどね」

「す、すまない」

「あの、それでですね、ちょっと赤狼族について教えて欲しいのです」

「赤狼族、だト?」


 震えを抑えながら、獣人は疑念の眼差しを向ける。


「あら? そこにいるのはニーナちゃんじゃないの。それにヨハンくんとカレン様も」

「あっ! ローズさん!」


 ダッと駆け出すニーナは集落の中から姿を見せた黒いローブの女性、ローズに抱き着いていた。


「あら? 思ってた反応と違うわね」


 ニーナの頭を撫でながらヨハンとカレンを見るローズ。


「ローズさんがここにいるってことは偶然じゃないですよね?」

「偶然よ? 普通こんなところで会うわけないじゃない」

「そういうことじゃないですよ。偶然だったのは昨日の方で、今日は必然ですよね?」

「ってことは、気付いたから来たのね?」

「はい」


 ニコッと微笑むローズに対して小さく息を吐くヨハン。


「やっぱりあなた達だったんですね」

「ええ。その通りよ」


 その言葉の意味。

 昨日、獣の仮面を着けて赤狼族の救助に現れたのがローズ達S級冒険者であるペガサスなのだと。

 それはヨハンが抱いた可能性の通りだった。



 ◆



(テト様が危惧されていた通りのことが起きた)


 ミリア神殿内を歩きながら深刻な表情を浮かべているクリスティーナ。


(まさかイリーナが獣人をけしかけただんて、そんなことあるはずがないわ)


 獣人の血を引く風の聖女であれば赤狼族も聞く耳を持つだろうという提案がなされたことでイリーナは大森林へと赴いていた。


「あらぁ? そんな険しい顔をしてどうしたんですかぁ?」


 不意に聞こえる声に対して顔を上げる。


「……ベラル様」

「クリスティーナ。イリーナの件は残念ですぅ。まさか獣人と共謀していただなんてぇ」


 手の平を頬に当て首を傾ける土の聖女ベラル・マリア・アストロス。


「ベラル様は……――」

「んー?」

「――……いえ、なんでもありません」


 問い掛けようとしたのだが、クリスティーナは思い留まる。


(イリーナが大森林へと向かうよう教皇様に進言したのはベラル様だと)


 適任だとしたのだが、そのベラルが今回の一件にどのような見解を抱いているのか聞きたかった。


「そんなことよりクリスティーナ」

「はい」

「明日には聖女裁判が行われますので意見をしっかりとまとめておいてくださいませぇ。あなたは聖女裁判は初めてでしたよねぇ?」

「……はい」

「中途半端な意見ですとぉ、バニシュに言及されますので努々(ゆめゆめ)お忘れなきようにぃ」


 スッと横を通り抜けるベラルはニコリと微笑む。


「…………はい」


 顔を俯かせながらのクリスティーナの返答。

 イリーナのことは信じていたい。風の聖女に就いた当初、五年前の言葉に嘘はないはず。


『わたしはレオニルや歴代の風の聖女のように、獣人と人間との懸け橋になりたいと常々思っている。それに、この耳を持って生まれたことにも意味があるはずだ』


 エルフの最大の特徴である長い耳を指で摘まむイリーナ。


『その意味について随分と考えた。今のこの敵対関係は適切ではない。かつての歴史を紐解けば既に手を取り合う関係にある――いや、違うな。手を取り合う関係にあったのだ。それこそ隷属の首輪などなかった時代には、あのようなものをそもそも必要としなかった。だがここ最近はどうだ。特にこの十年程は使用頻度が劇的に上がっている。恐れを抱く者が使用をし、それに便乗するように尊厳を踏みにじる者までいるのだ。奴隷と揶揄する者がいるようにな。このような関係性は歪な関係だ』

『そう、よね。安全の為には仕方ないとはいっても、それでも不自由は生まれるものね。それに現に風の部隊はあれを必要としていないもの』

『ああ。こんなこと、クリスだから言えるのだ。他言しないでくれよな』

『もちろんよ』

『ありがとう。だから、いつかこの国を変えるそのためにクリスもわたしに手を貸してくれないか?』

『ええイリーナ。私がテト様の跡を継いで水の聖女になってみせるから、その時は絶対、ぜったい、絶対力になるわ!』


 思い返す当時の会話。


(――……イリーナ。そうよね。私は信じているから)


 あの時の言葉に嘘はなかったはずだと、決意を胸に宿してクリスティーナは足を踏み出した。


「うふふ。あの様子だとぉ、クリスティーナは間違いなくイリーナの味方をするわねぇ」


 そのクリスティーナの後ろ姿をベラルが微かに首だけ振り返り見送る。


「そうすればアスラ様はいったいどうお考えなさるのでしょうかねぇ」


 前を向き、カツカツと廊下に足音を響かせ歩いて行った。



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