第六百十一 話 突き付けられる選択
「風の膜」
「水の膜!」
声と同時に炎の前に巻き起こる風と水の膜。ヨハン達へと迫るサラマンダーの業火は僅かの熱気を残して掻き消される。
「びっくりしたぁ。大丈夫だった? ヨハンくん?」
「うん。ありがとうサナ」
水の膜はサナによるもの。そして、もう一つの風の膜はイリーナ・デル・デオドールによるもの。
「彼らはまだしも、そこな野蛮な獣人を庇うのかいイリーナ? 罪に罪を重ねるとは恐れ入る」
「……なるほど。そうくるのか。まいったなこれは」
髪の毛をかくイリーナ。バニシュの言い方は、まるでヨハン達を無視しているような物言い。
想定はしていたが、淡々とした言動と行動に不満を抱くヨハンはバニシュへと鋭い視線を向ける。
「バニシュ様。教えてください。どうしてこんなことを?」
「ふむ。これだけの状況に陥っても冷静に問いかけてくるあたり、坊やはこの場を危機と捉えていないのか。胆力は中々のものさね」
「そんなことありませんよ。ただ……――」
返事をするものの、思考を巡らせていた。
(今の一撃、僕たちが死んだとしてなんとも思っていないんだ)
シグラム王国からの客人であり、昔馴染みのミモザが紹介したヨハンに対しても一切の躊躇なく繰り出された攻撃。威力もかなりのもの。
「――……ただ、わけもわからず人が殺されるのを見て見ぬふりができなかっただけです」
「なるほど。獣人を人として見ているのか。だが、それは賢くないさね。賢く生きないと早死にしてしまうよ? ほらっ、リオンを見習うと良いさね」
この場に後から駆け付けた中でただ一人、リオンだけが身動き一つ取れないでいた。
「いくら落ちこぼれとはいえ、ここで手を出せばクリスティーナにまで影響を及ぼすというのはさすがに理解しているみたいだね」
「ぐぅっ……」
リオンが悔しさを噛み締めているのはその様子から容易に理解できる。
だからこそテトはヨハン達へと依頼を出していた。国家として最大の権力に位置する五大聖女の二人のやりとりに、落ちこぼれと揶揄されるリオンどころか、他の誰であってもこの場に割って入ることなどできはしない。できるとすればそれこそパルスタット王家か、もしくは教皇や光の聖女といった程度に限定される。
「さて。先程のは神の意に背いた神罰を下そうとしたのだが、神は実に慈悲深い。ここで一つ提案をしようではないか」
「提案、ですか?」
「彼ら風の部隊はこともあろうか、奴らをけしかけて我が国の町を襲撃させた。これは紛れもない事実だ。その証拠にイリーナはここで密会をしているさね」
「…………」
真実は定かではないが、何も言い返せない。状況を覆せるだけの言葉を持ち合わせていない。先程のやり取りからして、どのような言葉を返そうとも証明できない以上嫌疑はかけられ続ける。
それがわかっているからこそイリーナは不要な反論をしない。
「そこでだ。ここで坊や、ヨハンくんに一つ課題を出そう」
「課題……ですか?」
「ああ。そこにいる獣人のうちの一人でも殺せば先程のことを不問に処そう」
「なっ!?」
「もちろん火の聖女の名に於いて、な」
背後にいる赤狼族の戦士は驚きに目を見開いていた。
「そんなことできるわけないでしょ!」
「お嬢さんには聞いていないさね」
「なんですって!?」
「威勢が良いようだけど、キミたちのリーダーは彼なのだろう? ならば彼が責任を取るべきだ。先頭に立つ者は常にその責任が付きまとう」
錫杖の先端をヨハンに向ける。
「お言葉ですが、モニカの言う通りです。僕にはできません。できるようであればこの場に割って入っていませんよ」
「……ふむ。それも確かにそうだな。ならばガウ。お前が相手をしてやれ」
「畏まりました」
チャッと槍をすぐさま構える火の第三聖騎士のガウ・バードリーには迷いの一切がない。
「……ガウさん」
「お客人。こんなことになって非常に残念ではありますが、お覚悟を」
鋭い気配を放つガウは槍の先端をヨハンへと定めた。周囲に目を送るヨハンが考えるのは、単独ならまだしも、この場に逃げ道など残されていない。
(やるしかないのか)
応戦する様にゆっくりと剣を構える。
周囲を取り囲む火の部隊。他にも風の部隊もいるのだが、動向を見守るばかり。
「いきますっ!」
先に仕掛けるのはヨハンの方。機先を制する。躊躇すると逆にやられる。
「速いッ!?」
ガウが驚愕を示しながら槍を一突きするのだが、それを突進しながら半身で躱した。
「ふッ!」
そのまま懐まで飛び込み、振り上げる剣戟。ガウは慌てて後方に飛び退く。
「っ…………」
飛び退いた先でガウが胸の辺りを擦る。そこには金属鎧を易々と切り裂いている痕。指先で触るとピッと皮が切れる程の鋭利さ。
「お客人、強いな」
「ガウさんこそ、今のをよく避けられましたね」
「本気で当てる気のない剣だ。流石に避けられるさ」
確かにガウの言う通り、殺す気で振った剣ではない。ここで殺してしまえば獣人を殺す事と大差はない。あくまでも狙いは戦闘不能に陥らせること。とはいえ、どこまで制御して応戦できるか。
「バニシュ様。彼はいったい?」
バニシュの横に立つユリウスは冷静に問いかけてはいるものの、心中穏やかではない。
第三といっても、風の聖騎士を務めるガウ・バードリーがたったの一合の撃ち合いで劣勢に立たされているというのだから。
「ウチも知らんさね。しかし、聞くところによると、どうやらS級にいるらしいよ坊やは」
「なっ!?」
「聞いていないかい? 先日ドローネがミンティアで冒険者に倒されたというのを」
ミンティアはヨハン達に提供されている宿の名前。僅かに眉を寄せるユリウス。
「はい。聞き及んでおります。しかしドローネは酒に酔って動きがままならなかったと」
「諸々の都合でそう言ってはいるが、そう言わざるを得なかったさね。その相手があの坊やなのでね」
「…………では、ドローネは実力で敗北した、と」
「ああ。ウチもにわかには信じられなかったが、ベラル様がそうおっしゃられたのだ。あの方のお言葉なのでそれ自体は信じてはいたものの、しかし、この分だとどうやら間違いはないようさねぇ」
「なるほど。類い稀な実力者の部類で間違いなさそうですね。ではそうなると、分が悪いですか。ならば私も――」
聖騎士が立て続けに敗北を喫するわけにはいかない。他所の部隊の敗北ならまだしも自身の部隊であれば尚更。
「――チッ!」
加勢するように参戦しようとしていたユリウスなのだが、すぐさま騎士剣を抜き放つなり後方に向けて振るう。
ユリウスの剣によって切り払われたのは赤と青の魔力弾。
「誰だっ!?」
大きく声を発し、森の中にユリウスの声が反響した。




