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第六百五  話 閑話 アイシャの過ごし方③

 

 ランスレイ家食堂。五人の使用人が並ぶ中、ネネの姿もそこにあった。


「お待たせしましたセリスお嬢様」

「え? もうできたの!?」


 食堂で料理が出来るのを今か今かと楽しみにしていたセリスなのだが、想定していた時間よりも遥かに早い。今待った時間と同じ程度は待つつもりでいた。

 いったいこんな短時間でどのような料理を用意したのか気になる中、そうして銀台車から取り出されるのは三つの食器。銀蓋――クローシュが被されている。


「三品作ったのかしら?」

「それは、食べてみてのお楽しみ、ということで」

「はぁ……?」


 どう見ても三つにしか見えない。しかしアイシャの表情を窺う限りそうは思えなかった。


「まずはこちらをどうぞ」


 カチャっと目の前に置かれた小皿。そのままクローシュが外されると、一つ目に出てきたのはサラダ。


「普通のサラダ、よね?」


 どう見ても普通。サラダに何か違いが生み出せるのかと、疑問符を浮かべながらセリスはフォークで口に運ぶ。


「おいしぃ!」


 パアッと表情を明るくさせるセリスを見て、アイシャはにッと口元を緩めた。


「でもなんだか不思議な味がしますわね」

「こちらのサラダには岩塩をまぶしてあります」

「がんえん?」

「はい。内陸にあるカサンド帝国だからこそ採れるものです。普通の海塩とは異なり、風味豊かでまろやかな食感を味わえます。色々調味料は確認させていただきましたが、普段と違うものを食べて頂きたいと思いましたところ、たまたま鞄に入っていましたので使用させてもらいました」

「へぇ……」


 感嘆の息を漏らすセリスはサラダの入った皿に視線を落とす。


(良かったぁ。持ち歩いてて)


 アイシャはたまたまと言ったものの、普段から持ち歩いていた。明確な用途があったわけではないのだが、冒険者が装備を肌身離さず持っているように、アイシャからすれば調味料はそれと同じ。


「それでは続けて二品目です」


 続いてセリスの前に差し出されたのはソースのかかったローストビーフ。


「ごくっ……――」


 サラダ一つとって違いを生み出したアイシャの腕の確かさに、セリスは期待せずにはいられない。舌の上に唾液を生み出しながらローストビーフを一刺しして、ゆっくりと口へと運ぶ。


「――……美味しいっ!」


 口に入れた直後に感じる想定以上の柔らかさ。そのセリスの様子を見ながら笑みを浮かべるアイシャははっきりとした手応えを得る。


「お口に合って良かったです。こちらは味の工夫はそれほどしておりませんが、火加減と湯煎の時間に工夫を凝らしています」

「それだけ?」

「はい。それだけです」

「でも、今まで食べた中でも一番と言ってもいいぐらいに美味しいのだけど?」

「ですが、それだけとは言っても、お肉の調理は火加減や湯煎一つでお肉は劇的に生まれ変わります。お肉はそれだけ奥の深い料理です。幸い食材自体はかなりの物が揃っていましたのでそれだけの工夫で違いを生み出せました」


 これはミモザから教えてもらった事。アイシャは知り得ないのだが、火が苦手なミモザだからこそ料理を美味しくさせるため火加減に最大限の工夫を凝らしていた。磨き上げたその技術を教えてもらっている。



「はぁ。美味しかったぁ」


 そうして残すことなく食べきるセリスは最後の一つに目を向けた。


「あとはデザートってことなのかしら?」

「はい。その通りです」


 最後に出されたのは溶けないようキンキンに冷やされた氷水の中に浸けられた小さなカップ。その中に入っているのは白く丸い物体。


「これは、アイスクリーム?」

「はい」

「凄いわね。こんなのまで作れたの!?」


 アイスの精製は料理に精通していなければできはしない。それを自身とそう変わらない少女が事も無げに言い放つ様には驚きしかない。


「お世話になっているお店に教えて頂きましたので」


 ガトーセボンの目玉商品。まだ完全にものにしたわけではないのだが、それでも十分な出来栄え。

 期待に胸を膨らませたセリスはスプーンを口に運ぶ。


「これも美味しい!」


 一口食べただけで恍惚な表情を浮かべるセリス。濃厚なアイスの舌触りは文句のつけようがない。まさに感無量。


「まだ終わっておりませんよセリスお嬢様」

「え?」


 スッと目の前に差し出されたのは小瓶に入った黒い液体。


「これは、なにかしら?」

「これをアイスにかけてお召し上がりください」

「これを?」


 疑問符を浮かべるセリスは僅かに躊躇してしまう。料理に対して黒という色味がよくなかった。


「ご心配ありません。これは黒蜜というものです」

「蜜? 蜜にしては……」


 蜂蜜とも違う。確かに黒と名前は付いているのだが。


「無理に使って頂かなくともいいのですが、これを使う事でそのアイスは絶品の仕上がりになりますので」


 ニコリと微笑むアイシャに疑念の眼差しを向けるセリス。

 しかしここまで美味しい料理を作れるアイシャが絶品と言うからには試さずにはいられない。

 離れたところに立つネネに視線を向けると、ネネは小さく頷いていた。


「では……かけます」


 勇気を出して、ゆっくりとアイスにかけると、蜂蜜よりもとろみは少ないのだが、確かに蜜には違いない様子。


「いただきます……――」


 口に近づけると、それよりも先に僅かに鼻腔に差し込む甘い香り。どのような味がするのだろうかと興味は湧いてくる。


「――……なに、これ?」


 口に入れた瞬間、口腔内に広がる圧倒的な甘み。初めて得る感覚。


「お気に召したようで何よりです」


 感想など聞かなくとも、その顔を見れば一目瞭然。頬に手を当てるセリスは今日一番の蕩けた顔を見せている。


(よしっ!)


 小さく握り拳を作るアイシャ。どんなもんかと。


「アイシャさんっ!」


 ガタンと勢いよく立ち上がるセリス。その動きに思わず身体をビクッと震わせる。


「ど、どうかされましたか?」


 思わず言い淀んでしまうのは、立ち上がる勢いそれだけでなく、眼光鋭く睨み付けられていた。



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