第五百九十五話 翼竜厩舎
翌日、ヨハンの隣を歩くのは笑顔のニーナ。後ろには談笑をしているクリスティーナとカレン。
「あんまり無茶はしないでよねニーナ」
「わぁかってるってぇ。心配性だなぁお兄ちゃんも」
先日、リオンによって街を案内されていた中に翼竜の厩舎があった。翼竜に乗りたいというニーナの希望を早速叶えてもらえるという形で厩舎へと向かっている。
厩舎は神殿の近くにあり、通常は風の聖女の騎士団員しか立ち入ることを許されていない場所。理由はもちろん翼竜を下手に刺激しないということ。
「そういえば、今日は面白いものが見れますよ」
「おもしろいもの?」
「ええ。翼竜レースです」
「翼竜レース?」
元々はその技能を磨くためのものなのだが、次第に熱が入っていった団員たちにより徐々に競い合うというものになっていったのだと。
「現在、一番速いのは彼です」
ひゅんッと物凄い勢いで空を飛ぶ影。神殿の塔をグルッと旋回していった。続けて五頭の翼竜が追いかける。
「風の聖騎士の条件には強さは勿論ですが、翼竜の操舵術も必要となるのです」
筆頭守護聖騎士を務めるカイザス・ボリアスがそうなのだと。
「なるほど。でもそれって、単に速い翼竜に乗ればいいっていうこととは違うんですか?」
「それは……――」
「それは違うな」
翼竜レースを地上から見上げていたところで聞こえてくる声。
「イリーナ」
「よく来たな」
クリスティーナが疑問に対する説明をしようとした中で言葉を差し込んできたのは風の聖女イリーナ・デル・デオドール。
「さて、今の話だが、先日簡単ではないと説明したのがその辺りのことだ。ただでさえ乗りこなすことすら難しい上に一定以上に速い翼竜ともなれば判断の速さに勇気などの胆力はもちろんかなりの素質も必要にもなる」
何人もの騎士たちが翼竜の世話をしている厩舎の間を通り抜けながら説明される。いくら大人しいとはいえ、翼竜自体に認められなければそれも適わないのだと。
「でも、認められるって具体的にはどうすれば?」
「それに関してはいくらか方法がある」
幼体の頃からの信頼関係を築くのが一般的であるのだが、成体ともなれば互いの相性も必要になるのだと。
「それに、中にはわたしでさえ手懐けられない程に厄介な個体もいるからね」
「あの子のことよね?」
「そんなのがいるんですか?」
「ああ。わたしやカイザスの他に何人も挑戦してみたのだが誰も乗りこなせなかった」
空を飛ぶどころかそれ以前の問題なのだと。背に乗るなり振り落とされる始末であり、乗り手がいないので厩舎でただいるだけという翼竜。
「まぁその話は関係ないね。さて、こちらがまだ幼い翼竜たちになる」
目の前の檻の中にいるのは生後一年未満の個体。他の翼竜よりも一回り小さな体躯は、空を飛ぶこと自体に問題はないのだが、まだ人間を乗せて飛ぶことに慣れていない翼竜。
「……かわいい」
近くには生まれたての小さな翼竜。まだ翼が十分な大きさになっていないのは勿論、愛くるしいつぶらな瞳。想像以上の可愛さにカレンは母性をくすぐられていた。
「可愛いだろ? しかし気を付けて欲しい。不用意に手を伸ばすと腕を食いちぎられるのでね」
「……え?」
手を伸ばそうとしていたカレンはピタと腕の動きを止める。
「危なかったですね」
「……え、ええ」
目の前ではガチンと顎を閉じている翼竜の幼体。鋭く光る牙。冷や汗を垂らすカレン。
「もう。相変わらず意地悪ねイリーナは」
「いやいや。実際にその怖さを経験してもらわないといけないからね。しかし心配しなくとも、今日乗ってもらうのはわたしやカイザスと一緒だし、成長した十分に教育が行き届いた個体だ」
また別の場所にその個体がいるのだと。
「あれ? ニーナは?」
ふと一番翼竜に興味を示していたニーナの姿がないことに気付く。
「あははははははっ! くすぐったいってばぁ!」
すぐさま聞こえてきた笑い声。それはニーナの笑い声だった。
「ちょ、ちょっとニーナ! なにしてるの!?」
「ば、バカなっ!?」
イリーナが思わず目を見開いて驚きを露わにするのは、ニーナの姿は檻の中にあった。クリスティーナも手の平を口に当てて言葉を発せないでいる。
「あなた平気なの?」
「え? 平気ってなんのこと?」
困惑するクリスティーナを余所に苦笑いするヨハンと手の平を額に当てて天を仰ぐカレン。話を全く聞かないで檻の中へと入っていったのだと。目を離した隙にまた勝手に動いていた。
「そ、そんなことより、なんともないのか?」
「なんともないって? かぁわいいよねぇこの子達」
「……なんということだ」
あまりにも呆気なく、無邪気に翼竜と触れ合うその姿に小さく声を漏らすイリーナ。
しかしヨハンとカレンにはその理由になんとなく思い当たることはある。
「たぶん、竜人族だからなんでしょうね」
「……それ以外に考えられないわね」
一説には竜の血を引くとも云われている竜人族であれば目の前の光景にも不思議はない。
「この子は竜人族なのか?」
「え? はい。そうですけど」
「そうか。ならば納得した。確かに竜人族ともなれば好かれることもあるだろうし、そういった例はわたし自身が証明している」
「それって?」
「イリーナには獣人の血も混じっているのよ」
「ああ。この赤い髪、これは獣人の血によるものだ」
イリーナが指先で摘まむその髪。二色の髪色にも理由があった。
「元々、風の聖女は獣人の血を引いていなければならない。どうしてそうなのかという発祥は良く知らないがね。昔は違っていたらしいのだが、わたしが知る限りではそうなっている」
獣人の血があることで翼竜が懐きやすいのだという。加えて風魔法に長けている必要があるのだと。
「ちょっとおかしいわね」
「はい」
そっとヨハンへと小さく耳打ちするカレン。
「あの当時、風の聖女は普通の人間でした」
「ええ」
普通といっても風魔法に長けていることには変わりはない。だが、獣魔人と呼び獣人を忌避していたのはスレイやミリアといったいくらかの人間を除いて全てがそうだった。
「だとすれば、あの後に変革が訪れたみたいね」
カレンの見解。獣魔人――後の獣人と呼ばれる種族と手を取り合うことになったことが起因しているのだと。
(でも、だったらアレは?)
疑念が生じているのは矛盾。昨日聞いた話によれば現在獣人と共生しているメトーゼ共和国との折り合いが悪いという話。加えて救いや施しという名により獣人を隷属させている制度。
しかし聖女とも呼ばれ、国の象徴と言っても過言ではない存在に獣人の血が流れている必要があるのだというのだから。
(関係、あるのかな?)
国内に於ける不穏な気配に関係があるのかないのか、今のところは判断がつかない。
頭の片隅に置いておきながら、驚愕を示すイリーナはそれから後ニーナに翼竜の乗り方を指導していく。
結果、当然の如く、当たり前のようにして翼竜の成体を乗りこなしたニーナはその後で開かれた翼竜レースの新人戦で見事に優勝をかっさらっていった。
◆
「にしても驚きよねぇ。まさかバニシュが聖女になっていただなんて」
その頃、街の喫茶店でテーブルに腰かける三人の女性。
「こっちこそびっくりしたさね。まさかミモザとアリエルにまた会えるだなんて思ってなかったからさ」
「しかし、生きていたとは驚きだ」
「ちょ、ちょっとアリエル!」
「なんだ? ミモザもそう思うだろう?」
「そ、それはそうだけど」
困惑するミモザの視線の先にはカップを口に運ぶバニシュ――火の聖女。
「まぁ……――」
カチャッとカップを置きながらバニシュは小さく笑う。
「――……そう思っても当然さね。ウチ自身が一番そう思っていたんだから」
苦笑いを浮かべていた。




