第五百九十四話 テト様
小舟を浮島に付けて地面へと足を下ろすと、クリスティーナは小さな家屋のドアを開ける。
「テト様。お客様をお連れしました」
「いらっしゃいクリス」
家の中、窓際で椅子に揺られていたのは白髪の女性。見るからに穏やかな風貌。
「ふむ。話には聞いていたのだが、本当に子どもなのだね」
ゆっくりと立ち上がり、ヨハン達の前に立つ先代水の聖女テト。
「はじめまして。突然の訪問、申し訳ありません」
「長旅で疲れているだろうにそんなに急がなくとも。とにかくそこにかけなさい。クリス」
「もう用意していますよ」
勝手知ったる様子でお茶の用意をテキパキと始めているクリスティーナ。
そうして木卓へと腰かけると、人数分のお茶を淹れ終えたクリスティーナはテトの横に座る。
「さて、そちらの用件は魔王の存在とそれに類する英雄譚を聞きに来たのだね?」
「はい」
実際的にはその大部分を過去見として目にしているのでその必要はないのだが、知りたいのは他に何か情報がないかということ。
「話をする前にだが、クリスがここへ連れてきたということは、この子達に依頼を出したということでいいのかい?」
鋭い視線を隣に座るクリスティーナへと向けるテト。クリスティーナは無言で小さく頷いた。
「どちらの話をするにせよ、お前たちは魔族という存在を知っておるかの?」
次にはヨハン達へと視線を向けるテト。
「は――」
「はい。知っています」
ヨハンが返答しようとしたのだが、それよりも先にはっきりと口にしたのはモニカ。
「シグラム王国でも魔族が現れています」
「ええ。詳しくはわからないのですが、相容れぬ存在だと」
「ふむ。この辺りを知っているともなれば話はいくらか省けるというものだね。わかった。では先にこの国の歴史から話すとしよう」
そうしてテトはパルスタット神聖国の歴史について話し始めた。
話の内容は二千年の歴史を持つというこの国に於いて、大きな転換期が訪れたのがおよそ千年前なのだと。魔族が多数存在する中で、魔王という存在が確認され、それを封印したのが初代シグラム国王、と。
「ご存知だったのですね」
「今は互いの国交はほとんどないが、大昔にはそれなりにあったと伝わっている。今回の飛空艇の運用に関してもそれに類するものだが、しかし当時とはまた大きく意味合いは違うがね」
パルスタットにおける伝承はシグラムに伝わっている以上に正確なものだった。
「さて、ここで魔族という存在だが。これに関しては詳細が不明だ。しかし、人間を根絶やしにしようとする思想だと聞いておる。世界のどこかには魔族の国もあるのではなどと云われておるが、諸説あるのでどれが事実なのか、それともどれも事実ではないのか確認のしようはないのだがね」
テトが話したその内容に関してはヨハン達も既に大賢者パバールからいくらか聞かされている内容と一致していた。
(余計なことは言わない方がいいんだろうけど)
元々、魔族が負の感情を増大させて、禁術を用いて転生する存在なのだということ。しかしそれ以前、種としての魔族という存在がいたのは人魔戦争よりも遥か以前、獣魔人――今の獣人達が迫害を受けるよりも以前に先に迫害され、人間と争っていたのが魔族という種なのだと。
◆
シグの石像――名前までは正確に伝わっていなかったのだが、ミリア神殿の名の由来、初代光の聖女の名だということは語り継がれていた。
「さて、おおよその話はこんな感じなのだが、面白かったかね?」
「はい。ありがとうございます」
「ふむ。それで、次にはこちらの話だが、クリスからどこまで聞いておる?」
「あっ、えっと……この国で穏やかならざる気配を感じたので、それの調査をして欲しいと」
「ああ。その通りだ。なに。出来る範囲で構わないのでね」
「思い当たることはあるのですか?」
問い掛けると、テトとクリスティーナは僅かに顔を見合わせる。
「……あまり多くを伝えすぎるのも良くないだろうね。この国も色々と抱えていることはあるのだが、今はお前たちの思うがままにして欲しい」
「わかりました」
そうして他に聞いた話では、現在パルスタット神聖国は隣国のメトーゼ共和国――シグラム王国とも国境を有する国と臨戦態勢にあるのだと。
その理由は獣人に関する扱いのことであり、獣人を奴隷同然の扱いをするこの国に対して反感を持っているのだと。
「向こうの言い分も理解はできるのだが」
「パルスタット神の教義に倣って生活を送ってもらっていますので」
「それはわたくし達にはどうしようもありませんわね」
国家間の小競り合いに関しては関与のしようもない。下手に介入すればシグラム王国まで飛び火してしまう。
「ええ。ですのでそういったことがあるとだけ心に留めておいてください」
「わかりました」
一通りの話を聞き終えた後に先代水の聖女であるテトの家を後にした。
「それにしても、不穏な気配ってなんだろうね」
「この辺りはカレンさんとニーナを頼りにするしかありませんわね」
精霊術師としての探知能力と魔眼の使用。ヨハンも魔力感知はできるのだが、二人に比べれば精度は低い。
「ではよろしくお願いします」
「おやすみなさいクリスティーナ様」
「あの……」
「どうかされましたか?」
神殿まで戻ったところで僅かにもじもじとした様子を見せるクリスティーナ。
「い、いえ、もしヨハン様達がよろしければ、こういった場ではクリスと呼んで頂ければ。公の場ではそうもいかないでしょうが、テト様のような親しい方からはそう呼ばれていますので」
恥ずかしそうに口にしながら上目遣いで見られる。
「わかりました。では、クリス様とお呼びさせて頂きます」
「ありがとうござます! ではまた明日」
「はい。また明日」
そうして神殿の中に入っていくクリスティーナと別れ、教えられていた場所にある宿に向かった。宿は学生たちと違い、街の中でも一際高級な宿が用意されており、その高級感に思わず若干の気が引けたのだが、国賓を迎えるのだから受け入れなければならないというのはエレナの談。
「それではごゆっくりなさってください」
隷属の首輪を付けた獣人の女性に案内されると、部屋の中には既にレインの姿。
「どうだった?」
「さすがにまだ何もわからないよ」
「ま、しゃあねぇか」
「レインは明日はマリンさんの方だね」
「んだな」
翌日以降、各自自由行動となっているのだが目的は二つ。
呪いを解くヒントを探す事と、国内に於ける不穏な気配の正体を探ること。




