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第五百八十二話 閑話 公爵令嬢の憂鬱(後編)

 

「どうしてそんな約束をっ!?」

「当然だろう。お前もそういう年頃なのだから」


 父に対して大きく声を放つマリン。周囲の注目を少しばかり集めるのだが、マックスは何事もないとばかりに堂々と手を振る。


「少し声を抑えようか。今はあちらが主催だ」

「で、ですが……そうは言われましても、急に婚約者候補だなんて」

「むしろこれ以上先送りにはできまい。条件付きなだけまだ理解あると思うんだね」


 事の成り行きの理由。

 それはマックス自身が口にしていたことが原因。


『いつ頃にマリン様の婚約者候補を揃えるおつもりで?』

『そうだねぇ。もうそろそろなのだが……うん、例えばあそこの彼、レインというマリンの護衛をしている少年なのだが、彼がまたかなりの実力者でねぇ。その彼を負かせれば候補にしても良いと思うよ』

『彼は確か以前にも』


 サンナーガ遺跡から一時帰還した際に護衛を務めていたと、ロックフォード家当主、エルナンデス・ロックフォードがレインに抱く印象。変な腰巾着が付いていると思ったもの。


『今の話、本当でございましょうか公爵様』

『君は確か』

『アレン・ロックフォード。マリン様の婚約者に名乗りを上げたく存じます』

『そうそう。そうだったね。エルナンデス、彼がロックフォード家からの推薦者ということでいいのかい?』

『ええ。僭越ながらアレンであれば申し分ないかと』

『ふむ。そうか。それでアレン君』

『はっ!』

『どんな手段でも構わない。今この場で彼を負かすことができれば君をマリンの婚約者候補として認めよう』

『ありがとうございます。では早速準備をして参ります』


 頭を下げて踵を返すアレン。

 その後ろ姿を見送りながらマックスは考えを巡らせていた。


(どういう手段を使うつもりか知らないがある程度は正攻法を使うしかないだろうしね)


 これだけの大衆の目があるという事実。家の品位を落とすような卑怯な手段はよほど上手くやらなければ講じられない。


(さて、この機会がマリンと彼にとって吉となるか凶となるか。あとはキミ達次第だからね)


 地位ある立場としてどうしたものかと。


「ふぅ。カールスさんもアトムさんとエリザさんの時はこんな気持ちだったのだろうか」


 娘を持つ親としての難しさ。こんなことをしていると表立っては言えないのだが、傲慢不遜だった娘がそういったことを大切にし始めたのであれば可能な限り尊重してあげたい。



 ◆



 広々とした噴水広場の中、興味本位で周囲を取り囲む貴族たち。

 しかし、レインからすればそのような好奇な視線を気にしている余裕などない。


「得物はこれでいいかい?」


 アレンによって投げ渡される木剣。


「どもっす」


 対戦相手であるマルセロも同様に木剣を手にして軽く素振りを行っては感触を確かめていた。


(威圧感がやべぇな)


 立ち居振る舞いは間違いなく強者の部類。とはいえ抵抗できない程とも思えないが油断するわけにもいかない。


(やっぱこれ一本だとマズいな)


 木剣の長さ、長剣の扱いに関しては正直それほど得意ではない。腰に差している短剣を二本両手に持ち、小回りが利くように戦うのがレインの戦闘スタイル。


「では、尋常に」


 悩む暇を与えない程にアレンが腕を大きく振り上げ、マルセロは剣を構える。


「しゃあねぇ」


 やるしかないと腹を括った。


「始めッ!」


 掛け声と共に一直線に踏み込んでくるマルセロ。


「ぐぅっ」


 ガンッと鈍い音と共に交差する木剣。


「ほぅ。これを受け止めるか」

「いやいや、俺なんかちんけなもんすよ」

「油断を誘っておるのか? 一合打ち合えば相手の実力などある程度測れるわ」

「ちっ!」


 グッと押し込むのと同時にマルセロは後方に飛び退く。


「やっぱこんな手じゃ通じないわな」


 所詮冒険者学校の学生だと油断してくれていれば儲けもの。しかしA級ともなればそんな手は通じない。


「はっ!」


 相手の手がどんなものであれ、奇襲をするに越したことはない。次には踏み込んでいく。


「中々に速いなッ!」


 何度も鳴らす木剣の音。想像以上の剣技の応酬により周囲を取り囲んでいた貴族たちは一斉に沸き立った。


「凄いじゃないか!」

「さすがはマリン様。これほどまでの実力者を既に護衛に雇っているなど、その慧眼には感服致します」


 伴って女性たちの黄色い声援のいくつかも聞こえてくるのだが、二人の戦いを見守っているマリンは気が焦るばかり。


「……レイン、お願い、勝って」

「心配かい?」

「お父様?」


 不意に声を掛けられ、父の姿を確認してすぐに再びレインへと視線を戻す。


「いえ、心配はしていますが、それ以上に信じていますもの。レインが必ず勝つ、と」

「ふむ。良い傾向だ」

「何かおっしゃいましたか?」

「いやなにも」


 穏やかに見守るマックス・スカーレット侯爵なのだが、苛立ちを募らせるのはアレン・ロックフォード。


「何をやっている! そんなガキ一人に苦戦してどうする!? 契約を打ち切るぞッ!」


 歓声の中に差し込まれる言葉なのだが、マルセロ自身も想定以上の苦戦に攻勢に出られないでいた。


「仕方あるまい」


 子供相手に大人気ないと思いながらも、手段を選んでいる場合ではないと、マルセロは木剣を握る手に力を込める。


「気配が変わった? 何をする気だ?」


 距離を取り、マルセロの動きを観察するのだが、すぐに理解した。


「やべっ!」


 木剣が輝きを放つ。

 これまでは互いに闘気を駆使していたのだが、目に見える輝きは魔法剣のモノ。


「氷結剣」


 鋭い冷気を帯びる魔法剣を手にするマルセロ。

 その様子を見るアレンは満足気に頷いた。


「そうだ。最初からそうすれば良かったのだ」


 受け止めきれない一撃を放てばなんのことはない。アレンも知るマルセロの必殺剣。誰にでも扱えるモノではない。


「すまんな小僧。こちらもこれ以上長引かせるわけにはいかないのでな。しかし将来有望な若者と剣を交えたこと、楽しかったぞ。誇りに思うが良い」


 圧倒的な気配を宿しながら、ダンッと勢いよく地面を踏み抜くマルセロはレインへと迫る。


「レインッ!」


 マリンの大きな声が響き渡る中、眼前へと振り下ろされる氷の剣はバキッと音を立ててレインが受け止める木剣を見事に真っ二つにへし折った。それは得物を砕くということ、見事に武器破壊をしている。

 木剣の半分は折られたところから冷気によっていくらか凍り付いており、そのままクルクルと宙を舞っていた。


「御免ッ!」


 受け止めきれない二撃目を放とうと剣を引くマルセロ。


「へへっ」


 しかし小さく口角を上げるのはマルセロではなくレイン。武器破壊をさせることはレインの計算の内。


「結局油断したじゃねぇかよ」

「なっ!?」


 マルセロが目を見開くのは、目の前のレインは後退(あとずさ)りするどころかさらに一歩踏み込んできていた。

 通常であれば剣を折られれば腰が引けるもの。半分となった剣では本来扱えるものではない。


「だっらぁっ!」


 マルセロが剣を振るうよりも早く、レインは宙を舞う木剣をパシッと片手、左手で手にすると、持てるだけの闘気を全開にしてすぐさま上から大きく振り下ろした。避けきれない一撃。


「ぐっ!」


 回避することが適わないマルセロは攻撃を加えるよりも、受け止めることを優先して剣を構える。直後にはガンッと鈍い音が響くのだが、しかしそれだと迫る二撃目を受け止める術が残されていない。


「なろぉっ!」

「がはっ!」


 下から突き上げられる右手の二撃目を顎へとまともに受けるマルセロは僅かに身体を浮かせ、そのままフッと白目を剥いて意識を失い前のめりに倒れる。


「……ふぅ。っし。やっぱこうじゃねぇとしっくりこねぇな」


 両手に武器を持ってこそが自身の真骨頂なのだと。


「え?」

「ななな?」


 一瞬何が起きたのか、観戦していた貴族たちは理解できないでいた。わかっているのはレインの木剣が叩き折られたことと、倒れているマルセロの姿。それに折られた木剣を両手に持つレイン。


「っつうっ」


 冷気を浴びた折られた木剣をパッと両手を離すと、木剣はカランと音を立てて地面に落ちる。


「ちべてぇ」


 すぐに温めようとふぅふぅと両の手の平に息を吐く。


「ったく、こんななんにもならねぇ勝負にあんな大技使うなっての。当たり所がわるければ死んじまうじゃねぇかよ」


 倒れているマルセロを見下ろした。


「なんだ?」


 思わず肩を震わせるのは、直後に湧く大歓声に。


「びっくりしたなおい」

「レインっ!」

「わっとと」


 がばっとマリンに抱き着かれる。


「勝った! 勝ったわよ!」

「おうっ。約束通りお前が困ってたみたいだから勝ってやったぞ」


 にっと微笑むと、マリンはその顔をぽーっとさせていた。


「……レイン…………」


 スッと見上げられるマリンの顔、半分だけ突き出されたその唇に思わず目を奪われる。


「キス、したいな」

「は?」


 小さく囁かれる声に思わず耳を疑った。


「だだだ、ダメに決まってるだろ!? 周りを見てみろよ!」

「え?」


 そうしてレインの声に反応して周囲を見回すと、呆気に取られている貴族たち。


「これこれマリン。それは些か行き過ぎだろう? 場所を弁えなさい。いや、弁えればいいというものでもないが」


 苦い顔をしているマックス・スカーレット公爵。

 直後、ボンッと顔を一気に紅潮させるマリン。


「っ!」


 そのまま勢いよく走り出す。


「お、おいっ! どこいくんだよ!?」

「凄いじゃないかきみ! 是非卒業後はウチに来ないか!?」

「いや、うちに来なさい。通常の倍の給料で雇おう!」

「い、いや、ちょ、ちょっと待ってくれって。俺は別にそんなつもりじゃ……」


 わいわいと騒ぐ貴族たちに囲まれすぐにその姿を見失った。


「わ、わたくし、なんてことを口走ったの!?」


 とんでもないことを口にしたのだと。駆けながらマリンは先程の発言を後悔する。

 以前、クルシェイド劇団でヨハンとカレンがキスをしていたことを時々思い出してはキスとはどんなものなのだろうかと考えていたが故に飛び出した発言。しかしあのような場で口にすることではなかったと。


「は、恥ずかしぃ……――」


 次にどんな顔でレインと会えばいいのだろうか。こんなことでは会えない。顔を見れない。


「――……でも、ありがとう。カッコ良かったわよ、レインのくせに」


 それでもレインの勝利に感謝を示しつつ、勝利するその姿を脳裏に焼き付けていた。


「さて、レインくん。少し話をしようか」

「……はい」


 それからマックス・スカーレット公爵に呼び出されたレインは、娘であるマリンと必要以上に親しくするのはどうかと、釘を刺される始末。


(俺のせいじゃねぇだろうがよ)


 公爵としての体面的な言。レインは知り得ないのだが。

 それは決して怒られているわけではない程度のものなのだが、それでもどうしたらいいものだろうかと、結局はただひたすらに謝ることだけに終始していた。



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