第五百八十一話 閑話 公爵令嬢の憂鬱(中編)
貴族社交界、ダンスパーティーの場となったロックフォード侯爵邸の噴水広場。
「ようやく慣れてきましたわね」
それでも硬さ、ぎこちなさは拭いきれないのだが、簡単なステップ程度であれば問題はなくなる。
「ねぇレイン?」
踊りながら胸を近付けるマリン。何も特別なことではなく自然な踊り。
(こいつなんかいい匂いすんな)
揺れる髪と微かに流れる風に乗る匂い。
「聞いていますの?」
「あっ、ん? なんだって?」
思わずその顔に見惚れてしまっていた。
「先程、レインが邪険に扱った貴族ですわ」
「邪険になんか扱ってねぇっての。だいたい、どんな相手だってお前がなんとかしてくれんだろ?」
その打算がなければあんなことできはしない。いくら貴族であれども公女を相手に不遜な態度で臨むなど。
「やっぱり聞いていないじゃないですの」
呆れながら見られる。
「あの方はですね……――」
マリンの言葉に耳を傾けようとしたところ、楽団の音が止み、それ以上に大きな声が聞こえて来た。
「皆さま、お楽しみのところ失礼します。本日は余興をご用意いたしております」
声の主は注目を浴びるなりすぐさま拍手される。
「あれ? あいつ確か……」
先程マリンにダンスの申し出をして来た貴族。
「ええ。彼はロックフォード家の次男、アレン・ロックフォード、本日の主催ですの」
「おまっ! そういうことはもっと早く言えよ!」
「言おうとしましたが、レインが強引に引っ張っていくから」
顔を赤らめる様に苛立ちが込み上げて来る。
「お前、絶対わざとだろ?」
「わかりました?」
軽く舌を出す仕草をするマリンを見て繋がれていた手に力がこもった。
「もうっ、そんな強く握らなくともわたくしはここにいますわよ?」
「ち、ちげぇっての。ほ、ほら、なんか言うぞアイツ」
腕を組み、アレン・ロックフォードへと視線を向けるレインの横でマリンは離された手の平をそっと見つめる。
(わたくしには、欺瞞でしかこの温もりは得られませんのね)
ダンスに誘うことにせよ、この場に居させることにしろ、騙し打ち、人を欺かなければ欲しいモノが得られない。仮になりふり構わない、傲慢な手段を用いたところできっとそれは手に入らない。何故だかどこか確信を持てるその感情。
(そう、このような手段では意味はないですもの)
つかつかと歩いて来るアレン・ロックフォード。その表情から窺えるのは過剰な自信。
「こっち来んぞ? 余興ってなんだよ?」
「さぁ? 大方先程のレインの態度に反感を持って嫌がらせでもしに来たのではありませんか?」
「……は?」
「当然ではありませんか。ただの主催なだけでなく、公女であるわたくしを誘いに来たところをすかされたのですもの。それもその辺のわけもわからない子どもに。そんなもの面目も何もあったものではありませんわ」
「いや、だって、そんな……」
「しかし彼も目くじら立てて怒るわけにはいきませんわ。これだけの人の目がありますもの。であれば、レインを醜聞に曝すような公然とした口実があれば問題ありませんわね? そう、余興という名の」
言い終えると同時にレインの前に立つアレン・ロックフォード。不気味な笑みを向けていた。
そのままマリンに笑みを向けると片腕を振ってお辞儀する。
「少し、従者をお借りしてもよろしいですね? お父様の許可は頂いておりますので」
遠くでロックフォード家の当主と談笑している父マックス・スカーレット公爵。目が合うなり軽く手を振られた。
「……そう。だったら問題ありませんわ。好きに扱いなさい」
「ありがとうございます。では失礼します」
マリンに背を向けてレインを連れて行くアレンはニタっと笑みを浮かべる。
「ああそうそう――」
振り返るアレンは含みのある笑みをマリンに向ける。
「どうかしましたの?」
「――いえ、これからよろしくお願いします、と先に伝えておこうかと思いまして」
一瞬だけ見せる下卑た笑みなのだが、周囲に気付かれないようにすぐに潜めた。
(まったく。何を考えていますのやら)
何らかの目算があるのだろうということは推測できる。
「さて皆さま。ここにいる彼、幼いながらもマリン様の護衛を務めておられます。それもそのはず、冒険者学校に於いて考えられない程の優秀な成績を上げているのだと」
「……どもっす」
強く背中を叩くアレンの態度にイラっとするのだがこの場では我慢するしかない。
「ではその実力の高さを皆様の前でお披露目して頂きましょう」
「は?」
突然の話に目を丸くさせるレイン。
「ん? どうした? これはキミにとっても好条件のはずだよ? これだけの貴族の前で実力を示すことができれば私設護衛団に雇われることもあるだろう。自分を売り込むことは大事なことだ」
「いや、俺は別にそんなこと」
「それとも、このままマリン様に雇われ続ける気かい?」
「そんなつもりもないけどさ」
「では問題はないね。さて、それでは皆様。余興の相手を務めるのは私の護衛である冒険者、マルセロです」
紹介を受けて姿を見せた男と目を合わせたことでレインは背筋を寒くさせる。
(な、んだコイツ? 殺気が半端ねぇ)
そのレインの疑問は周囲の声ですぐに理解した。
「A級冒険者のマルセロじゃねぇか!」
「実力の高さは折り紙付きだぞ!」
「マルセロに勝てば俺が雇ってやるぞ小僧!」
湧きたつ観衆。異様な空気が流れる。
(おいおいおい、何がどうなってんだ)
正直勝とうが負けようがどっちでも良かった。ここで実力を示したところで得られるものなど何もない。
(ん?)
ふと視界に入るマリンは父マックスのところで何やら話し込んでいる。
(あいつ、どうしてあんな顔……――)
腕を大きく振るった後に向けられる表情、それは明らかに困惑と戸惑いの顔。
(――……なんだ? かって? かってって、勝てってことか?)
唇の動き。小さく動いていた。
「ったく、なんだあいつ。勝てって、お前がほんと勝手だよな」
何かしらの困る事案が発生したのだと。
「ま、約束しちまったもんは仕方ねぇ。今日はお前が困ったら助けるって話だもんな」
詳細はわからないまでも、目の前で強烈な殺気を放つ冒険者に勝てばいいのだろうと。
「だいじょうぶ。俺もやれるさ」
先日の不甲斐なさは承知している。自身だけ実力で見劣りするのだということは。




