第五百八十 話 閑話 公爵令嬢の憂鬱(前編)
(俺、こんなとこでなにしてんだろ?)
正装するレインがぼーっと周囲を見渡すそこは王都中央区の侯爵邸。大きな噴水がある広々とした庭園に用意された会食の場は、ヨハンと所縁のあるカトレア家でもなくレインからすれば全く関係のない貴族、ロックフォード家。四大侯爵。
(しっかし、あいつも大変だよな)
そう思い見つめる先にはドレス姿の少女、マリン・スカーレット。
周囲には囲むようにして人だかりが出来ている。それも老若は問わないのだがその全てが男性。それを笑顔で応対していた。
「ん?」
じっと見つめているところで振り返ったマリンが笑顔で軽く手招きしていることで呼ばれたのだと、ゆっくりと歩いて近付いて行った。マリンは変わらず笑顔のまま。
「どうした?」
問い掛けると、周囲の男性は眉を寄せながらレインを見る。割って入るなとばかりのその視線に若干の不快感を得るのだが、マリンも僅かに表情を難しくさせていた。しかしすぐに笑顔を取り繕う。
「申し訳ありません皆さま。本日は連れを伴っていますので」
軽く腕を組まれ、その様子を目にする男性たちは一層に表情を険しくさせた。
「ごほんっ」
周囲のその態度を改めるような咳払い。一人の中年の貴族。
「これは申し訳ありませんマリン様。今回はご学友をご招待なさっていたのですね」
「ええアセンシオ様。ですので、あまり暇をさせてしまうわけにもいきませんので」
「わかりました。友人思いですな。皆もこの辺りにしておこう。では失礼します。御父上にもよろしくお願いします」
「ええ」
貴族服を着た中年の男性が頭を下げると、周囲を囲んでいた者もその場を離れていく。
ある程度距離ができたところでマリンはレインに聞こえる程度の小さな溜息を吐いた。
「大変だなお前も。あんな連中の相手をしなけりゃいけないなんてな」
「そう思うのでしたらどうして助けに来ないのですの?」
恨み節を含めた視線。
「助けて欲しかったのか?」
「当たり前ですわ。でないとなんのためにあなたを呼んだと思っているのよ。カニエスだったらわたくしから付かず離れずの距離を保っていますわよ」
とはいうものの、そのカニエスもそういう場では何も言えない。ただいるだけ。だが言っていることに嘘はない。
「いねぇじゃねぇかよ今日」
しかしそのカニエスの姿がどこにもない。マリンの付き人を兼ねている級友カニエス・モールライ。しかし本日は体調不良ということによりレインが代理でロックフォード家の舞踏会に同伴している。というマリンの言い分。
「そういうことではなくてですね……はぁ。ほんと、役立たずですわね。わたくしが困っているとは思わなかったの?」
「思ってたぞ? でもお前相変わらず余所行きな対応は完璧じゃねぇかよ」
「それとこれとは話が違いますわ。めんどくさいのはめんどくさいの。そんなことはどうでもいいので次からはきちんとわたくしの心情を察しなさい」
「へいへい」
そうして会場内を歩いていった。
(めんどくせぇ)
どっちがめんどくさいのか、たまったものではない。帰りたかったのだが、しかし勝手にこの場を後にするわけにもいかない。
レインがこの場にいる理由は先日のスフィンクスとの団体戦。それにマリンが参戦する代わりに提示した条件。それはマリンの言うことを一つ聞くということ。それに使われたのが今回のレインが行っている付き人。
エレナからすればそれは想定内。むしろレインで良ければ全く問題なしと。それを聞かされたレインは文句を言いつつも渋々承諾せざるを得なかった。
(何を頼むつもりなんだか)
マリンにはエレナとしてもパルスタット神聖国に赴く際に重要な役割をお願いするつもりなのだからこの借りはここで返しておきたい。それ以上に恩を売ることができればしておいて欲しい。その方が頼み事もし易いのだと。そう言われてしまえば断ることもできない。
「あら?」
ふとマリンが耳を澄ますと、鳴り響いて来るのは遠くに見える楽団が弦楽器を用いて音楽を奏で始めている。それと同時に何人かの貴族達は膝をついてダンスを誘うように手を差し伸べていた。
「レイン?」
レインを見ることなく言葉を発するマリン。
「んだ?」
「わからないの?」
「なにがだよ?」
ジロリと睨みつけられるのだが、何を言っているのか全く理解出来ないでいる。
「マリン様」
そこに姿を見せたのは、背の高い粟色の髪の貴族。その出で立ちは先程までマリンを取り囲んでいた貴族達よりも一段階上の衣装。
「よろしければご一曲お願いできますか?」
「え? あ……」
膝を着きながら堂々と差し出される手に困惑しながらもゆっくりとだが手を伸ばすマリン。その最中、チラリと横目に見るのはレインへと。
「申し訳ありません。せっかくのお誘いですが、マリン様は自分と踊りますので」
「は?」
突然耳にするその声に、貴族の男は驚きつつもすぐにプッと笑いを漏らした。
「何を言っているのだキミは――」
「ではマリン様約束を果たします。参りましょう」
小馬鹿にして立ち上がる男の横をスッと素早くマリンの手を引きながら通り過ぎる。
「なっ!?」
思わずその姿に呆気に取られた。まるで相手にされていないことに。
「ったく、これでいいのか?」
「…………」
すぐに困ることになりやがってと、手を引きながら声を掛けるのだがマリンからは返事がない。
「聞いてんのか?」
振り返り肩越しにマリンを見ると、目を点にしているマリン。
「なんだ?」
「レイン、わかっていますの?」
「なにがだよ?」
「さっきの……いえ、やっぱりなんでもありませんわ。約束通り助けて頂いてありがとうございます」
「お、おぅ」
ニコッと笑みを浮かべるマリンの表情を目にするレインは思わず息を呑む。
(ちくしょう。こいつこういうところは可愛いんだよな)
時折見せる無邪気な笑み。これまでに見せるいくつもの笑顔の中でも一際可愛らしく感じさせるその表情。
(って、なに考えてんだ俺は)
小さく首を振り、過った考えを振りほどいた。
そうして歩いて行った先はダンス広場。口にした以上マリンと踊らざるを得ないのだが困ったことが一つ。
(やべっ)
踊り方など知らない。雰囲気程度ならわかるのだが、貴族の社交界になど顔を出したことなどない。
(こんなことならアイツに教えてもらっとけばよかった)
ヨハンがそういった場に行くことに困り顔で話していたことを他人事だとばかりに聞いていたのだが、若干ながらもう少し知っておけばと後悔する。
「ん?」
溜息を吐いていたところで繋がっていた手を軽く持ち上げられた。
その手の先、顔の方へと視線を向けると、再び向けられているマリンの笑み。それもまたこれまでとは違う意地悪な笑み。嫌な感情を抱かせない微笑み。
「まったく。レインのことだからどうせ踊り方を知らないのでしょう?」
「んだよ。だからなんだってんだ」
「仕方ありませんわね。踊ると言った以上踊って頂きますわよ? でないとほらっ」
背後を見るマリンの視線の先には先程レインによって断られた貴族の男が二人の動向を見ている姿。
「それはかまわねぇけど」
「だからわたくしが教えて差し上げますわ」
くいッと軽く腕を引かれ、奏でられる音楽に無理やり足を動かされる。
「ちょ、お、おいって」
「ふふふっ。ほらほらもっと足を動かして」
そうはいうものの、マリンの足を踏まないようにすることが精一杯。
「ねぇ、あれ」
「マリン様と……付き人のご学友だな」
慣れた様子で身体を動かすマリンと、ぎこちなく動いているレイン。それは多くの貴族の目に初々しく映り、微笑ましいものがあった。
「くそぅ、あのガキ舐め腐りやがって。誰が主催している場だと思ってやがる」
しかしその中で明らかに不快感を露わにするのは先程の粟色の髪の貴族。
楽団が奏でる美しい音色の中、ギリッと歯を鳴らす。




