第五百七十九話 内なる葛藤
全てが明かされることになるのだが、説明などほとんど必要としなかった。
それというのも、アインツの冒険譚の内容を記憶してさえいればどうして母エリザが貴族の位を放棄して父アトムと一緒になったのかということは記されているのだから。壮大な親子喧嘩。
補足する程度にいくらかの説明が行われるのは、カレンに対してのもの。そしてそれは不仲のアトムとカールスに対しての理解も同時に得られる。カレンもその冒険譚のいくらかは目を通していた。
(身分違いの恋、か)
自身はカサンド帝国に貢献するために明確にその身分を捨てきることはできなかったのだが、視界に捉えるエリザはそれを成したのだと。
(……すごい)
そうして抱く憧れ。
しかし、ここで問題が二つ起きた。正確には既に起きている。
「だから、元々エリザは貴族家に嫁ぐべき血筋だ。ならば私の孫であるヨハンがそうなっても何も問題はない」
「それはお前らの都合だろう?」
「誰が問題をややこしくしてると思っておる?」
「んなもん知らねぇっての。約束しちまったもんはしょうがねぇよ。今さら無理だっての」
「貴様…………」
つまるところ、カールス・カトレア侯爵はヨハンの扱いについていくらか画策していたことがあったのだと。
周囲に孫がいるということはよっぽど親しい人間以外にはほとんど知られていなく、一般的にはエリザは遠い異国に嫁いだのだと触れ回っていた。
それが事実とは実際に異なるのだが、ヨハンが巨大飛竜討伐によって貴族家に認知されたこと、実力と知名度を大きく上げたことで対応の舵取りをしたのだと。
つまり、名うての冒険者として知れ渡った後に貴族家へと婿入りすれば、内情はことなれども、公表することなくエリザの子が本来の位置である貴族家に入る――戻るということには変わりない。
しかし予定外だったのはカサンド帝国にて騎士爵とはいえ爵位を賜られ、それどころか皇女であるカレンを婚約者として伴っていたこと。ラウルのその判断にいくらか憤慨して国王のローファスへと訴えたものの結局はどっちつかず。
「これまで秘匿していて申し訳ない」
「いえ……」
カールスからカレンに対して隠していたことと王国側にも思惑があるということには謝罪の言葉を述べられた。しかし理解して欲しい、と。王国側の思惑、有力貴族家と婚約を結ぼうということに。
(確かにこの問題は困ったものよね)
それ自体はカレンも大いに理解できる。立場がある以上は仕方なしなのだと。それに侯爵が悩ませたことにも納得した。予定外だったニーナとの婚約。
(わたしにはどうにもできないわね)
王国の貴族家を差し置いて一般人との婚約を認めることはできない。破談にしろと詰め寄っているのが今の状態。
しかし、アトムはそれを頑なに拒否している。正確にはニーナの父であるリシュエルが。娘が喜んでいるのだと。
アトムとしてもヨハンを貴族家に婿入りさせること自体忌避していたのだが、それはヨハン自身が決めればいいと考えている。しかし、ニーナとの婚約は竜人族の――リシュエルが抱える背景も踏まえれば簡単に反故にはできない。
「頑固者めッ!」
「どっちがだよ!」
睨み合う二人の間で板挟みになっているヨハンは苦笑い。エリザは窓際の椅子に腰かけ、ニコニコとしていた。
「ごめんなさいね。ややこしくて」
「い、いえ。それはいいのですが……――」
実際は全くよくない。
しかしそう返答したものの、明らかに心情を見透かされている気がするエリザの眼差し。ニコッと微笑まれながらもその疑問を口にする。
「――……どうされるのでしょうか」
「そうねぇ……」
顎に指を一本持っていきながら首を傾げるエリザはヨハンを見た。
「私としても、あの人と同じでヨハンが決めれば良いと思うの」
「そう、ですか……」
「それが親心だもの。だからこそ、お父様の気持ちもわかるの」
貴族家としての、名家であることの誇り。家柄の存続。それは我ながらに勝手だと思えるのは、当時の自分はそれを全て捨てて今に至る。
「ただ、なんにせよこのままだとどうにもならないわね。あっ、もちろんモニカちゃんのことよ?」
「……はい」
モニカの魔王の呪いの件が解決しなければヨハンが腰を落ち着かせることなどないということはエリザもカレンも理解していた。結婚など二の次。
その会話をそのまま言葉にするかのように、苦笑いしていたヨハンは困惑しながらもカールスに対して口を開く。
「申し訳ありません、カールス様。少し、よろしいでしょうか?」
「う、むぅ……。かまわん」
「正直、突然のことで戸惑いました。でも、今は何を言われてもお断りするつもりです」
「いや、無理強いするつもりはないのだ。国王様からの命ではなく、これは私個人としての思いでな」
王国の貴族家との関係。カールスとしては本音を言えば全てを公表した方が良い。ここで変にカトレア家所縁の人物を婚約者として関係を持たせてしまえばそれこそ他の貴族家から大顰蹙を買う。
「違います。カールス様がそういったことをなさらない方だとは存じていますが、問題はそういうことではないんです」
「どういうことだ?」
「……っ」
言葉に僅かに詰まった。どこまで話していいものなのかと。納得してもらえるような話し方がわからない。
「お前の素直な気持ちを言えばいいさ。言えないことは言えないでいいから。そうすればこの頑固親父もそれぐらいの意は汲んでくれるさ」
「ああ。お前の思うことを聞かせてくれ。酒癖の悪い父親だと話にならん」
「んだと?」
「二人とも?」
口を開けば喧嘩腰になる二人に差し込まれるエリザの鋭い一言。すぐに黙る二人。
「……わかりました」
そうして、ゆっくりと口を開く。
「あの、僕にはまだやらなければいけないことがあるんです。何をっていうのが正確には言えないのですが、それを成さないとこういった話のどんなものでも受けることはできません」
いつになるのか、果たして本当に呪いを解くことができるのかという疑問と不安を抱くのだが今一番不安なのはモニカ自身。ここで不安を抱かせるわけにはいかない。
「だから、また落ち着いた時にでもゆっくりとお話できればと思います」
言い終えるとカールスには盛大に溜息を吐かれるのだが、次に向けられるのは笑顔。
「わかった。良くも悪くもお前は間違いなくエリザとアトムの子だ。二人もよく私に内緒で裏で色々と動き回っていた。それを後から知らされて何度怒鳴ったことか。それでも一向にやめなくてな。エリザにはそれこそだったら勘当するとまで言われていた。もう同じ轍は踏まないさ」
「……ははは。そうなんですね」
それはアインツの冒険譚の回想場面でも記されていた。少女時代のお転婆だったエルネア。アインツを愛するが故の行い。
だが、それと同時に思い返すこともある。
「でも、僕はカールス様の母さんに対する愛情と、僕に向けてくれる親愛をしっかりと感じています。それがまさか、お祖父さんだったからなんていうことには正直驚きましたけど、それでも、カールス様がお祖父さんで僕は嬉しいです。これまで助けてくれていたのがただの厚意だけじゃなく、お祖父さんとしてだってことがわかったから」
「……嬉しいことを言ってくれおる。わかった。ではお前が抱える問題が解決すればまた話をさせてもらおう」
「はい。これからもよろしくお願いします」
笑顔で答えると、カールスも笑顔で頷き返した。
「さて、それでは一つ確認だが」
「はい」
「王国として爵位を賜らせるといえばお前は断るか?」
「え? あぁ……いえ、断らないです。もちろんそれに見合う成果を出せればということが前提ですが」
「ほぅ。どうしてだ?」
「まぁ……」
チラとカレンを見る。
カサンド帝国で騎士爵を賜った以上、そういうことがあればこれ以上祖父の顔を潰すわけにもいかない。王国側からそういう話があれば受けることがあるかもしれない。
「そうか。わかった。ではその時が来ればことが上手く運ぶよう根回しはしておこう。それであれば問題を全て片付けられる」
「おい、親父さん、まさか……?」
「ここまで来た以上、貴様も嫌とは言わせんぞ? 先のヨハンの言葉を聞いただろう?」
「ぐっ」
「あっ、あの?」
「気にするな。お前が嫌がる様なことはしない。ただ、何人かは納得しないかもしれないがな」
「そう、ですか」
何を考えているのか教えてもらえなかったが、確かにカールス・カトレア侯爵であれば無理矢理、強硬手段に及ぶということをしないのだろうということはわかっていた。
(いったいなんなんだろう?)
若干気にはなったのだが、それから三日後、アトム達は旅に出ることになる。それまでは喧嘩しつつも親子三代のんびりと過ごすことになった。
ヨハン達に動きがあったのはそれから約一月後。
それはパルスタット神聖国からの大使が派遣される日。




