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第五百七十二話 親友

 

 もうあと数時間もない内に王都の西に陽が沈み切ろうとしている。

 大きな空間、壁沿いに造られた螺旋階段、物見塔の階段を一段ずつゆっくりと登っていた。


 内部には魔灯石による灯りはあるのだが、元々魔灯石が一般的に普及して用いられるよりも前に建てられている物見塔の壁のあちこちには今は使われていない燭台が設けられている。

 加えて魔灯石自体も古く、質が悪い。陽も沈みかけていることも相まって足元が見えない程ではないが薄暗くなってきていた。

 その階段は何十、何百ではきかない。千以上あるかというほど。


(…………モニカ)


 ニーナが言う以上、頂上にモニカはいるのだろうが、果たしてどういう状態なのかと考えながら壁際にあるガラスの入っていない窓から外を見る。上を見上げてもまだ頂上までしばらくあるというのに王都を広々と見渡せた。


 早くモニカを見つけたいという気持ちになるのだが逸る気持ちを抑える。

 カレンが「みんな、色々と思うところはあると思うけど、一度ゆっくりと気持ちを落ち着けて整理しておいて。もちろんエレナ、あなたもよ」と声を掛けたことでそれぞれ抱く感情の整理を行っていた。

 おかげで焦る気持ちをいくらか冷静にできている。そしてその役割はニーナも担っていた。意図することなく。


「なんだかカレンさん先生みたいなこと言ってるね」


 あっけらかんと言い放っていた。


「何を言ってるのよ。わたしはあなた達の仲間であると同時に先生なのだから当然ね」


 と。冒険者学校の臨時教師を務めていることを自慢げに言い放つ。

 こんな状況でもいつもと変わらないやりとり。それはカレンも敢えてしていたこと。空気の弛緩。

 全員の表情が少し和らいだのを確認したカレンはニーナの耳元に顔を近付け、そっと「ありがと」と声をかけていた。ニーナはきょとんとしていたのだが「えへっ」軽く笑い返している。

 そうしたこともあって物見塔の階段をそれぞれ思い思いに一段一段、のんびりするわけでもなく急ぐでもなくしっかりと踏み出していた。モニカの気持ちを慮りながら。



 ◆



 そうして少しの時間を要して螺旋階段を登り切ったところにあったのは大きな踊り場。目の前には屋上へ出るための扉。観音開きのこの扉を押し開けばそこにはモニカがいるはずだと。

 僅かに扉は開いており、隙間からは沈みかけている朱を含んだ外の光が取り込まれていた。薄暗い内部へ差し込んでくる光が仄かに踊り場を照らしている。

 間違いなくモニカが出て行ったのだろうと、レインはそこで静かにゴクッと息を呑んだ。


「じゃあみんな、行こうか」


 先頭を歩いていたヨハンが振り返り、そっと声を掛ける。


(……やっぱりこいつわかってなかったな)


 その笑顔を見てレインは決心した。


「あのさ、ヨハン」

「なに?」


 正面から笑顔のレインに肩を掴まれている。一体どうしたのかと疑問符を浮かべていたところで突如として腹部に得るのは強烈な衝撃。ドゴッと鈍い音が響いた。


「ぐっ」

「ちょっとレイン!?」


 ナナシーが驚きに声を上げるのは、ヨハンの腹部へとレインは力一杯に拳を振るっている。

 突然のレインの暴挙に止めに入ろうとするナナシーなのだが、必要ない、とばかりにスッと腕を水平に伸ばすのはエレナ。


「エレナ?」

「問題ありませんわ」


 意味もなくこんなことしない。レインの判断にはエレナもいくらか賛同できた。


「止めなくていいのか先生?」

「ええ。仲間として声を掛けることももちろん大切だけど、やっぱりモニカの気持ちを一番に考えるとこれが最善なのかもしれないからね」

「どういうことだ?」

「見ていればわかるわ」


 それはカレンにしても同様。サイバルはそれを疑問に思うばかり。


「レイン!? 何を――がはっ!」


 するんだ、と言いかけたところに受ける二度目の衝撃。まさかこんな場面でレインに殴られると思っていなかったこともあり二発ともまともに受けてしまう。


「あのさぁ、どんだけお前は鈍いんだ?」

「な、にを?」


 決して大きな声ではないのだが、目が合うレインから放たれるのは芯が通った力強い言葉。その言葉は声の大きさの割に大きく響いていた。


「なにを言ってるんだレイン?」


 痛みで腹部を押さえながら片目を瞑るヨハンはレインを見る。


「俺はな、ここに来るまで、階段を上りながらずっと考えてたんだよ。モニカに会ったらどんな声をかけようか、どうしたらいいのか、それはもう色んなパターンをさ」

「そんなの僕だってそうさっ!」


 即座にレインは首を振った。


「いいや、違うね。お前がさっき俺達に向かって、行こうか、って言った時に俺ははっきりとわかったね」

「わかったって、何を?」

「お前が何もわかっていない大バカ野郎だってことがさッ!」


 そうして大きく振り切られるレインの三発目の拳。

 直後、乾いた音が響く。


「何を言っているんだレイン?」


 その拳をヨハンは手の平で受け止めていた。


「まだわかんねぇのか!? どうして今あいつらが俺を止めないと思う?」

「どうしてって……――」


 向けられる仲間の眼差しは二人の動向を見届けようとするもの。


「お前はさ、あの部屋をモニカが飛び出して行った時、モニカの顔をしっかりと見たんだろ? 違うのか?」

「――……それは……」


 思い出すその目。確かにモニカの顔、表情ははっきりと覚えている。

 いたたまれない気持ちに襲われ、その場にいられなくなったのだと。


(あの時……)


 何かを言いかけようかと口を開きかけていたモニカがきゅっと唇を結んでいた姿。

 他の誰かに視線を向けていたわけではない。目が合っていたのは自分だけ。


「わかんねぇなら俺が教えてやろうか?」


 拳を引き、真っ直ぐにヨハンを見つめるレイン。


「俺はさ、バカだからさ。それでも色々考えて、モニカに会ったらいつもみたいにふざけておちゃらけて、それでモニカの気持ちを少しでも軽くしてあげられるのかって。でもそんなわけねぇよな? あんだけのことだ」

「…………」

「だったら慎重に声を掛けて、あんまりにも予想もしていなかったあいつの境遇に対してなんとか共感してやればいいのか? それも違うだろ? 俺のそんな態度、アイツにはなんにもなりはしねぇ。響かねぇよ」

「…………」


 悔しさを露わにするレイン。


「ねぇカレンさん」

「なに?」

「レインさん、言ってて虚しくなんないのかな?」

「…………あんたは黙ってなさい」


 まるで空気を読めない発言をするニーナ。


「それも違うなら、モニカと会った時に見せる態度に合わせて、その反応ごとに言葉を選んで臨機応変に対応したらいいのか? 色々と考えたけど、やっぱりどれだったとしても正解じゃねぇんだよ」

「…………」

「普通に嫌なことがあったから慰めるとか、そんなレベルじゃねぇんだよ! だから俺は結局答えを一つしか出せなかった。これしか思いつかなかった! わからなかったんだよ!」

「レイン……」


 そのままレインは視線を落とす。


「これが正解かどうかもわかんねぇ。それでも足りねえ頭でしっかりと考えたさ。でもやっぱりこれが一番だって。頼ることになってすまんとは思う」

「…………それって」

「お前が本気で向き合うことだよッ!」


 続けて振り切られる四度目の拳。顔面へ。


「っ!」


 避けられたはずなのだが、受ける言葉により避けるということをさせない。

 熱の籠った本気の拳。思わず片膝を地面に着いた。


(…………わか、ってるさ)


 口内に染みる血の味。

 血と唾を吐きながら、立ち上がってレインを見る。


「わかってるよ。レインの言ってることはわかってるつもりだよ。ただ、僕でいいのかなって思ってた」

「お前以外に誰がいんだよ。俺達はお前のあとだっつの」


 呆れながら腰に手を当てるレイン。


「ありがとうレイン。みんなも良いかな? 僕が一人で先にモニカに会って来ても」


 見届けていた仲間達一人ひとりの目を見た。そこにあるのはカレンの笑顔。


「当り前じゃない。レインが殴らなかったらわたしが殴っていたわよ」

「そうなのか?」

「嘘に決まってるでしょ! 冗談を真に受けないでよ! 本当にサイバルあなたは」

「す、すまない」

「まぁでもここでお姉ちゃんを任せられるのはお兄ちゃんしかいないしねぇ」

「そうだね。私でもそう思うわ。でもほんとヨハンってとことん鈍いよねぇ。そんなんじゃあこれから先が思いやられるわ」


 呆れているのはナナシーも同じ。


「みんな…………」


 あれだけの事態、人魔戦争――魔王の呪いの真実を目にしても変わらない仲間達。笑顔に助けられる。


「うん。みんなごめんね、ありがとう」


 掛けられる言葉を噛み締めて大きく頷いた。


「ごめんエレナ。先に行かせてもらうね」


 そして同じようにして微笑みを向けているエレナへ。


「ええ。レインの言う通り、ここはヨハンさんにしか預けられませんわ」

「そん――」


 言いかけて口を噤む。小さく首を振って微笑み返した。


「モニカをお任せしますわ」


 深く下げられる頭。


「うん。任せて」


 それ以上の言葉は交わさない。必要ない。


「へへっ、なんだよ。やればできんじゃねぇか」


 そうして振り返る先にいるレイン。指の背で鼻を擦っている。


「レイン、本当にありがとう。レインが親友で良かった。おかげでちゃんとできる気がするよ」

「いやいや、良いってことよ。俺たちの付き合いは伊達じゃないしな」

「うん」

「にしても、三発も殴っちまったんだ。一発ぐらいはお返ししても良いぞ? 親友」

「そう?」

「へっ?」

「じゃあ遠慮なく」


 物凄い勢いでレインの眼前へと迫る拳。

 ドガッとまともに喰らうと背後に吹き飛び壁に叩きつけられた。

 それによって物見塔の最上階が鈍い音を立てる。



 ◆


 物見塔の屋上、両肘を外壁に乗せて沈みかける太陽を浴びながら物思いに耽っている少女は日光を反射する綺麗な長い金色の髪を吹く風に靡かせていた。


「なに、今の音?」


 ぼーっと王都を見渡していた少女――モニカは不意の物音に驚き背後を振り返る。そこには内部に入るための扉。飛び出して来た扉。


「…………ヨハン」


 風の音に負けるような小さな呟き。

 物音の先、ギイィッと扉が開いた先には一番、一番会いたくて、それでも一番会いたくなかった人物の姿があった。


「どう、して?」


 そこにいる男の子は初めて思いを募らせることになった男の子。

 右も左もわからない二年前、不安に思いながらもそれでも自信を持って王都へと向かう道中に出会った男の子。馬車が立ち寄った村、冒険者学校への入学前に偶然知り合っただけ。けれどもそれがめぐり逢い。


「どうしてここにいるのよ」


 会いたくて、あいたくて、会いたくて、それでも会いたくない少年。いつもその顔を見ていたのだが、今はどんな顔で見ればいいのだろうかと、顔を合わせたくない。

 しかし募らせる思いが自然と脳裏に甦る。思い返すのは、同じぐらいだった背が今では少し見上げる程。男らしくなった顔付き。それでも時々ぼさぼさな時があるその髪。


「なん、で?」


 お世話になったその両親、母親に似ている綺麗な瞳。父親に似た端正な顔立ち。瞼を閉じれば出会った当時も現在(いま)もすぐに瞼の裏に映し出せる程に想いを寄せる男の子。


「やぁモニカ。こんなところにいたんだね。やっと見つけたよ」

「どう……してよ」


 声を掛けながら、ゆっくりと近付いて来る。

 どうして笑顔でいられるのか理解出来なかった。


「――……っつぅ、いってぇ。あいつ本気で殴りやがったぞ?」

「あたりまえじゃない、あんなの」


 ナナシーに治癒魔法を施されている様子を呆れながら見ているニーナ。


「それにレインも本気で殴ってたでしょ? だからおあいこよ。まったく、それにしてもほんとのバカはレインの方じゃないのかな?」

「ナナシーまでぇ……」


 男気を見せたつもりが、これほどまでに呆れられるとは思ってもなかった。


「まぁでも、ちょっとは見直したけどね。かっこ良かったわレイン。私にはちゃんと響いたから」

「な、ナナシー……」


 しかしすぐさま笑顔で付け加えられた言葉に、まるで天まで昇るような気持ちになる。


「へへっ、しっかりやれよ、親友」


 そうして扉の向こう側にいる親友(とも)に後を託した。



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