第五百六十六話 新たなる器
「王妃様、よく頑張られた。元気なお子ですぞ」
「え、ええ」
マリアンとジェニファー、互いに笑みを見せる中、マリアンはすぐさま近くに用意してあった産湯に浸けて血を洗い流す。
「さて、綺麗になった。ほらローファス。これであんたも父親だ。抱いてやりな」
「ああ」
赤子をローファスに渡すと、ローファスはその腕にしっかりと抱きしめ、破顔する。
「よく俺たちのところに生まれてきた。これから王女として大変な苦難が待ち受けているだろうが二人で乗り越えれば良い」
「何を生まれたばかりの子にあほぅなことを言うておる。そもそも王妃様と三人だろうが。で、名は決まっておるのか?」
「ああ決まっている。名は……エレナだ。エレナ・スカーレット第一王女だ」
その名付けの通り、これは紛れもなくエレナの出産の場。
(なんだか変な感じだな)
初めて見る出産。それも知り合いどころか仲間の。変なむず痒さ。
(あれ?)
不意に得るその場の違和感。どうにもおかしな様子があった。
「マリアン。すまないが続きを頼む」
「わかっておるさ。ここからはこちらの仕事さ」
「いや、そうではない。まだ仕事が残っている」
顔をそのままジェニファーへと向けるローファス。
「仕事って?」
釣られるようにしてマリアンもジェニファーへと顔を向ける。
(まさか!?)
思わず目を疑うような光景。
「……はぁ……はぁ…………」
そこには出産を終えた安堵の笑みを浮かべているはずのジェニファーがいない。未だに苦痛に顔を歪めている姿。
「これは!?」
慌ててすぐさまジェニファーに駆け寄るマリアンはすぐさまシーツの中に腕を入れた。
そして状況を理解する。
「ローファス!? まさかエレナ様は――」
驚愕に目を見開いていた。
「――双子なのかい!?」
衝撃的な言葉。
(なんだって!?)
その言葉にローファスは驚くどころか当然のようにニタっと笑みを浮かべる。
「ああその通りだ。だからマリアンには次の子を取り出してもらいたい。それが残っている仕事だ。驚いただろう?」
「バカなのかいあんたは!? いや、王妃様と合わせて二人ともだ!」
盛大な溜息を吐くマリアン。
「まったく。何を驚かせようかと思えばそういうことかい。確かに随分大きなお子だとは思っていたのだが」
「ははは」
「笑いごとではない! せめて産婆を務めるわたしぐらいにはこんな大事なこと言っておかんかっ!」
苦痛に顔を歪めながらもジェニファーも笑っていた。
「申し訳ありません」
「マリアンがこれだけ驚いたんだ。この分だと皆ももっと驚くな。皆が驚いた顔を見るのが今から楽しみだ」
「あほかいっ!」
諦めて次の子を取り出す準備に入るマリアン。
(どう……いうこと?)
衝撃的な展開。まるで予想もしていなかった。
(エレナが、双子? エレナはこれを知ってたの?)
しかしそれは否定する。もしそうであればエレナがとっくに紹介しているはず。
隠していたのかとも思ったのだが、同時に思い返すのはこれまでのいくつかのやりとり。そのような素振りは一切見られなかった。
(いや、知らないはずだ。だから、だから王様は謝っていたんだ)
円卓の間でローファスがエレナにかけていた言葉。謝罪の念。その眼で確かめて欲しい、と。
(だったら、次の子はいったい……――)
どこにいるのかという疑問。戸惑う思考を必死に落ち着かせている間に、耳に響くのは産声。
「おぎゃあああああっ!」
それ程の時間を要さずに次の子が生まれている。時刻は日を跨いでいる。
その場から目が離せない。
(――……だれ、なんだ)
喉を鳴らすヨハン。
「ふぅ、良かったの。二人目も安産じゃった」
そのまま産湯へと浸け血を洗い流していた。
「ほれ、次の子も女子じゃ」
「そうか」
「しっかしとんでもないことを考えおるの」
「ご苦労だったなジェニファー。良くやった。エレナを抱いてやってくれ」
「…………は、い」
「それにマリアンもすまなかったな」
生まれたばかりのエレナをジェニファーに預け、ローファスは次の子をマリアンから受け取る。
「どうかしたか?」
もう一人の赤子を抱きながらローファスは深刻な表情をしていたジェニファーへと顔を向けた。
「……いえ」
「疲れたのだな。今は休んでいればいい」
「……はい」
俯くローファスと片付けをしているマリアン。
本来であれば大きな山場を終え、落ち着いた装いがあるその場にヨハンが抱くのは悍ましい気配。
(さっきの、今の子が生まれる瞬間)
明らかに異常なモノが見えていた。
(王妃様の……いや、あの子の中に入っていった瘴気、あれは…………)
覚えがある。つい先程、というには途方もない年月の経過があったのだが、ヨハンからすればそれは時間にしてそれ程経っていない。少し前に目にした瘴気に他ならなかった。
(スレイが転生する時の、瘴気?)
思い違いであればいいのだが恐らく間違いない。これが何を視ているのか。
(だったら、この子が魔王の器?)
そうして思い当たる答えに行き着いたところでローファスがゆっくりと口を開き始める。
「次も女の子か。これから二人仲良く、しっかりとエレナを支えるんだぞモニカ。モニカ・スカーレットよ」
耳を疑うその名前。
(え?)
信じられない。
(いま、王様はなんて?)
しかしはっきりとその名を口にしていた。聞き間違えなどではない。
(モニカ、モニカって……――)
まさか、とは思うのだが同時に過るのはその名前を持つ少女の顔。
(――……モニカが……モニカが、エレナの妹、だった………………――)
そんなヨハンの衝撃などおかまいなしに笑顔を見せているローファス。
(――……だったら、だったらどうして?)
同姓同名の別人なはずがない。しかし理由がまったくわからない。どうしてモニカとエレナが別の人生を歩んでいるのか。どうしてこれまでその事実を互いに全く知らされてこなかったのか。
(こんなの、どうしたら……)
答えが出ない中、耳に入って来るのは震えるジェニファー王妃の声。
「二人とも、少し、いいですか?」
「どうした? 今は俺とマリアンに任せてゆっくりしてればいい」
「ま――」
「さぁて、まずはジャンでも驚かせに行って来るか」
モニカをマリアンに手渡そうとするローファス。
「――待ってくださいっ!」
「わっとと」
突然叫ぶジェニファー。ビクッと身体を揺らすマリアンとモニカを落としかけるローファス。
「どうした? 急な大声は身体に障るぞ?」
「……ねぇあなた」
先程の大声とは打って変わって小さな声。ローファスとマリアンが不思議に思い顔を見合わせる中、ローファスは近くの椅子に腰かけ、マリアンはモニカを抱いてジェニファーに寄り添った。
「なにか心配事でもありましょうか?」
優しく語り掛けるマリアン。しかしジェニファーの表情は強張っている。
「産後で気が立っているかもしれませんが」
「いえ、違うのです。確かに出産の疲れはあるにはあるのですが……とにかく……今は休んでいる場合ではなく、それどころではない気がします」
真剣な眼差しをローファスへと向けるジェニファー。
「何を言っているのだ?」
ローファスは言葉の意図を理解できない。それはマリアンにしても同じ。
「……今、確かに禍々しい何かがモニカの中に入っていくのを感じ取りました」
チラリと生まれたばかりの我が子へと向ける視線。
「禍々しいもの?」
「はい。間違いなく良くない、なにか、こう……邪悪な」
「それは、つまりどういうことだ?」
「申し訳ありません。わかりません」
「わからないってお前」
呆れるように首を振りながらため息を吐くローファス。
「ですが、間違いありません。感覚的なことで申し訳ありませんが私はモニカと繋がっていましたのではっきりとソレを感じ取りました」
「とは言ってもなぁ……」
マリアンの顔を見るのだが、マリアンは困惑して顔を振る。
「勘違いではないのですね?」
「はい」
「ローファス。なにか思い当たることはないかい?」
「思い当たること?」
「ああ。王家に纏わる何か伝承のようなこととか、そういった類の話さ」
「伝承……か」
問い掛けられたローファスは思案に耽った。
「もし、もしですが」
瞑目するローファスに対して口を開くジェニファー。
「以前、笑いながら話していたではありませんか。あなた達王家が大昔に受けたという呪いのことを」
「…………」
ゆっくりと目を開けていくローファス。
「……ああ。確かにそういう話をしたな。結婚した時のことだな。だが、それがどうかしたか? これまで何も起こらなかった眉唾物の話だ」
「それが、もし今起きたのだとしたら?」
「それは一応王家の習わしとして確認している。世界樹に異常はない。お前も見ただろう?」
「はい。それは確かにそうなのですが、ですが、もし今起きたのだとすれば、今後世界樹に異常が見られるはずです」
「……う……むぅ」
「もしかしたらモニカがその呪いを受けたかもしれません」
唖然とするローファスの横で疑問符を浮かべているマリアン。
「ちょ、ちょっと待て! それはどういうことだ!?」
「その呪いが成就される条件が何かまでは王家も知りえていませんよね?」
慌てふためくマリアンにジェニファーはチラと視線を向けるだけに留め、言葉を続ける。
「……ああ」
「王妃、さま……」
「もし、もしですが、呪いの条件、それが王家に双子が生まれるということでしたら? 今まで王家に双子が生まれたことはありますか?」
「…………ない。俺が知る限りでは」
ジェニファーの言葉を鵜呑みにできないローファスなのだが、ヨハンにはそれがあり得る可能性だと思えていた。
(シグと……スレイ。もしかして、これが呪いの正体?)
だとすればジェニファーの見解にも一定の納得はいく。しかしローファスは違っていた。
「いや、だからって……そんな…………まさか」
「あの、先程から話がよく見えないのですが、もしお二人が何か不安を抱えているようでしたらこの不肖マリアン、お二人の為にどんなことであろうとも尽力したい所存であります」
差し込むマリアンの表情は真剣そのもの。その中に見せる慈しみ。確かな優しさ。
(思い、だした)
見覚えのあったマリアンのこと。その侍女とどこで会ったのかを。
(あの人だ)
モニカの故郷、レナトに行った際に会った使用人。間違いなかった。
(だったら……だったらヘレンさんとヨシュアさんは……?)
連鎖的に抱く疑問。モニカの両親と名乗っていた、モニカ自身もそう口にして親愛を向けていた人達。
あの温かな家庭がどうして形成されることとなったのか、焦燥感に駆られるような疑問を抱きながら、辺り一帯が白みを帯びていく。




