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第五百四十二話 開演

 

「思っていた以上に広いわね、この劇場」

「ええ。それにここからだと真下辺りが見えないから、もしヨハンくんとカレン先生がこの下に居ればわからないなぁ」


 モニカとサナが手すりを掴みながら周囲を見渡す。

 劇場には空を覆い隠す天井があり、会場は高出力の魔灯石により照らされていた。正面には大きな舞台が備えられており、舞台全部をある程度どこからでも見えるように半円形に観客席が設けられている。観客席は少なくとも数千人は優に入るだろうという規模。

 貴賓席は舞台を正面に捉えて最上部。そのため、真下の観客席は見下ろしにくい。そもそも観客席を見下ろすために造られていない。


「これだけいるとなると」


 クルシェイド劇団という王国でも特に有名である劇団の公演。会場はもうほぼ満席。

 トラブルによって開演が遅れているのでざわざわと落ち着かない様子も見せていた。


「まぁだがここにいるだろうということは確認が取れてるぜ」


 レインが聞き込みをした結果、学生の知り合いがヨハンとカレンの姿を見ているのだと。


「じゃあそういうことで、あとは終わってからね。私はじっくり劇を観させてもらうわ」

「ほんと半分はあなたのせいだというのにね」


 既にヨハンとカレンを探すことを諦めているナナシー。


「私も劇って見たことないから楽しみだなー」


 しかし楽しみにしているのはナナシーだけではなかった。


「えっ? サナもないの? 人間なのに?」

「別に人間だからってみんなが観たことあるわけじゃないわよ。そもそも演劇って娯楽に含まれるから、興味のある人とない人で嗜好が分かれるの。それに意外と値段も高いのよ。だから観たことがない人って結構いると思うわ。だいたい、貧乏だった私の家だと今まで観る機会がなかったしね」


 演劇鑑賞は人間の文化の中でも娯楽の一つ。観る機会のある人はそれほど多くはない。興味がない人はもちろん、値がそれなり。主に富裕層の人間に限られていた。


「へぇ。じゃあ今日は一緒に観ることが出来て良かったよね!」

「まぁそうね。うん。だからせっかくだし私も楽しんで観るつもり」


 サナが生まれ育った町、セラは人口も少なければ劇団がやってくる数も少ない。来たところで観に行くお金もない。


(ちょっとズルだけど、いいよね)


 貴賓席などと、エレナやマリンと知り合いでなければこんなところ一生叶わない。それもクルシェイド劇団の演劇ともあれば。評判の高いその劇をこの目で観られることが本当に楽しみで仕方ない。



 ◆



 ブーッと鈍く低い音が響き渡る。


「皆様、大変長らくお待たせしました! 先ずは、予定の時間を大きく遅らせてしまいましたことを心からお詫び申し上げます。そして、本日は我がクルシェイド劇団を観に来て頂きまして、誠に有難う御座います」


 舞台中央で明かりに照らされるのは座長のモルガン。拡声の魔道具を用いて会場中に話し掛ける。ざわざわとしていた観客は途端に静まり返った。


「やっと始まるんだ」


 これまで暇を持て余していたニーナ。退屈で仕方なかった。


「さて、つきましては、重ね重ねで真に申し訳ありませんが、皆様にお知らせしたいことがあります」


 遅れていた理由は演者のトラブルと伝えられている。


「本日の公演ですが、非常に残念なことに、主演女優のアリシアが怪我をしてしまいました」


 ざわつく会場内。主演を務める予定だったアリシアは王都でも有名であり、アリシアを目当てとしている観客もいるほど。中には残念がって立ち上がる者もいた。

 そんな会場内の様子を見回すモルガンは不敵な笑みを浮かべてゆっくりと口を開く。


「そこでわたくしは代役を立てることにしました。もちろん御覧頂くことなく退場をされる方にはご返金致しますが、すぐに後悔することをここに宣言しておきましょう」


 満面の笑みを浮かべて両手を広げた。


「急遽立てることとなったその代役、その演技の素晴らしさもさることながら、見目麗しい美貌の持ち主。今回限りの特別公演となりますので、もし見知った方がおられましても何卒ご了承くださいませ。存分に楽しんで頂けることを、座長であるわたくしモルガンとこのクルシェイド劇団の名に懸けて保証させて頂きますのでご存分にお楽しみくださいませ」


 多少ざわつく会場内。懐疑的に見るのだが、ここまで待たされた以上、そこまで言うのであれば、と席に座り直す者もいる。


「へぇー。王都でそんな有望株を掴まえたのね」

「ですかね?」


 何の気なしに話すモニカとサナ。


(あれ? 気のせいかな? 何か嫌な予感がすんだけど……――)


 妙な寒気に襲われるレイン。


「どうかしましたの?」

「――……いや、べつに」


 その様子に僅かに首を傾げるマリン。


(恋愛もの、ねぇ。以前のわたくしであれば興味も湧かなかったでしょうけど、今ならどんなモノか観てみたくもあるわね)


 父の事業の兼ね合いで観に来ざるを得なかっただけなのだが、隣に座るレインに寄せる想いが日に日に溢れてきて仕方ない。


「お待たせいたしました!」


 そんなマリンの視線、気持ちに一切気付かないレインを余所に舞台が幕を開ける。


「それでは存分にお楽しみ下さいませ、本日の演目である『天使が待つその場所まで』です!」


 ブーッ、っと開演を告げるブザーが鳴り響いた。そのまま会場内が暗転する。

 観客席を照らし出していた魔灯石がどれも明るさを消していき、舞台上を見守る静かな観客。数席向こう側も見えない程の薄暗さ。しかし誰も周囲をキョロキョロと見回すことなく向けられる視線はただ一ヵ所、仄かに照らされている舞台上に集まっていた。


 僅かの静寂がその場を包み込んだ直後、舞台上は少しばかり明るく照らされる。


「始まるね」


 ナナシーの小さな呟きが耳に入る頃にはもう全員がヨハンとカレンを探すことが頭の中から抜け落ちていた。暗闇の中で捜しまわることなどできはしないので、これから始まる劇を純粋に楽しむことにする。


 そうして会場内に響き渡るのはナレーション。

 そこでは演目の設定であるガリアン王国とセルシア王国、その二か国の親交と周辺諸国の諸々の国家事情。そしてその後戦火に見舞われることだけを簡潔にまとめて話していた。それは事前に広報されていた話そのままであり、当然観客も知っている。


(ん?)


 いよいよ演者が舞台上に姿を現そうとしている頃、不意にニーナが得る妙な違和感。


(あれ?)


 舞台上が一際明るく照らし出され、張られていた幕が左右に広がった。

 舞台上に設置されている大道具や背景画などにより、どこかの城の中であろうということはすぐにわかる。


『おい! 戦況は一体どうなっている!? 未だ勝利の報告はないのか!?』


 貴賓席にいる一同にとっては妙に聞き覚えのある声。

 次の瞬間、二人の男、貴族服の男と軽装に身を包んだ兵士が舞台袖から中央にやってきた。


『はい、申し訳ありませんミカエル王子。王もこの状況に苦慮しておられます。現在我が国は非常に厳しい状況下にあり、かなりの劣勢であります』

『……くそっ! こうなったら俺も戦場に出る! アセンシオけして止めるなよ!! 俺が戦場に出たら父上に報告しておいてくれっ!』

『はっ!』


 突然ミカエルとしてヨハンが舞台上に飛び出してきている。


『いくぞ皆の者! 戦支度をせよ!! 勝利の報告を祖国に上げるのだ!!』

『おおおおッ!』

『……アイリーン…………せめてもう一度だけでも会いたかった…………』


 すぐさま舞台袖へと姿を消していった。


「「「は?」」」

「やっぱりお兄ちゃんだよね」


 ニーナがぽつりと漏らす中、思わず呆気に取られる。

 わけもわからない事態に襲われるが、舞台上ではガリアン王国、王城内の様子が立て続けに繰り広げられていった。

 その短いやりとりをただただ静かに見守っている観客。これからどういう風に物語が紡がれていくのかと。


「おい……――」


 しかし、それを静かに冷静に見守っていられない人物達が貴賓席には何人もいる。


「――……どう、いうこった?」

「……わたくしがわかるわけないでしょう」


 探していた人物が突如として姿を見せた。


「ヨハンくん、かっこいい。王子様だって」

「あんたはこんな時に何を言っているのよ」


 蕩けるような視線を舞台上に向けるサナに呆れを示すモニカ。


「でもまさか、さっき言っていた人物ってヨハンのこと?」

「……いえ、違いますわ」


 否定するのは、座長の言葉を思い返す。


「ねぇ、ヨハンでも出れるのこれ?」

「そんなわけないでしょう。何を言ってるのよこのエルフは」


 思い思いの言葉を口にしていった。


(さきほど、座長の方は見目麗しいと、確かにそう言っていましたわ)


 エレナが思い返す中、舞台上は暗転している。


「まさかっ!」


 ガタンと勢いよく立ち上がるなり、再び舞台上が照らされた。


『あぁ、ミカエル様……どうかご無事で』


 城の踊り場で夜空を見上げるアイリーン王女。主演。


『……アイリーン』

『お父様? ミカエル様は……ミカエル様は、きっとご無事ですよね!?』

『アイリーンも不憫なものよ、毎日こうしてただただミカエルの無事を祈ることしかできんとは……』


 舞台上の一幕はセルシア王国の城内の様子。

 そこには当然セルシア王国の王女アイリーンに扮したカレンが姿を現している。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「……カレンさんだね」


 絶句した。

 その場で言葉を発することができたのはニーナだけであった。



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