第五百四十一話 追跡
「――……よしっ! やるわよヨハン!」
思案した後に満面の笑みで答えるカレン。
「えぇっ!? 本当にするんですか!?」
「そうよ。やっぱり困っている人は見過ごせないわ。それにきちんと報酬も支払ってもらえるみたいだし、セリスのためと思ってやればいいじゃない」
期待に胸を膨らませて目を輝かせているセリス。
「では細かなことを打ち合わせするとしようか」
「……どうなってもしらないですよ?」
「そこはわたし達の責任ではないわ」
そうは言われるものの、責任が全くないわけではない。
(どうしよう……)
迷いを抱きながらもどうにも断れそうにない雰囲気。
「では私達は公演を楽しみにしているよ」
「カレン様、ヨハン様、では失礼します」
ペコリと頭を下げるセリスはレイモンドと共に部屋を出て行った。
そこから先は劇団員から台本を手渡され、目を通す作業に入る。
「どうだ? やれそうか?」
「……そうね。やれないこともないと思うわ。でも改めて冷静に考えてみたのだけど、本当にわたし達で良かったのかしら?」
「そこはまぁ実は代役のミカエル役もそれほど整った容姿ではなかったのでな。その点兄ちゃんは十分に整っている。それに、姉ちゃんと恋仲で気心知れた関係なら掛け合いも問題ないだろう。ただ、問題は台詞を覚えるという点だが……」
「その点なら問題ないわ。要は演目に沿った内容なら良いってことよね?」
全く計算がないわけではない。
「わたしは家庭の事情で一演目ぐらいならすぐに覚えられるように育てられているし、ヨハンも物覚えが良い方だから。ただ、それでも当然覚える時間がある程度欲しいのと、一言一句間違えることなく覚えるなんていうのは流石に難しいわ。だからストーリーの流れで多少アドリブが入るってことだけは許容して欲しいわね」
「それぐらいは目を瞑ろう」
「あとは新人として紹介しておいて予防線でも張っておけば観客もある程度は納得させられるのじゃないかしら?」
カレンの提案に一定の同意を示すモルガン。近くにいる劇団員を呼んで諸々の手配を始めた。
「あの、カレンさん?」
「何?」
「えっと、カレンさんはそうかもしれないですけど、僕は自信がないんですけど? 演技なんて全くやったことないですし」
王国で有数の劇団。その公演に本当に出てもいいものだろうかという疑問が付きまとう。
「ああ。そっちも大丈夫よ」
台本を開いているカレンはパンパンと指の背で軽く叩く。
「ざっとだけどストーリーをさらった感じ、ヨハンは最初と最後以外は戦場でのシーンがほとんどなの」
「はぁ……?」
「だからね、普段の冒険者としての振る舞いで臨んでくれたら問題ないわ」
つまり、冒頭とクライマックス以外は演技をする必要はそれほどないのだと。
「冒険者なのか?」
モルガンが首を傾げて問い掛ける。
「はい。彼はこれでもS級に上り詰めていますので」
「なっ!?」
そのままギルドカードを提示すると、モルガンはヨハンの顔とギルドカードを何度も見比べた。
「偽物……ではない、な。信じられん」
護衛を雇うこともある旅の劇団。まるで信じられない。
しかし、侯爵と繋がりがあるのであればそれにも多少の納得はいく上に、カレンが先程口にした戦場での演技にもそれ程心配がいらないということにも理解ができる。
「では、その辺りは後で確認しよう。時間は二時間ほど遅らせられる」
「そうね、それぐらいで十分だわ」
脳裏を過る微かな心配。それは劇とは別のところにあった。
(ごめんなさいね。ちゃんと説明はするから)
苦笑いで内心謝るのはモニカ達へ。別の形で埋め合わせをしなければいけない。
「よし、わかった!」
勢いよく立ち上がるモルガン。
「では早速残りの準備に取り掛かる! 俺はこれから色々と変わったところの準備に奔走するからあとのことは頼んだぞ!」
「ええ。任せて」
それからはバタバタと劇団員が動き回る姿を横目に、台詞覚えに努める。
「……知らないですよ、こんなことして?」
じろっとカレンを見るのだが、カレンは顔を逸らした。
「だ、だって、しょうがないじゃない!」
◆
そうして一時間近く経った頃。
「はぁ。まさかレインがそんなものを渡していたとは」
溜息を吐くエレナ。王都南地区の劇場を前方に捉えながら歩いていた。後ろを歩くレインへと責めるような視線を送る。
「俺だってそんなことになるなんて思わねぇじゃねえか。俺のせいじゃねぇっての」
全員でヨハンとカレンが居るであろう劇場を訪れていた。
(ったく、戻って来ねぇと思っていたらこんな時に限って開演時間遅れるなんてどうかしてるぜ全く)
予定の時間になっても二人が屋敷に戻ってこなかったことからどうしたのかと。
困惑するレインをエレナが問い詰めた結果、クルシェイド劇団のチケットを持たせたことを話している。
その時点で女性陣の不興を思いっきり買うことになったのだがそれはそれ。時間を過ぎても帰って来ないことと理由が繋がらない。
『どうやら少し公演が遅れるみたいですな』
出先から戻って来たイルマニに教えてもらったことで帰って来なかったことを理解し、待っている時間も勿体ないので探しがてら劇場へと足を運んでいた。
「でも、どこにもいないですね」
きょろきょろと周囲を見回すサナ。目につく範囲にはヨハンとカレンの姿が見当たらない。
「もう中に入っているのかな?」
モニカが周囲を見渡しながら口を開く。
「そうかもしれないですわね」
「んなこといっても、俺もうチケット持ってねぇぞ?」
「仕方ないわね。だったら待つしかないみたいね。でもレインはせっかくお兄さんからもらったのあげてもよかったの?」
首を傾げるナナシーに対してレインは視線を彷徨わせた。
「い、いや、そりゃー……――」
言えない。本当はナナシーと二人で観に行くように言われていたことを。
「どうかしたの? レイン」
スッと顔を覗き込むナナシー。
「――……じ、実は、その、ナ……ナナシーと観に行くように、兄貴から言われてたんだ」
「えっ?」
「だ、だって、さ、ほら、人間の文化、だしさ。けど……今日はこれをするって言うからさ」
「なによそれっ!? どうしてもっと早く言ってくれなかったのよ! 私は観たかったわよ!」
ナナシーからすれば、むしろ先に声を掛けてもらっていれば今日の日程を変更しても良かった。
「え? あっ、そう?」
その返答に壮大な後悔を抱く。
(しまった! これだけ興味を引けるなら自分で使えば良かった!)
しかしそう思ったところで今更どうしようもない。
(なんか腹立つわね)
(ほんとマリンさん可哀想)
モニカとサナが抱く感想。遠くに見えるマリンが不憫でならない。
「あれ? マリンさん?」
「……はぁ。仕方ありませんわね」
「?」
「とにかく、しばらく待っていてくださいませ」
マリンへと向かって歩いて行くエレナ。何やらこちらを見ながらいくらか話し込んでいた。
そうしてエレナから話を聞き終えたマリンは溜息を吐いて片手を腰に当てると軽く手招きする。
「急にエレナが頼みごとをして来たかと思えばそんなことですの」
不遜な態度でレイン達を見た。
「今回だけですわよ。エルフ」
「え? どういうこと?」
「実は、クルシェイド劇団を招いた興行を担っているのはマリンのお父様のマックス・スカーレット公爵なのですわ」
「そ。だからあなた達は貴賓席で観させてあげるわよ。わたくしの権限で」
「なーに言ってんだ。お前じゃなくて、公爵様だろうがよ」
「だったらレインは入らなくていいわよっ!」
「んだと?」
「まぁまぁいいじゃない。ありがと、マリンちゃん」
いがみ合うレインとマリンの間に入るナナシー。
「まったく。エルフは相変わらず図々しいわね」
マリンは三度溜め息を吐く。
「でも本当に嬉しいわ。貴重な劇が見れるだなんて感謝しているもの」
「べ、別にあんたに感謝される覚えはないわよ。エレナから言われただけですわ」
「そう? だったらいいけど。それにエレナもごめんね。ありがとう」
「いいえ。文句は全部レインに言いますのでナナシーは気にしないでくださいませ」
元々の原因はチケットを渡したレインのせい。
(結局全部俺が被んのね)
早くヨハンとカレンを見付けないと、何を言われるかたまったものではない。
「貴賓席からは観客席もある程度は見渡せますので、ヨハンさんとカレンさんがいないかも探しますわよ。特にレイン?」
「はいはい、わかってますよ。必死に目を凝らせて探させてもらいますよー」
ぶっきらぼうに答えるレインの背中を見つめるマリン。
(良かったですわ。せめて二人で観ることにならなくて)
とはいえ、どうして先にレインを誘うことができなかったのかと、僅かの思慮不足を嘆く。
そうしてこの後に見ることになる予期していない展開、その光景に衝撃を受けることとなった。




