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第五百四十 話 セリスの懇願

 

「な、何よ!? いきなり大きな声を出して! びっくりするじゃない!」


 困惑する一同。


「っと、これはカトレア卿にランスレイ卿。失礼しました」

「いや、それよりどうした?」

「実はですね……――」


 劇団の関係者と思しき人とレイモンド・ランスレイが小さく会話を交わす。


「でも、どうしたんでしょうね」


 疑問符を浮かべるセリス。


「もしかして、カレンさんに出てくれっていうつもりだったんじゃ?」

「そんなわけないでしょ」

「でも、カレンさんならできますよね?」

「そりゃあ人前に出ることぐらいはわけないし、演技とかそれに近しいものは一通り習ったけど」


 実際、継承権がなかったことからして多くを学ばされていた。


「それとこれとは別でしょ」


 自信がないわけではないが、王国有数の劇団がそんなことを頼むはずがない。見ず知らずの他人に協力を仰ぐなど考えられない。


「――……どうすかね?」

「かまわん」

「レイモンド、お前勝手に」

「何を言っている。これだけ面白そうなことになるのだ。断る理由もないだろう」


 カツカツとヨハン達へと歩くレイモンド。


「すまないが、少し相談があるので一緒に来てもらってもいいか?」

「はぁ……?」


 一体何がどうなっているのやらと、言われるがまま劇場裏に付いていった。

 裏口から入るとしばらくは薄暗い通路が続いている。そこかしこに劇に使われる小道具に大道具。城の一部を切り取ったかのような螺旋階段や大きな建物を模して造られた木造看板。付近には巨大な紙がクルクルと巻かれていた。


「へぇー、色んな道具が使われるんですね」

「本当ですね。私も初めて劇を観るから楽しみだったんです」


 セリスと二人で歩く。


「でも、今日はだめみたいですけど」

「……そうだね」


 しばらく歩いた先で入ったのは大部屋。個人の荷物に小さな物、化粧道具等が置かれている劇団員の楽屋。


「おいおい中止にするなら早く知らせた方がいいだろ」

「でも、ここまで来て中止になんて」

「けどよぉ、できねぇもんは仕方ないだろ」


 中に入ると劇団員たちが準備に追われながらも、主役の代役が立てられないことに対して不安そうにしている様子もある。


「おい、みんな聞けっ!」


 髭面帽子男が大声で話すと、視線が一斉に集まった。


「座長?」

「誰すかその人ら?」


 ランスレイ卿に声を掛けたのはクルシェイド劇団の座長。つまり一番上。


「代役を見つけて来たぞ!」

「「「え?」」」


 ポカンとするのは劇団員だけでなく、ヨハンとカレンとセリスにしてもそう。


「この子がアイリーンなんだが、どうだ?」


 腕を広げる座長。劇団員の視線はカレンへと集まる。


「ちょ、ちょっとちょっと、どういうこと?」

「聞いての通りだが? ランスレイ卿には確認は取ったぞ?」

「なっ!?」


 カレンが視線を向ける先にいるレイモンド・ランスレイ侯爵は口笛を吹いていた。


「おじい様、つまりそれは演劇を観れるということですよね!?」

「ああそうだ。安心しろセリス。カレン殿がお前の望みを叶えてくれるさ」

「カレン様……」


 キラキラとした眼差しをカレンに向けるセリス。羨望と懇願の入り混じった瞳。


「ぐっ……卑怯な…………」


 セリスに重なるルーシュの面影。


「……えっと、カレンさん? これはどういう状況ですか?」

「兄ちゃんからもこの姉ちゃんに頼んでくれねぇか!?」


 様子を見る限りあと一息。


「えーっと、まずそもそもの事情が全く呑み込めないのですが……」



 ◆



「つまり、その怪我をした主役の女性の代わりにカレンさんに演じて欲しいということですよね?」

「ああ。これだけの美女に会える機会なんてそうそうない。見事なまでに演目の内容に合致する!」


 正直なところ、本来の主演女優に引けを取らないどころか上回る。それだけの外見。


「聞けば演技も兼ね備えているらしいではないか。となれば代役としてこれ以上の人材はいない! きっとこれは天からの恵みだ!」


 クルシェイド劇団座長を務めるモルガンの一目惚れ。加えてレイモンドの保証付き。


「座長、本当にこの人を使うんですかい?」


 疑念を抱くのは劇団員。


「いくら外見が良かろうとも演技ができなければ話にもならないすよ」


 当然の帰結。人を惹き付ける美貌は一目でわかるのだが演技となれば別。


「だったらこれを演じて(やって)みな」


 投げ渡される台本。


「これって……?」

「どれでも良い。気に入った台詞を演じてみろ」

「そんなこと言われても……――」


 台本をパラパラと捲り不満気に目を通す。

 劇団員の視線を集めながら、尋常ならざる速読で物語の概要を掴んでいった。


「――……これ…………」


 その中で特に目に留まったのはほんの一文。祖国を思いながら、想い人の無事を祈るアイリーン王女の願い。


「これにするわ。じゃあいくわよ」

「手を抜くなよ」

「もちろんよ。やるからには全力を尽くすわ」


 チラと視線を向ける先はセリスへ。期待に胸を膨らませている。憧れを裏切るわけにはいかない。


(皮肉なものね)


 そして隣に立つヨハンへ向ける。目が合うヨハンは疑問符を浮かべている程度。


(届かない気持ちがどれほどもどかしいか)


 思わずアイリーンと重ねる自身の境遇。もし今のような形になっていなければ――想い人と一緒にいられなくなればどんな気持ちに苛まされるのか。

 すうっと大きく息を吸い込み、切り替える。台本に目を通す必要はない。今ここで必要なのはアイリーンへと気持ちを重ねること。


「――……ミカエル、どうか無事でいて。あなたが無事であれば、私は何もいらない。例え国を失ってもあなたへの気持ちは変わらない」

「「「…………」」」


 圧巻。ただその一言。身体全体を用いた表現。モルガンから指定されたのは台詞の読み上げのみ。それを悠々と超える演技には思わず魅入る。赤みを帯びてぽーっと口を開けて呆けるのはセリス。


「す、凄いです、カレンさん」


 大部屋に訪れた静寂を突いて言葉を発したのはヨハン。


「だから言ったでしょ。それなりにできるって」

「はい。ほんとびっくりしました」

「ほ、褒めても何も出ないわよ」

「いやいや、これは流石に驚かされた。想像以上だ」


 想定の遥か上の演技。こうなれば問題は台詞を覚えられるかどうかに限られる。


「いや、むしろこれだけ演目の役に合致するならその分を差し引いても十分プラスだな!」


 もう気持ちは公演に向かっていた。


「もちろん報酬も出そう」

「わたしはやらないわよ?」

「は?」


 その場にいる全員がカレンの言葉に耳を疑う。


「な、何故だっ!?」

「今のはあくまでもセリスとランスレイ侯爵への義理よ。誰も公演に出るだなんて言っていないでしょ?」

「む、ぐぅっ……」

「それに、どうして知らない人と演劇なんてしなければならないのよ。それもこんな恋愛ものを。わたしはただ観に来ただけだもの」


 パシッと手渡し返す台本。モルガンは台本へと視線を落としながら表情を難しくさせた。


「確かにそれもそうか。彼氏の目の前でいくら演技とはいえ恋愛ものをしてもらうのもな」

「彼氏ではなく、ヨハン様は婚約者ですよ?」

「そうよ。婚約者の前で恋愛ものなんて演じられるわけないじゃない。だからこの話はおしまい。さ、ヨハン、帰るわよ。そろそろ帰らないと交代の時間だしね」


 こんなことで余計な時間を潰したくない。残念がるセリスに申し訳なさを感じながらもヨハンの腕を引いて部屋を出て行こうとする。


「うーむ、では致し方ない。流石にここまでするつもりはなかったが……――」


 モルガンの視線の先はヨハンの後ろ姿。


「――……婚約者であれば問題もないか。なぁ兄ちゃん、ヨハンといったな。お前がこの姉ちゃんの相手役で出てくれないか? だったら問題は全てなくなるな?」

「え?」


 部屋の入り口でピタと足を止めるカレン。


「さぁこれでならどうだ?」

「カレン様! そうですよ! それならいいじゃないですか! 私もカレン様とヨハン様の演技を観たいです!」

「いやいやセリス、それはさすがに無茶だよ。モルガンさん、それだと条件がもっと悪くなってますよ。いくらなんでも僕までなんて」

「……ちょっとその話、詳しく聞かせてもらえないかしら?」


 腕を伸ばしてヨハンの言葉を遮るカレン。その表情は真剣そのもの。



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