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第五百三十六話 カトレア卿の憤慨再び

 

 騎士団との合同任務を終えた翌日。

 学校を終えて屋敷に顔を出していた。目を通しているのは屋敷の維持にかかる人件費や諸経費などの書類へ。内容自体はイルマニが問題なく終えているどころか、そもそも相場をよく知らない。


「ふぅ、終わった。ねぇイルマニさん、今日はどうかしたの?」


 屋敷を訪れてからのイルマニの表情というか、雰囲気がどこか重苦しい。


「……ヨハン様、本日はカールス様がおいでなさいます」

「そうなんですね」


 本当によく来るなと思う。


(カールス様に怒られたのかな?)


 カトレア卿の名を口にする瞬間のイルマニの微かな戸惑い。何かしらの不手際があったのであれば間接的に自分にも責任があるかもしれないと考えたところでドアが勢いよく開かれた。


「……はぁ……はぁ……はぁ…………」


 荒い息を切らせたカールス・カトレア侯爵が姿を見せる。


「そんなに慌ててどうかしたんですか?」

「い、急いで仕事を終えて飛んできたからな」

「その様子だと、もしかして、なにかとんでもないことでも起きましたか?」


 これほど取り乱した姿など見たこともない。となれば、何かしらの緊急案件が生じた可能性。

 神妙な面持ちのカトレア卿はイルマニと視線を合わせると小さく頷き合った。


「ああ。今朝、とんでもない話を聞いた」

「今朝?」


 学校でエレナに会った時は何も言っていない。ということはまだ情報が届いていないのだろうか。それともS級相当の極秘裏の任務となるのか。


(帰ってきたばっかりだけど、仕方ないか)


 内容によってはこのままパーティーを招集して任務に当たらないといけない。


「詳しいお話をお聞きします」


 身を入れてカトレア卿の言葉に耳を傾ける。


「ヨハン、お前に婚約者ができたと聞いたのでな」

「え?」


 どういう類の話かと思ったのだがそれがどうしたのかと。


「えっと?」

「今朝、国王から話があった。聞けばカレン様以外に婚約者がいるというではないか?」

「あ、あぁ、ニーナのことですね。でも、どうしてカールス様が?」

「っ!」


 確かにこの問題は後日改め的な感じで先送りにされていた。だがカトレア卿がこれほど取り乱す理由が理解できない。


「……そ、それはだな」

「ヨハン様、カールス様はヨハン様の後見人としての立場がございますので」


 言葉に言い淀んでいたカトレア卿に代わり口を開いたのはイルマニ。


「後見人?」

「ええ。以前お話ししたことがある通り、ヨハン様の学生の間の処遇に関して貴族があまり深入りしないように通達がなされているのは覚えていらっしゃいますよね?」

「はい、まぁ……」


 お世話になり過ぎているという程。屋敷の進呈に加え使用人であるイルマニやネネといった人材調達。維持管理に至っては全くと言っていいほどに手を付けていない。


「そのヨハン様が第二の婚約者をお作りになられたと聞いて、カールス様はいらっしゃったのです」

「そうだったんですね」


 来訪の理由は理解したが、それでもわからないことがある。


「でも、どうして慌てていたんですか?」

「そ、それは……じ、実は、レイモンドのやつが孫のセリスをヨハンの婚約者にしろとせがんできてうるさいのだ」


 取って付けた嘘。カールスの脳裏にレイモンド・ランスレイの顔が浮かぶのだが、すぐさま振り払う。実際この話があったことは事実。


「はぁ……」

「それでだな、曲がりなりにもあいつも四大侯爵家だ。自分の家を差し置いて他に婚約者を立てたともなると、俺もあいつも多方面から文句を言われる始末なのだ」

「やはりヨハン様は王国の貴重な人材です。侯爵家をないがしろにして、一般人との婚約ともなると、それ相応の理由が必要となるのです。それも二家ともなると尚更」

「どうにもご迷惑をおかけしているみたいですね」


 あまり大きな声では言えないが、カトレア卿の威光は他の貴族家を排除するのに大きな効果をもたらしていた。伴って懇意にしているランスレイ家にしても同じ。

 セリスとの婚約は断ってもいいという前提の話であったのだが、断った後に別の婚約者がいるとなれば権威も何もあったものではないということなのだろう、と解釈する。


「それで、国王は詳しく教えてはくれなんだが、いったいどういうことなのだ? 詳しくは本人に聞けと言われたのでな」


 真剣な眼差しでのカールスの問いかけ。


(どうしよう。竜人族のことを言ってもいいのかな?)


 希少種族であるニーナとリシュエル。どこまで話していいのか悩ませた。


「先程は一般人だとは言ったが、相手が竜人族だということは聞いている。ニーナはお前のパーティーメンバーだろう?」

「あれ?」


 カトレア卿はパーティーメンバーの基本情報は網羅している。竜人族のことは別として。


「俺が知りたいのは過程のことだ。どういう経緯で竜人族の娘と婚約を結ぶことになったのだ?」

「あー、僕もニーナのお父さんから聞いた話ですよ?」


 しかしどうやら真実らしいというその話。

 そうしてカトレア卿に、父であるアトムがリシュエルと二人で食事、酒を飲んでいた時に交わしたというらしいその約束を、聞いたこと全て、知っている範囲で話して伝えた。


「侯爵様、お茶をお持ちしました」


 使用人のネネによって扉がゆっくりと開かれる。


「なんだとっ!」

「え!?」


 怒声と共にダンッと大きな音が響いた。


「か、カトレアさま?」


 部屋に入ったネネが困惑するのは、カトレア卿が僅かに腰を上げて、力いっぱいに机を叩いている姿に。


「アトムの奴がそんな約束をしたというのだな!?」

「は、はい」

「酒の席で、だな?」

「は、はい、そう聞いています」

「……そうか、わかった」


 ゆっくりと腰を下ろすカトレア卿にネネが恐る恐る近づく。


「あ、あの、お話し中に失礼します。その、紅茶です」

「ああ。すまない。ありがとう。取り乱した姿を見せたみたいだね」

「い、いえ、とんでもございません」


 態度を一変させ笑みを浮かべるカールスに対して大きく頭を下げるネネはそそくさと部屋を出ていった。


(あー、びっくりした。あんなに怒っているカトレア様って……――)


 廊下に出たネネが顔だけ振り返り思い返すのは、温和なカトレア卿が言葉を荒げることは限られる。


「――……今回もヨハン様に絡んだ件なのかしら?」


 それ以外には見たことがない。

 答えのでないことに思考を巡らせたことで妙な不快感が胸中に湧き出た。


「はぁ。仕方ないわね。こんな時はカレン様に癒してもらいましょう」


 愛らしい主の婚約者。

 そのまま足早に、真っ直ぐにカレンの私室へと向かっていく。


「イルマニ、アトムの奴はどれぐらいで帰ってきそうだ?」


 小さくイルマニに耳打ちする。


「確か、近い内に帰還するというご連絡が国王にありました」

「そうか。ならばこちらも注意しておくが、追加情報があれば」

「はい。必ずご連絡させて頂きます」

「うむ。頼んだぞ」

「はっ!」


 疑問符を浮かべて首を傾げているヨハンを余所に話す二人。


「突然邪魔をしてすまなかったなヨハン」

「いえ、それで、父さんがどうかしましたか?」

「いやなに、どうやらお前の父親は考えなしに物事を決めるようだな」

「そう、です、かね?」

「とにかく、詳しい話が聞けて助かった。では私はこれで失礼するよ、仕事も残してあるのでね」

「……はい。お忙しいところご足労いただきありがとうございます」

「なに、気にするな。困ったことがあればいつでも力になろう」

「ありがとうございます」


 落ち着いた装いを見せるカトレア卿の様子が不思議でならない。

 そのまま部屋を出ていくカトレア卿の姿を見送った。


「結局、なんだったんだろう?」


 来訪した当初の慌てた様子と一切繋がらない。


(――……くそぅっ、あの酒乱めッ!)


 内心で抱く腹立たしさ。廊下を歩くカトレア卿はアトムの酒癖の悪さを知っている。迷惑を被ったのは一度や二度ではない。

 ヨハンから話を聞いたことでおおよその話の流れを理解した。大方酒に酔った勢いで適当に返事をしていたのだと。


「おや? これはカレン様。可愛らしい格好をされていますな」

「こ、こんにちはカールス様」


 正面から歩いてくるカレン。いつもは下ろしている長い銀髪を今は二つに束ねており、服装も加えてどうにもいつもと違い幼さを感じさせる。


「へん、じゃないですか?」

「いえ、とんでもございません。よくお似合いですよ。そういった格好も新鮮でよろしいかと」


 パッと表情を明るくさせるカレン。


「良かった! では失礼します」


 軽く頭を下げるなりすぐさまパタパタと廊下を駆けていく後ろ姿を見送った。


「ふむ。ヨハンに見せにいく、といったところか」


 あれだけ表情を綻ばせて向かう先にはヨハンぐらい。孫が好かれている様を目にすると喜びも多少は込み上げてくる。


「あっ、カトレア様、もうよろしかったので?」

「ああネネ。さっきはすまなかったね」

「いえ、とんでもありません。別のところで解消させて頂きましたので」

「ん?」

「なんでもありません! 失礼します!」


 そのままカレンの後を追うようにしてネネも歩いていく。


「さて、早く戻らないとまた怒られるな」


 足しげくヨハンの屋敷に通うためには通常の業務を手早くこなさないといけない。

 溜息を吐きながらカトレア卿は屋敷を出ていった。



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