第五百二十二話 セラに向けて
束の間の休息を取ったその翌日、平野を駆けるいくつもの蹄の音。
「良かったね。別行動しても良いって言ってもらえて」
「うん」
地下の扉を開けるための道具が作れるかもしれないとアーサーに話したところ、一時的に現場を離れることを快諾してもらっていた。
そうしてヨハンが手綱を握る馬の背に乗っているのはサナ。目的地は港町セラとその近郊の森、ニーナの生家。
(まさかニーナの家の近くにその竜木があるだなんて)
リシュエルの話によると、間違いはないのだと。
肩越しに背後を見ると、案内を務めてくれているリシュエルが手綱を握る馬の後ろには膨れっ面のニーナが乗っていた。
同行しているのは他にモニカ、カレン、ナナシー。残りの他のメンバーは遺跡に残り浄化作業等の諸々の手伝い。加えて騎士団を代表して小隊長のスフィアとその小隊に所属するスネイルとバリス。
ただし、遺跡調査と異なることを強いられたのはエレナとマリン。今回の騎士団の内部騒動の証人としてアーサーと共にメイナード・ブルスタンを連れて一度王都に戻ることになっていた。レインはマリンが強引に護衛として連れだしている。
「でもびっくりしたなぁ」
「なにが?」
「ニーナちゃんのことにしてもそうだけど、あのリックバルトって人。テレーゼも驚いていたもの」
「そりゃあ……そうだろうね」
思い返すそのやりとり。気を失ったニーナは目を覚ますなり父との再会を喜ぶはずが、一撃で意識を失わされたことを大層悔しがっていた。
そんな中でキリュウ達と話しているリックバルト。遠縁とはいえ、突然獣人が自身を訪ねてきたのだから。その時のテレーゼの驚愕していた表情は鮮明に思い出せる。
「でも良かったよ」
「そうね。これでなんとかなればいいのだけど」
まだ竜木を手に入れたわけでも、サナの父に交渉をしたわけでも、扉の奥に行けることが確定したわけでもない。まだ今後に展望が見込めるという程度だが遺跡調査を続けるための光明が見えたのだから。
「それに、口実があるとはいえセラに行けるんだからさ。これでサナが育った町を見る事ができるね」
「ヨハンくん……」
肩越しに笑顔を向けられたことでサナはその目を見つめられずに思わず視線を逸らす。しかしヨハンの腰に軽く回していた腕を思いの丈の分だけ力強く抱きしめた。
「ちょ、ちょっとサナ、危ないって!」
急に力を込められたことで騎乗のバランスを崩しかけるのだが、それ以上に背中に感じる感触が気になって仕方ない。
(サナ、む、胸が……――)
振り解くわけにもいかない。しかし口に出すこともできない。ただただ羞恥だけが襲い掛かってきている。
「あんなに抱き着いちゃってまぁ。サナってヨハンのこと好きなのかな? どうなのモニカ?」
「なにを言ってるのよあなたは! 振り落とすわよ!」
背後から聞こえるナナシーの声に手綱を握るモニカの手が小刻みに震えている。
「そんなに怒ってたら馬が怯えるわよ?」
「べ、べつに怒ってなんかないし!」
「……ふぅん」
ニヤニヤとその様子を堪能するのだが、ナナシーがそのまま視線を向けるのはスフィアの背後に乗っているカレンへ。
(あっちはあからさまなんだけどね)
ギロッと二人を睨み付けているカレン。背後から異様な殺気を感じ取るスフィアは苦笑いすることしかできなかった。
◆
そうして馬を掛けること四時間ほど。平地を抜けた後にあった小高い山の山頂部に着く。見下ろす先には小さな森。左手には大きな崖が聳え立っており、右手には木々の隙間から薄っすらと見える湖。
正面、その奥には遥か水平線まで見渡せる程の広々とした海。鼻腔に沁みるのは、風に乗る塩の匂い。ヨハンを含め、ほとんどが初めて目にするその海に一番の感嘆の息を漏らしているのはナナシーだった。
「あそこがセラだよ」
サナが海の手前を指差すのは、海の大きさと比べるととても小さな町。そこがサナの生まれ故郷。
「あの町には後で行くとして今はこっちだ」
山を下るためには迂回する必要がある。
先導するリシュエルが手綱を引き、海を左に見ながら南へと向かった。
「もう間もなく着く」
そうして下っていった先は眼下に見えていた小さな森の中。
「こんなところに?」
およそ人が住むような場所ではない。地元として周辺の地理に詳しいサナが疑問に思っているとリシュエルは馬を停止させる。
僅かに開けた森の中。水音を響かせるのは山から湧き出る小さな滝。その水によって湖ができている。その湖のほとりに建っている小さな小屋。
「ここだ」
辺鄙、と言えばいいのか、近くに水が流れているとはいえ明らかに諸々不便を要する場所。
「…………」
「まだ拗ねているのか?」
無言で馬から降りるニーナの様子に嘆息するリシュエル。
「確かに恥をかかせたのは悪かったが、そもそも弱いお前が悪い」
「…………」
ニーナの実力を以てして弱いなどと、一体リシュエルがどれぐらいの強さなのか。加勢してもらった騎士の話では、第十中隊の騎士を前にしてまさに一騎当千、無双していたらしい。
「だって……」
「だが前より強くなっていたと思うぞ。だからいい加減機嫌を直せ」
「……ほんとう?」
「ああ。それに魔眼の力も制御できているようだし、良い経験をしているようだな。アトムのところ、いやヨハンのところだったな。とにかく良かった」
「次は……負けないからねっ!」
ニカッとはにかむニーナ。
「さて。娘の機嫌も直ったことだし、早速竜木へ向かうか」
そのまま歩きながら案内されるのは湖を沿った先にある滝の方角へ。
「でも、どうしてこんなところにその竜木が?」
滝の近くになると水音が大きく、遠くから見るよりも思っていた以上に大きな滝だった。
「竜木が育つにもいくつか条件があってな。ここがその一つなのだよ」
「条件?」
口にしながら更に向かう先は滝が流れ落ちるその裏側。洞窟になっていた。入り口は大きく建物程はある。
一体どのような条件があるのか。いくつか条件になりそうなことを考えるのだが思い当たるのはその土地が持つ力。具体的にはシトラスが利用しようとしていた龍脈のような力が存在しているのかと。
「見た方が早いな」
流れ落ちる滝により陽の光が遮られる中、それでもいくらか光を僅かに取り込むその洞窟内。
「えっ!?」
陽の光が薄くなろうとする頃、目の前の光景を目にして驚愕した。




