第五百十 話 獣の頭部
―――サンナーガの遺跡、キリュウの班が未知の脅威に曝されようとしているその頃、地上では。
「ロズウェル様」
副隊長に向かって騎士が慌てて駆け寄り小さく耳打ちする。
「やはり来たか」
それはアーサーの目算通りだったのだと。
「せめて隊長が帰還されるまでの時間は稼がないとな。全員戦闘準備ッ!」
遺跡の入り口から遠方を監視させていたところ、迫って来ている集団。それは第十中隊。ブルスタン家の影響を一番に受けている、否、正しく直系。
「――フンッ。グズランのせいで我が直に出張らなければいけなくなるとはな」
率いているのはブルスタン家の三男。メイナード・ブルスタン。
「本当によろしいのですね?」
「構わん。ここで憎きあのアーサーを亡き者にせんと。それに噂の竜殺し、アレも徐々に頭角を現して来た。チッ、カトレアの子飼いめ」
取り込むために接触しようにも取り付く島もない。
カトレア侯爵の庇護下だけでなく、学生同士とはいえ王女――エレナと行動を共にしていることも多く、このままではこれまで拮抗を保っていた貴族間の権力バランスが大きく崩れてしまうと。取り込めないのであれば邪魔になるだけだと暗殺を試みたのだが、まるで成功しない。
「幸い、ここでヤツらが壊滅しようとも未知の遺跡のせいにできるのだからな」
降って沸いたこの状況。利用しない手はないのだと。
遺跡の中に第一中隊の中枢戦力のほとんどが潜っているという話。上手くいけば入り口を塞いで生き埋めにすらできると考えていた。
「――……アレは王国の兵士……いや、騎士カ?」
遺跡を遠くに見渡せる丘の上、遠目に見るのは長い棍を持つ獣人。
「リックバルト、どうかしたか?」
その背後からスッと姿を見せるのは蒼い鎧を着込んだ男。
「リシュエル殿。いえ、なにやら殺気だっている気配を感じましたので」
「……なるほど。どうやら人間同士の小競り合いといったところか」
鎧の男、大柄なリシュエルの視界に映る騎馬隊。
「相変わらず懲りないようだな人間は」
「放っておきまスので?」
「人間同士のいざこざに変に介入すればそれこそどう捉えられるかわからないぞ? 特にお前のような獣人だとな」
「……それハ確かにそうですガ」
「そんなことより、お前の遠縁であるそのダゼルド家の姉妹が揃ってこの辺りに来ているのだろう?」
「はい。そのようニ聞いております。この辺りの遺跡ヲ調査しているト」
「そうか。遺跡といってもいくらかあるからな」
背を向けるリシュエルの後を追うようにして振り返るリックバルト。
(ようやくお前の故郷を見れるところだったのだがな)
肩越しに遺跡に顔を向けながら思い返すのは少年の姿。かつてカサンド帝国の闘技場で対峙した幼い冒険者。
手を出せないことに対して僅かの後ろめたさを抱いていた。
「――……ロズウェル副隊長、アーサー隊長は無事に戻って来られますか?」
「まぁ隊長のことだから大丈夫だろう。それに、あの学生の冒険者にしてももちろんだが、全ては我等が無事に済めばのことだ」
どちらにせよ地下と地上、どちらも生き残らない限り第一中隊が生き残る術はない。
片方だけが、地上だけが生き残ったところでアーサー達がいなければブルスタン家によって同士討ちの汚名を着せられることは間違いなかった。
◆
「あなただけに背負わせませんよ?」
薄暗い地下遺跡。警戒を最大限に引き上げ、獣化したキリュウの横に立つナナシー。既に戦闘準備は整っている。
「いいのか? この気配はただ事ではないぞ?」
「元より覚悟の上です。サイバル。サナ」
後方にて構えているサイバルとサナ。支援準備も万端。
「無理はするなよ」
声をかけるサイバル。迷うことなく最前線に立つナナシーに呆れてしまっていた。
「ええ。もちろんよ」
肩越しにニコッと笑みを浮かべる。
「テレーゼは他の人を呼んで来てくれる? 私としてはできればヨハンくんがいいんだけど」
「し、しかし!」
振り向くことのないサナ。もう悠長に話している時間すらなかった。
「障壁展開ッ!」
「はいっ!」
キリュウとナナシーよりも後方に控えるサナが目一杯の魔力を用いてキリュウの前方に魔法障壁を展開させた。
次の瞬間、ゴオッと音と共に響くのは迫り来る火炎。
「やるぞエルフ!」
「ええ」
同時に左右に跳ねるキリュウとナナシーは共に壁を蹴りつける。
「っ! も、もたない!」
魔法障壁が割られるのを直感した。それも火炎によるものではなく、物理的な衝撃を以てして。
「ウオオォォォンッ!」
反響しながら響く獣の叫び声。
「こ、これが新種っ!?」
テレーゼが驚愕に声を漏らすのは、まるで目を疑う光景。
「はあッ!」
「ふッ!」
壁を蹴り付け、左右から挟み込むキリュウとナナシー。それは突進をしている巨大な獣に対して間違いなく横腹、隙を突いていた。しかしその二人に対して人間大の塊、頭部を二つ振っている。
「ぐっ!」
「チッ!」
共にその頭部を避けながら前後を挟むように着地した。
「本当に頭が三つあるのね」
後方に着地したナナシーはその獣の異様さを目にして苦笑いするしかない。
「ウオオオンッ」
「ミシャアアアッ!」
「キシャアアッ!」
周囲に目を向ける様に頭部を揺らして耳を劈くような鳴き声をあげるのはそのどれもが獣の頭部。さながら獅子・山羊・鳥の頭部といったところ。
「まさに化け物、といったところか」
化け物、その言葉が獣人との混血である自分が口にするとは。獣人という種族が人間から受けた歴史にあるその迫害の象徴である言葉。
「油断するなッ! くるぞッ!」
「瞬速の矢!」
旋回するように動く二人。剣と弓を用いて攻撃を仕掛ける。
「オオオオンッ!」
獅子の頭部からは火炎。
「ミシャアッ!」
山羊の頭部からは氷。
「キシャアアッ!」
鳥の頭部からは衝撃波。
属性の異なる攻撃が繰り出された。
「テレーゼさん、早くっ!」
「彼女の言う通りです。我等がここにいたところでそれほど役には立ちません。ならばキリュウ隊長達が時間を稼いでいる間に応援を呼びにいきましょう!」
「くっ!」
己の力不足を痛感しながら、騎士とテレーゼは来た道を引き返していく。
「場所が悪いな」
サイバルが周囲に視線を向け、思考を巡らせた。
現在の状況はいくら戦えるとはいえ狭い通路に他ならない。一撃の下に倒せればいいのだが、三つの頭部はそれぞれが独立した思考を持ち得ている様子であり、複雑な動きを実現している。
「ナナシー!」
しかし倒せるならそれに越したことはない。
地面に両手の平を着くサイバルはすぐさま魔力を流し込んだ。
「はぁっ!」
壁から凄まじい勢いで伸びるのは茨。三つの頭部を的確に捉えているのだが、獅子は炎で茨を焼き落とし、山羊は凍らせる。それでも鳥の頭部だけは巻き取ることに成功する。
「やるじゃない、サイバル」
一撃の破壊力であればキリュウの方が勝っていた。であればナナシーが今することは他の二つの頭部の気を引くこと。
「はっ!」
弓を射る姿勢になり、放たれるのは複数の矢。威力など微々たるものでいい。今は数がものを言う。
「よくやった」
その隙を突いて鳥の頭部の真下に回り込むキリュウ。拳を構えていた。
「ヌンッ!」
真上に振り抜かれる拳によって鈍い音を立てる。
「うわぁ、ぐろっ……――」
サナも目を覆いたくなるような攻撃。鳥の頭部はキリュウの拳によって大きく弾け飛び血飛沫を上げていた。
「や、やった!」
それでも遠巻きに見ていた騎士は喜びの声を上げる。三つの内の一つの頭部を破壊したのだから。
「――……だめっ! まだ!」
粉砕したはずの鳥の頭部なのだが、すぐさまギュッと肉を締め付けると血が止まり、次にはボコボコと音を立てて頭部が再生を果たしている。
「キシュウウ……」
まるで何事もなかったかのようなその状態。
「であれば、再生できなくなるまで壊し続けるのみ」
キリュウが抱く見解。肉体の再生などということは魔力を用いられているはず。そうなれば魔力が尽きればそれも終わる筈だと見込んでいた。




