第五百 話 閑話 二人きりの依頼④
(あぁびっくりした。いきなりあんなこと聞かれるなんて)
水音を鳴らす噴水の裏側にいるヨハンとマリウス。
「――……で?」
「そりゃあもちろん」
小さく聞こえてくるマリウスの問いかけ。僅かに困惑しているヨハン。
(それにしても二人で何を話してるのかな?)
あれだけの威勢で呼び出されてどのような話をしているのか。遠目に見る限り険悪な感じには見えない。それでもどこか微妙な雰囲気。
(それにしても熱いわ)
まだ先程の熱が冷めやらないまま、顔を赤らめるモニカは気持ちを落ち着かせるように深呼吸しながら静かに向かう。
「だからっ! お前はモニカお姉ちゃんのこと好きじゃないのか!」
「えっ!?」
唐突に飛び込んでくるマリウスの怒声、その言葉に思わず耳を疑う。
そのまま歩みを止めて、ヨハン達の丁度裏側、噴水の真裏で立ち止まってしまった。
(ちょ、ちょっと何を話しているのよ!)
一体全体何がどうなってそんな話になっているのか見当もつかない。
「どうなんだよ!」
「だからさっきも言ったけど、もちろんモニカは好きだよ?」
噴水の水音のせいではっきりとは聞こえないのだが、それでも確かにヨハンは好きだと口にしている。
(え? えぇっ!?)
両の手の平を頬に持っていった。
「それは女性として好きなのか!?」
「えっと……――」
「男ならはっきりと答えろッ! ぼくは彼女を好きになったんだ!」
マリウスの怒声。それ自体には呆気に取られる。そうは言われてもマリウスの気持ちに応えるつもりはない。所詮一過性のものでしかない。それよりもヨハンの返答、どう答えるのかが気になって仕方なかった。
そっと腰を下ろして聞き耳を立てる。
「――……そうだね。まず、モニカは凄く素敵な女の子だと思うよ。好きか嫌いかと聞かれれば間違いなく好きだと答えるし、その答えに迷うことはないよ。それ以前に大事な仲間だけどね」
「それで?」
意図しているのは先程の質問。実際的に女性としてどうなのかということ。
これに関しては答えようがないというのが正直な気持ち、本音なのだが、目の前のマリウスの目を見る限り、そのような返答では納得しなさそう。誠心誠意答える方が良いという判断。
「女性としてのモニカも勿論好きだよ。ただ、僕もマリウスもだけど、そういう話をするのは早いんじゃないかな?」
「そんなことない。伯爵家の子として、ぼくもそのうち婚約者を迎えることになるんだ。近い内にこのことは考えなければいけない。だったらぼくはモニカお姉ちゃんが良い!」
はっきりとした眼差しでヨハンを見るマリウス。
「そっか……」
そう言われて、改めてモニカのことを思い返す。
容姿はもちろん綺麗で可愛いのは間違いない。性格的にも好き嫌いははっきりと伝えるし頼りがいがあるし、いつ何時でも普段通りの自分で過ごせることは確かに一緒に居て過ごしやすい。
「そうだね。そういう意味なら僕もそう思うよ。確かにモニカが婚約者だったら嬉しいよね」
「つまり、お前はモニカお姉ちゃんが好きだということなんだな!?」
「一言で答えるなら、そう……いうことに、なるのかな?」
首を傾げて先程の返答を思い返すヨハン。
「つまり、これからお前とはライバルだ!」
「わかった。それでいいよ」
子どもならではの可愛らしさを見せているなと。
ただ、こんな話モニカに聞かれでもすればどれだけ恥ずかしいか。
「ちょ、ちょっとぉ、そろそろ傷を治そうかマリウスくん」
「……あれ?」
いつからそこにいたのか。
「もしかして、今の話聞いてた?」
「なんのこと? 聞かれたら困る話でもしてたの?」
「いやぁ、聞かれたら困るのは困るんだけど……」
「わかった。じゃあ聞かないでおいてあげる」
手を後ろに組み、満面の笑みで笑いかける。
「モニカお姉ちゃん! ぼ、ぼく、い、いやお、俺! モニカお姉ちゃんと婚約がしたいっ!」
マリウスが先程の勢いそのままにモニカへと思いを告げる。
「ごめんねぇ。お姉ちゃんマリウスくんとは結婚できないなぁ」
そっとマリウスの傷に手を当て、治癒魔法を施していく。
見る見るうちに傷は治っていくのだが、ヨハンにはどこか集中力を欠いているように見えた。
「モニカ、調子悪いの? 僕が代わろうか?」
「う、ううん。大丈夫! それよりも、ありがと」
「なにが?」
「言いたかっただけ」
はにかむモニカはすぐに視線を逸らし、顔を真っ赤にさせている。
それから後も、モニカをなんとかしようと声を掛け続けるマリウスなのだが、すげなくあしらわれていた。終いには「私より強くなったら考えてあげる」と言われている。
「――……今日は助かった。想像以上の成果だ」
もうへとへとになった挙句、寝てしまっているマリウスは使用人によって館内へと運ばれていた。
「報酬は後でイルマニに払っておく」
「はい。その辺りも全部管理してもらっていますので、イルマニさんにはお世話になりっぱなしです。せっかく引退したのに申し訳ないですね」
「あれはあれで楽しんでいるようだから気にするな」
カールスの言葉の通り、イルマニに謝罪をしたことがある。その際、イルマニには老後の道楽だと思えば良いと返答されていた。
『今から言うことは失礼を承知で口にしますが、聞き流してもらえたら』
『わかりました』
僅かに遠くを見つめるイルマニの視線。
『主を前にして言うようなことではありませんが、孫ができたようで私も嬉しいのですよ』
『孫?』
『ええ。私はそういったことには縁がありませんでしたので』
どこか寂し気な表情を浮かべるイルマニ。
『そういう意味でしたら、僕も嬉しいですよ。イルマニさんだけじゃなく、カールスさんもそうですけど、ほら僕、おじいちゃんやおばあちゃんに会ったことないから。おじいちゃんがいればこんな感じなのかなって考えたことがありますよ』
詳しいことは教えてくれなかったが、父は身内がいないのだと。母の方はいるにはいるらしいが、勘当同然で家を出たから帰れないのだと。
『今の言葉、是非ともカールス様にもお伝えしたいですな』
『え?』
『いえ、なんでもありません。それでは私はそろそろ休ませて頂きますね。おやすみなさいませヨハン様』
『はい、おやすみなさい』
何気ない日常のやり取りなのだが、ふとそのことを思い出した。
「――そうか、イルマニがそんなことを」
ヨハンに背を向け、顔に手を持っていくカールス。
「いかんな。風が出て来た」
「そうですね。風邪を引かれては大変です。先にお戻りください」
「いや、依頼人として最後まで見送ろう」
「でも……――」
「もう、なにやってるのよヨハン! 早く帰るわよ!」
遠くで手を振っているモニカ。
「ほれ、はやくいってあげなさい」
「モニカったら。申し訳ありません。また何かあればいつでも呼んでください」
ペコリと頭を下げてモニカの下へと走って行く。
「何を話してたの?」
「別に普通の話だけど?」
「……そう」
「「…………」」
それから互いに会話は少なめ、それでも気まずくないどこか不思議な雰囲気の中、侯爵邸を後にした。




