第四百八十六話 闇夜の襲撃
「大変だなぁ、エレナも」
小さな呟き。寮への帰路でのひとり言。
王族に対して直接的な被害を加えられるわけではないのだが、国を統べる立場とすればそういった問題にも目を向けなければならない。
「ん?」
人通りのない通りを歩いていたところ、正面を見ると薄汚れたローブをまとい、フードを目深に被っている人がいる。
(この人……――)
すぐさま警戒心を引き上げた。明らかに気配を消しながら姿を見せている。
そのまま無言で通り過ぎようとしたところ、キラッと光る得物がローブの隙間から覗かせていた。
「やっぱり!」
「ちっ!」
ナイフを抜き出すよりも早くその場を飛び退く。ヨハンの行動で察知されたローブの男はそれでも構わずヨハンに向かって抜き身のナイフを突き出して来た。
「っと」
動きは単調そのもの。ナイフを躱して脊髄に手刀を撃ち抜く。
「かはっ!」
ローブの男は白目を剥いて前のめりに倒れた。
「たぶん、追い剥ぎじゃないよね?」
そう思うのは、返り討ちにはしたものの倒れている男の気配は明らかに暗殺者の動きだった。
「もう終わっていたのか?」
「サイバル?」
不意に聞こえる声に顔を向けると、そこに姿を見せたのはサイバルだった。
「どうしてここに?」
「イルマニさんからの命令だ。念のために様子を見てこいとな」
「そうなんだ。でもどうして?」
イルマニにしても念のためと言うあたり、確信を持っていたわけではないのだが、それでもその可能性があったということを示している。
「さぁな。大方今日の出来事が関係しているのではないか」
気絶しているローブの男の首根っこを掴み、肩に担ぎ上げるサイバル。
「こいつの素性は調べておくからお前は気にするな」
「うん、ありがとう」
「これも仕事みたいでな。お前なら暗殺者ぐらい問題ないと言ったのだが、主を守るのは従者の務めなのだと」
「……ごめんね」
ナナシーの監視も兼ねて王都に同行させられているサイバル。嫌々使用人見習いをしていることはサイバルを知る人間であれば誰もが知っていた。
「なに、気にするな。案外この生活も気に入って来たところだ」
そうして素早く跳躍してその場から姿を消す。
「僕が狙われたってことは」
思い当たることは明日の選考仕合のこと。
「そのブルスタン家?」
グズランの後ろ盾とイルマニが言っていたその侯爵家。
それに、騎士が暗殺者を雇うとは流石に考え辛い。可能性は無きにしも非ずなのだが明日ヨハン達に勝てればその必要もないのにわざわざそんな危険を負うとも思えない。
「一応エレナにも報告しておこっか」
この程度であればエレナ達が後れを取るとも思えないのだが、知らせておくにこしたことはない。
寮に帰ってすぐにそのことを伝えると、怖気づいていたのはレインのみ。
「うふふ。そうでしたか。まさかヨハンさんを狙いましたか。無謀なことを」
エレナに至っては不気味に小さく笑っていた。
「ちょ、ちょっとエレナ怖いって」
「何を言っていますのモニカ。こんなこと、容認できませんわ」
「って言っても、どうすんだよ?」
「決まっていますわ」
打って変わって満面の笑みを浮かべる。
「明日の仕合、完膚なきまでにボコボコにしますわよ」
「……あっ、そぅ」
その笑顔を見ているヨハン達は反論することができないでいた。
◆
そうして迎えた翌日。
ヨハン達が向かった先は、王都の南地区にある騎士団専用の鍛錬場。
「ここだね」
大きな鍛錬場には一般人はいない。行き交うのは所属している騎士達であり、鍛錬場に入ろうとしているヨハン達を見る視線は好奇の目。
「あいつが噂の……」
「ああ。今日御前仕合をするらしい」
もう既に噂の的になっていた。しかし、同時に騎士達の視線を浴びるのはヨハンだけではない。
「ってか、女の子らみんなめっちゃくちゃ可愛くないか?」
「やっべぇ、俺あの金髪ロングが良い!」
「俺はあの銀髪の方が良いな!」
「やめとけってお前ら。エレナ様は勿論だが、あの人はカサンド帝国の皇女だぞ?」
「なっ!? それがどうして?」
「あの竜殺しと婚約しているらしい」
「……は?」
端的に言われても全く理解できないその事実。
「だったら、あの竜殺しは?」
「……わからん」
学生の内にS級に登り詰めたということですら疑わしいというのに、どうしてカサンド帝国の皇女を婚約者として帯同させているのか。有力貴族と繋がりがあるのか、それとも国家に多大な利益をもたらす程の実力者なのか。
「どちらにせよ、これからはっきりとするだろ」
第六中隊との選考仕合。これも既に噂になっているのだが、六人に対して半壊したとはいえ中隊が全員で相手をすると言うのだからとても信じられない話。
騎士団内部ではグズランの評判は良いとは言えないのだが、六人相手に負けるとも思えない。むしろ騎士の名誉に賭けて負けられると困る。
「――……俺、なんか緊張してきた」
身体の動きを固くさせるレイン。
「大丈夫だよ。レインもいつも通りやればいいからさ」
「――レイン?」
「ん?」
そこで聞き覚えのある声が聞こえて来た。
振り返った先に姿を見せたのはこの場に似つかわしくない少女。しかし堂々とした佇まい。
「なんだ。誰かと思えばマリンかよ」
「なによ。せっかく応援に来てあげたっていうのに」
「そっか。お前も聞いてたんだな」
「当り前ですわ。ほら、わたくしが応援するのですからみっともない姿を見せてはいけないわよ」
「ったりめぇじゃねぇかよ。ありがとな」
「え?」
「いや、さっきまで緊張してたんだけど、お前の顔を見たら安心したわ」
「そ、そんな……――」
途端に顔を赤らめるマリン。
「ナナシーが応援に来てくれたらもっと頑張れるんだけどな」
「――……は?」
「今日は仕事があるって言ってたからな。ざんねんざんねん」
「…………」
「じゃ、応援よろしくな」
「……っ!」
へらへらとマリンに声をレイン。直後、鋭い破裂音がその場に響き渡った。
首を回しているレインに対して、右手を振り切っているマリン。
「なにすんだてめぇ!」
「レインなんかさっさと負ければいいのよ!」
「さっきは応援するって言ったじゃねぇかよ!」
「そ、それはエレナのことよ! いくら騎士が相手とはいえ、王族としてみっともない姿を見せられるとわたくしの評判にも関わりますからね!」
「あら、心外ですわね。わたくしが後れを取るとでも? そもそもあなたに応援されるとは思ってもいませんでしたわ」
「も、もういいから好きにしなさい!」
背を向け遠くに歩いて行くマリン。
「ったく、なんだよあいつ」
「レイン?」
「ん?」
先程のやり取りを目にしていると、もしかして、という可能性が過ったところでエレナに軽く肩を叩かれる。
「さ、ヨハンさん、時間がありませんわ」
「え? うん」
ヨハンの手を引き、歩いて行くエレナ。
「んだ?」
「あれはないわよレイン」
「ほんとね」
「あたしもそう思うなぁ」
次々とレインを追い越していくモニカとカレンとニーナ。
「おいおい、なんだってんだよ」
わけもわからないレインは首を捻りながらその後を追いかけるようにして鍛錬場に入っていった。




