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S級冒険者を両親に持つ子どもが進む道。  作者: 干支猫
学年末試験 二学年編
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第四百七十六話 閑話 レインとナナシー⑤

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ兄貴っ!」


 震えそうな唇を必死に押し殺して、次には大きく声を発する。その頃には手の温もりは既になく、代わりに背中をそっと押されていた。ほんの少しだけ軽く押されるその行為は、物理的に一歩足を踏み出させようとするというだけでなく、心理的にはそれ以上。振り絞るちっぽけな勇気を、何十倍にも、何百倍にも膨らませる程の効果がある。それでもほんの少しの名残惜しさを残しているのは、先程まで得ていた手の平の温もりに対して。数秒にも満たない感触が頭の片隅に残っている。


「どうしたレイン?」


 振り返るシャールは僅かに困惑の眼差しをレインに向けていた。しかし俯いているレインにはその困惑の瞳を捉えることができていない。勇気は振り絞ったものの、困惑して頭が混乱をきたしているのはシャール以上にレインなのだから。


「い、いや、あの、その……――」


 肩越しにチラリとナナシーの姿を確認すると、後ろに手を組みながら変わらない笑顔を向けられている。不安そうな表情は一切見受けられない。信頼の証。


(そうだよな。ここで男を見せねぇとな)


 膨らませた勇気を萎ませないよう、真っ直ぐに兄を見つめた。深く息を吸い、ゆっくりと口を開く。


「――……ご、ごめん、兄貴――、いや、兄ちゃん」


 久しく呼んでいなかった呼称。いつぶりになるのかすらもう記憶にない。


「レイン?」

「俺、ずっと後悔してたんだ。あの時は勢い余って手が出てしまって。もっと早く謝らないといけなかったんだけど……――」


 伝えたい最初の一言は口にしたのだが、言葉が続かない。それでもシャールは無言でジッとレインを見つめていた。そのままレインの言葉を待っている。


「――……あ、あのさ、俺、冒険者学校に入って、自分がどれくらい小さい人間だったかってことをちゃんと理解したよ。周りから色々教えてもらった。俺の周りはすげぇ奴ばっかでさ、正直死にかけたこともあったんだ」


 誇張でもなく事実。ただの事実でしかない。得難い貴重な経験をしていることもさることながら、ひとつ掛け違えるだけでレインという男はもう既にここには存在しない。


「冒険者だからそりゃあ死ぬこともあるとは思うけど、考えが甘かったなぁって日々痛感してるよ。だから、ずっと兄ちゃんには謝らないとって思っていたんだけど、勇気がなくて……」


 目線を彷徨わせるレインなのだが、肩に重みを感じる。先程のナナシーの手の平とは違う、しっかりとした力強い感触。


「いいさ、レイン。私は――いや、俺はレインがこうして元気な顔を見せてくれただけでも十分だよ」

「兄ちゃん」


 笑顔を向けられるそのシャールの目尻に僅かに涙が浮かんでいるのを目にしてしまうとレインも自然と涙が込み上げてくる。


「ごめん、兄ちゃん」


 もう自然と口から発せられる謝罪の言葉。先程までの怖気はどこへいったのかという程。

 その申し訳なさげなレインを見てシャールは小さく首を振っていた。


「いや、俺も大人になりきれていないよ。本当ならお前から切り出す前に俺から話すべきだった。兄として恥ずかしいよ」


 もう既に最初のころのよそよそしさはどこにもない。


「それに、お前が冒険者学校に入学して、上手くやれているのか、危ない目に遭っていないのか、聞きたいことは山ほどあったのに。一応親父からいくらかは聞いてはいたのだがやっぱりお前の口から直接聞きたかったな。ついまたお前に怒られるんじゃないかと怯えてしまっていてな。けど、そうやってお前が思っていてくれたのなら……。俺の方こそすまなかった」

「……兄ちゃん」


 シャールとしても、弟に素直に向き合いきれていないということが心に引っ掛かりを覚えさせていた。


「こんなところで立ち話もなんだ。向こうでゆっくりと話そう」

「お、おぅ!」


 それから、場所を変えるために倉庫の応接間に向かうと笑顔の父、ロビンに迎え入れられる。


「上手くいったようだな」

「まったく。これはいっぱい食わされたね」


 吐息を漏らすシャール。


「ってことは?」

「全部親父の計算だったってことさ」

「はぁっ!? なんだよそれ!」


 ドサッと椅子に倒れるようにして座るレイン。


「いやいや、すまなかったねお嬢さん。家庭の事情に巻き込んでしまったようで」

「いえ、大丈夫ですよ」


 笑顔を絶やさないナナシー。


「それにしても、レインにこんな彼女がいたなんてね」

「彼女じゃねぇって!」

「はい。レインとは友達ですよ」


 はっきりと断言するナナシーの言葉にレインが内心大ダメージを受ける。

 それからというものの、学内で起きた出来事や近況、果てはナナシーのことなど様々なことを四人で話していた。


「それでレインはこんな小さな頃にね」

「へぇ」

「やめろっての!」


 ナナシーがいることで強がりを見せるレインなのだが、ナナシーから見るその二人の関係性は確かに仲の良い兄弟そのものだった。


「――……そろそろ帰るか」

「そうね」


 積もり積もった話をしてしまっていると、予定よりも随分と長い時間話し込んでしまっていた。


「じゃあまた適当に帰ってくるよ」


 そうして倉庫の前でロビンとシャールに見送られる。少し先で周囲に目を送っているナナシー。


「ああ。またあの子も連れてくるといい」

「そうだな、また連れてくるよ」

「それで、次は彼女として連れてくるのかい?」


 シャールの問いかけにレインは思わず顔を紅潮させた。


「い、いや、そりゃあそうなればいいと思ってるけど、今はなんとも……」


 その様子を見た父と兄は互いに顔を見合わせる。


「ほぅ」

「意外と素直に認めたね」

「まぁ俺も兄ちゃんのこととおんなじで、これからあの子にも素直に向き合いたいって思っててさ」


 結果的にとはいえ、仲を取り持ってもらっている。押してもらった背中は確かに勇気づけられていた。


「そうか。なら期待しないで待っているよ。俺も父さんも、ね」

「ちょっ!? なんでだよ!?」

「そりゃあレインがモテるだなんて思えないから当然だろ?」

「それもそうだな」

「ったく、今に見てろよ! 絶対ビビらせてやるからな!」

「ははは。期待しないで待ってるよ」

「レイーン! 早く帰らないとイルマニさんに怒られるのよ!」


 遠くで手招きしているナナシー。


「じゃあ、いくな」

「ああ」


 振り返り、ナナシーの下へと歩き始める。


「レイン」

「ん?」


 再度呼び止められ、疑問符を浮かべながら顔だけ向けた。


「元気でな」

「ああ。当たり前じゃねぇかよ。何言ってんだか」


 笑顔で背中越しに手をひらひらとさせ、帰路に就く。

 実際父と兄に話した通り、死にそうな目に遭ったことは一度や二度ではない。それでも乗り越えられたのはただただ運が良かっただけ。多少ではきかない決死の努力が結実している部分があるとはいっても周りの影響によるもの。何より運が良かったと思えるのは巡り合えた仲間のおかげ。


(そう思うと……――)


 目の前にいる可憐な少女と知り合うタイミングも他の学生たちと同じだったはず。


(――……あいつがいたおかげだよな)


 あいつが、ヨハンが最初に寮の部屋に顔を見せた時にこの出会いの全てが始まったのだと。


「ほら、なにしてるの、はやくはやく! ほって帰るよ!」

「わかってるっつの」


 思わず自然と笑みがこぼれていた。



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