第四百七十五話 閑話 レインとナナシー④
「あ、兄貴!?」
似ているのは声だけではなかった。振り返った先にいたのはレインよりも少し背の高い男。顔つきも年相応に大人びている。
「どうしてここに!?」
「いや、親父からここへ来いって連絡があったからさ」
キョロキョロと辺りを見回しながら父親を捜しているレインの兄。
「どこにいるか知らないか?」
「…………」
ただ無言なだけでなく、視線までも兄から外してしまっている。
「いいよ、自分で捜すさ」
そのレインの様子を見て、兄は溜め息を吐きながらレインの横をすっと通り抜けた。すれ違いざまにレインの横にいる女性に視線を向けるのだがすぐに前を向く。
「レイン?」
レインの態度のぎこちなさにナナシーが声を掛けるのだがレインは小さく首を振った。こんな風に急に顔を見せられてもどうしようもない。
「いくぞナナシー」
早くこの場から立ち去りたい。一歩前に歩き進むのだが、グイっと腕を引っ張られる。
「ダメよレイン」
驚き振り返り腕を引っ張るエルフの女性ナナシーの顔を見るのだが、満面の笑みを浮かべていた。
どうして今この状況に於いて笑顔でいるのか全く理解できない。
「ナナシー?」
「レイン、さっき言っていたでしょ?」
「いや、そりゃそうだけど」
次に会ったらとは思ったものの、何をきっかけにしたらいいものなのかわからない。
「大丈夫。私がきっかけを作ってあげるわ」
ナナシーはそう言葉にすると、すぐさま通り過ぎて行った兄に向かって振り返る。
「すいませんレインのお兄さん!」
「ちょ!?」
レインの制止の一切が間に合わない中、大きく声を掛けていた。
「えっと……――」
レインの兄は立ち止まって振り返ったのだが、声の主に向かって疑問符を浮かべている。
「こんにちは! レインにはお世話になっています」
「――……どうも」
「私はレインの同級生のナナシーといいます。先程お父様にもご挨拶させてもらったのですが、改めてお兄さんにも挨拶をさせてください」
「これはご丁寧に」
軽く頭を下げるレインの兄なのだが意図がわからない。
「私はシャール・コルナード。説明は、いらないかな?」
シャールの視線の先にいるのはレイン。自分が誰なのかということは既に聞いているのだろうと。
「はい。レインには仲の良かったお兄さんがいると聞いています」
「仲の良かった、か」
遠くを見つめるようにナナシーの言葉を反芻するシャール。
「確かにそうだったな。それで君は?」
視線をナナシーに戻して、どうしてそのような言葉を投げかけられたのか不思議でならない。訝し気にナナシーを見る。
「私、エルフなのですよ」
帽子を外し、明らかに人間とは一線を画す長い耳を晒した。突然の暴露にシャールの目は驚きに見開かれる。
「そ、そうか。噂には聞いていたが、君がそうだったのか」
機会があれば目にしてみたいと思っていたのだが、まるで想定外。それでも商人ならではの経験を生かしてすぐさま平静を取り繕う。
「では今日は見学をしている、といったところかな」
「はい。珍しい物をたくさん見せていただいています。突然お邪魔して申し訳ありませんでした」
「そうか。ならゆっくりと見ていきたまえ。では私はこれで」
レインのことはチラと視界に捉えるのみで、シャールは再び背を向ける。
「なにやってるのよ!」
小さく声を掛けながらレインの脇腹を肘で軽く小突くナナシー。
ナナシーの行動も、発言も、その意図はレインも先程の言葉から正確に理解している。
言葉の通り、正しくきっかけを作ってくれているのだと。
「ほら、いっちゃうわよ」
とは言うものの、どう声を掛ければいいものなのかわからない。
しかし好きな女の子にこんなことまでさせてしまうことが殊更情けなくて仕方なかった。
(ちくしょう)
羞恥も、不甲斐なさも、自尊心さえも今この場には必要ない。必要なのはほんの小さなちっぽけな勇気だけ。
「あ、あのさ!」
声にならない声が乾いた唇から発せられる。まるで届かせようとする意志を宿していない小さな声。
それでもシャールの耳には確かにその声は届いており、ピタと立ち止まる。
「…………」
しかし振り返ることのないシャールのその背中。
「――っぅ」
続けられる言葉をレインは持ち合わせていない。何かしらの言葉がかけられるのを待つシャールなのだが、何もないのであれば立ち止まる必要もないとばかりにその足を再び前方へと歩ませようとしていた。
そこでレインに訪れる妙な感触。
(え?)
途端に不意に得るのは右手の平への温かみ。思わず何事かと視線を落とすのだが、視線を向けるよりも先に得られる感触で何に包まれているのかということは本能的に理解している。ナナシーに、手を、握られているのだと。
「大丈夫。私がついているから」
耳の中に小さく入ってくる甘く優しい言葉。
言葉に釣られるようにして自然と目線を向けるナナシーのその表情はまるで慈しむような微笑み。
その微笑みを見て、どれだけみっともない姿を曝してしまっているのかと自覚せずにはいられなかった。




