第四百七十二話 閑話 レインとナナシー①
「ねぇねぇ、レイン、見て見てっ! これ何に使うのだろ?」
人通りの多い王都の雑踏の中、振り返るのは帽子を目深に被った少女。
(くぅ! かわいいぜ!)
向けられる笑顔が眩しくて仕方ない。
「聞いてるのぉ?」
「ああ聞いてる聞いてる。それは装飾用の工芸品だな」
「へぇ。どう?」
ぴとっと胸の辺りに当てる。
「おう、似合ってるぜ」
「そっか。おじさん、これください」
「ん、まいど」
カレンのローブを新調してから数日後、レインとナナシーは二人で王都を歩いていた。
(ほんと楽しそうだな)
後ろ姿だけで見てわかる程のナナシーの無邪気さ。あれこれ見ては楽しそう。
「じゃあじゃあこれは!?」
「ったく、しゃあねぇなぁ。どれだよ?」
振り返る笑顔を受けて思わず破顔するレイン。
(こりゃあエレナとモニカになんか礼をしないとな)
そんなレインとナナシーが二人で出掛けるまでにはエレナとモニカによる貢献があった。
レインの左手には紙袋がぶら下げられている。
◆
「ちょっといいか二人とも」
ヨハンの屋敷でナナシーが掃除をしているのを眺めながら、紅茶を飲み寛いでいるエレナとモニカ。レインはそっと小さく声を掛ける。
「なによ?」
「どうかしましたか?」
「い、いや……――」
ミライに仕立ててもらった服を受け取ったのはいいものの、いつ、どこで、どうやって渡したらいいものなのかがわからなかった。
「はぁ……」
「そんなことね」
ヨハンに相談したところでヨハンは色恋沙汰に疎い。どうしたものかと、悶々と頭を悩ませた結果行き着いた相談相手の二人。そうして相談したまではいいものの、盛大に溜め息を吐かれる。
(この根性なし)
(わたくし達で場を整えるしかないのかしら?)
普段のおちゃらけた調子で渡せばいいだけなのに、こういう時には委縮してしまっているのだと。
「ごめんね、あともうちょっとで終わるから待っててね」
「ねぇナナシー?」
「何?」
掃除の手を止めて首を傾げるナナシー。
「知っていましたか? レインの実家って、王都でも有数の商家なのですわよ?」
「あっ、へぇ。そうなの?」
「あ、あぁ」
一瞬だけ確認する様に目線をナナシーに向けるのだが、レインは思わずその視線を彷徨わせた。
(おい、ちょっと待て! エレナは一体何を言い出すんだ!? どういうつもりだ?)
一体全体、それがどう関係するのか。心臓がバクバクとしている。どうして実家のことを口にされたのかわからない。
「だったらレインの家を経由して色んな荷物が王都を出入りしているってことよね?」
「ええ。それはもう色んな物が出入りしていますわ」
実際レインの実家であるコルナード商会の規模は相当なもの。
(そういえばレインってあんまり家の話しないなぁ)
イルマニから屋敷管理に必要な書類へ目を通しておいて欲しいと言われていたヨハンにもその会話が耳に入ってきている。
(確か、家族仲があんまり良くないんだったよね)
以前聞いたこと。王都に実家があるというので見に行きたいと言った際に濁すように答えられたのでそれ以上は言及しなかった。疑問に思うのは、エレナもその話は知っているはず。それをどうして今ここで触れたのか。
「そうなの? それはちょっと見て見たいなー」
「え?」
返って来た反応は当然の反応。興味があるに決まっている。
そのナナシーの反応に戸惑うレインなのだが、モニカがエレナの発言の意図を汲み取った。
「いいじゃんいいじゃん! じゃあ次の休みにレインに連れてもらえば」
後押しするように声を掛ける。
(な、なるほど、そういうことか……――)
そこでレインもようやく理解した。あとは返事を返すのみ。
(――……けどなんてこと言うんだよ。よりにもよって家のことか…………)
しかしすぐには返事を返すことが出来ずに口籠っていた。
「だめ、かなぁ?」
「全然オッケーさ! いいぜ、行こうぜ!」
目の前に来て上目遣いのナナシーを見た瞬間、思わず口をついて出た返事。
「やった! ありがとレイン!」
「あっ……」
「ナナシー。いつまでも遊んでいないで早く仕事を終わらせなさい」
「はぁい!」
「い、いや、ちょっと」
「よぉし。やる気出たわよ!」
張り切って仕事に戻るナナシーに声を掛けることが適わなかった。
(ま、なんとか誤魔化せばいいか。連れてった時にいたら困るしな)
王都内の名所を案内すればナナシーも満足するだろうと考える。
ナナシーを連れていくことで顔を合わせたくはない。
「あのさエレナ?」
「なんですのヨハンさん?」
エレナに小さく声を掛けるヨハン。
「レインって家族とあんまりうまくいっていないみたいなんだけど、大丈夫なの?」
「ええ。もちろん存じておりますわ」
「だよね。レインから頼まれたの?」
「いえ、コルナード家当主から伺っておりますの」
「どういうこと?」
同じパーティーということでエレナにレインの様子を聞かれることがあるのだと。元気にやっているといつも伝えている。
「ふぅん」
「それで、この辺りでそろそろ清算してもいいかと思いまして」
「?」
「ヨハンさんは詳しい事情をご存知で?」
「ううん。レインが話したがらないから聞いてないよ」
「そうでしたの。簡単な話、要は兄弟喧嘩を拗らせただけですもの」
「……ふぅん、そうなんだ」
そうしてエレナはヨハンに耳打ちしながらレインの身の上話を聞かせていた。
◆
「エレナとモニカも来れば良かったのにね」
そうしてレインとナナシーは二人で王都を散策している。
二人とも外せない用事があると言っており、カレンもヨハンと王宮に顔を出していた。
「そういやサイバルは?」
「サイバルが来るわけないじゃない」
「そりゃそうだよな」
声を掛けたものの、すげなく断られている。
『興味ない。せっかくの休日はのんびりさせてもらう』
『そっか。相変わらずねサイバルは』
容易に想像できるサイバルの様子。ホッと安堵の息を吐くレイン。
「それにしても、ほんとナナシーは楽しそうだよなぁ」
「え?」
不意に掛けられる言葉に目を丸くするナナシー。
「レインは楽しくないの?」
すっと目線を地面に向けることで思わず慌てふためく。
「あっ、いや、ちが、そういうことじゃなくて! ほ、ほら、王都のことはナナシーも色々と聞いててもう結構知ってるだろうし、それにフルエ村でも一応人間の世界で生活していたんだし、飽きねぇんだなって!」
「あっ、なんだ、そういうことね。私は誰からでも何度でも話を聞きたいわ」
「え?」
「だってこんなにも大勢の人間がいて、話してくれる人それぞれ良いところが全く違うのだもの。こんなにも多様な価値観があるだなんて素晴らしいことだわ!」
自然を第一とした、統一した価値観で占められているエルフ。エルフだけに限った話ではなくドワーフや獣人族にしてもそうであり、その中でも特に多様な思考を持ち合わせているのは人間。
「そんなもんか?」
「それはレインにとっての当たり前であり、私にとっては当たり前のことじゃないのよ」
「ふぅん」
「だから、人間の世界のことならなんだっていいわよ。一度聞いた話しでも何回だって聞きたいわ。何度聞いても私は嬉しいわ。だって、人間の世界ってこんなにもキラキラしているのよ」
両手を広げて満面の笑みを浮かべるナナシーに思わず見惚れてしまう。
(お、おいおい、可愛いじゃねぇかよ)
それほどまでに人間の世界を満喫しているのだと。そして同時に高鳴る心音。無意識に胸に手を送っていた。
「じゃあいいこと教えてやるぜ」
「なになに?」
「あそこの店だ」
レインが親指で差すのは飲食店。
「あのお店がどうかしたの?」
見た感じ立ち並ぶ他の店と特段違いが見られない。
「あそこな、料理は美味いが親父が頑固者でな。少しでも残そうとすると嫌な顔しやがる。っていうか無理矢理食わされる」
「なにそれ? そんなのお客さんの勝手じゃない」
「そうなんだけど、そうじゃねぇんだよなあそこは」
「ふぅん。じゃあ今度行ってみようかしら?」
「食いきれる自信があるならな」
「その時はレインが代わりに食べてくれるんでしょ?」
「なっ!?」
にんまりと隣で笑うナナシーを見て目を見開くレイン。それが差すのはまたこうして出掛けられるのだと。
「あ、あったりまえじゃねぇかよ!」
「ごちそうさまです」
両手の平を合わせるナナシー。
「おいおい、誰も奢るだなんて言ってねぇっつの!」
「ちぇっ、バレたわね」
「その手は食わねぇよ」
「じゃあヨハンに言っておいて。薄給は辛いって」
「自分で言えよ自分で」
「いいじゃない。レインはケチね。わかったわよ、レインがご飯も奢ってくれないってモニカとエレナに言っておくわね。ついでにサナとカレンさんにも」
「やーめーろ! 俺の評判が下がるっての!」
「それ以上?」
「なにおぅ!?」
そうして笑顔の二人、王都の雑踏の中を歩いて行った。




