第四百四十三話 テレーゼの能力
「――……はぁ、はぁ」
「……ふぅ。まさかこれほどの強さを秘めていたとは」
サナを囲んでいるユーリとテレーゼは共に肩で息をしている。視線の先にはいくつもの水の塊を空中に浮遊させているサナの姿。それはさながら水魔法の達人、【水聖】とも呼ばれている伝記に記された偉人と見紛うような風格。
「もう諦めたら、ユーリ?」
「ば、バカを言うなよサナ。なんの冗談だ。数ではこちらが有利だというのに」
強がってみるものの、二対一の状況に持ち込んだというのに尚も圧倒されていた。
(これがウンディーネの能力なのか)
まるで信じられない。サナが元々得意だった水魔法の威力を劇的に向上させていることは得た能力によるものだということを知ってはいたのだが、これほどまでに自由自在に水を操る様に驚きを隠せない。
「人は得てして大きく成長するものだな」
視界を埋め尽くすほどの多量の水がこの場を支配しているからこそ、およそ人間には感知できない水のマナが含まれており、それが相乗効果を発揮している。
テレーゼからすればサナなど一学年時は名前すら知らなかった。それが二学年頃より急にその名を耳にするようになっている。特に最近では元パーティーメンバーだったアキとケントと解散して新たにエルフとパーティーを組んだと聞いた時は大いに驚いたもの。
「だが、私とてここで負けるわけにはいかない」
姉の目の前で無様な姿をさらすわけにもいかない。
「……なにをするつもり?」
サナとしてはここまでは想定以上に順調に運べている。
しかしテレーゼの纏う雰囲気が妙な気配を醸し出していた。どこがとも言えないのだが、僅かに鳥肌を立てて目の前の少女を危険だと本能が告げている。
「これだけは使いたくなかったのだが……――」
パリッと音を鳴らす程に可視化された闘気とはまた違う魔力。
「えっ!?」
変化はそれだけではない。テレーゼの体毛がいくらか伸びたかと思えば急速に逆立ち、黒い瞳をその髪と同等に紅く染める。犬歯をギュッと伸ばすその様はまるで獣の様。
「――……どうやらそうも言っていられないようなのでな」
テレーゼ・ダゼルド、ダゼルド家がこれまで受け継いできた血。
一昔前までは使用するのを禁忌とされていた。というよりも自身でも忌避していた。人前で使うことがどういうことを示すのかと。差別、偏見、迫害、その見た目の違いは大勢の人間から嫌悪されていた。
観戦している学生達がざわつき始める中、姉のキリュウ・ダゼルドは腕を組み指で顎を擦る。
「ふむ。ようやく一皮剥けたか? いや、むしろ早い方だな」
受け継いできたとはいうものの、これはキリュウもテレーゼも望んで得たものではない。それどころかその能力を持つ家系に生まれたことを呪ってさえいた時期もあった。
だがキリュウ・ダゼルドは違う。今となっては、の話だが。
「これだけの大舞台で示すということがどういうことかを知らないはずもないだろうに」
自分達の代よりも遥か昔、メトーゼ共和国より逃げるようにしてシグラム王国に住まいを移していた。自分達のことを誰も知らないこの地に平穏を求めて。だからこそ自身は学生時代にその能力をひた隠しにしてきた。そうして卒業するまで使うこともなかった。
しかし騎士団への入団後、それが露見する事件が発生する。
『アーサー。お主はどう思う?』
『…………――』
中隊長を務めていた白髪の巨体、オズガー・マクシミリオンからの問いかけ。白金の髪の少年は変貌したキリュウの姿をジッと見つめている。
新人の頃、騎士団第五中隊に所属していた時代での不意に発生した魔物の討伐。居合わせた小隊が壊滅の危機に陥りそうになった時、半分は無意識にそれを使ってしまっていた。
「アレがなければ今頃はどうなっていたか」
僅かに視線だけで天井を見上げるキリュウは思い返すだけで苦笑いが込み上げる。
それまで寝食を共にしてきた騎士仲間はかけがえのない存在。女性騎士だけで編成されたその隊はオズガー隊長のしごきに対して互いに声を掛け合い支え合って来た。失いたくないその命を守ることが何より最優先。使うことを迷うことすらなかった。
『……オズガー様。やはり私は騎士を脱退します』
しかし見られた以上事情は変わる。
シュウウっと白い煙を仄かに上げながら元の姿に戻るキリュウ・ダゼルド。周囲の村人からは明らかに畏怖の念が見て取れる。そうして困惑しているのは遠巻きに見ている同僚の騎士達。先に村人たちの目を見てしまったので、騎士達のその瞳をどう捉えたらいいものかわからずに真っ直ぐ見ることができないでいた。
『――……かっこいい』
『は?』
小さく声を漏らすアーサー。
『なにを言っているのだアーサー?』
『いや、だってキリュウさん。こんな特別な力、誰もが欲しくても手に入れられるものじゃないですよ?』
『とくべつなちから?』
『はい。確かに人によっては忌み嫌われる部分はあるとは思いますが、キリュウさんしか持てない特別な力ですよ。それに私だって捨て子です。もう上の目が痛い痛い』
『……アーサー』
苦笑いしながらあっけらかんと答える様に思わず毒気を抜かれる。明確に決別する決意を宿した覚悟が拍子抜け。
『それに見た感じ制御できているようですし、必要な時に仲間を護ることのできる力があるというのは素晴らしいことです。ほらっ』
大きく手を広げるアーサーに釣られて視線を動かした先には同僚騎士達の目。
『ちょっとどうなってるのよキリュウ!』
『そんな力があるなら最初に使いなさいよ!』
『そうよ! あたしなんて確実に死んだと思ったわよ!』
困惑と言葉が噛み合っていない。
『……みんな……――』
その時になってようやく仲間の眼を見ることができた。確かに戸惑いは感じられたのだが、それが畏敬の念だということは説明されなくとも理解できる。
『ねっ?』
『まったく。アーサー、お前という奴は』
呆れて物も言えなかった。その笑顔も、言葉も、態度も、意図したものかどうかは結局定かではないのだが、アーサーの性格を考えれば否定はできない。
結果、その事件を発端にして開き直ったキリュウ・ダゼルドはいくらかの差別や偏見を受けながらも仲間の支えを受けて中隊長まで上り詰め、暴君と戦乙女の名を同時に得ている。
今となってはその力を持っていることを誇らしくさえ思えた。
「さて、これからが大変だぞテレーゼ」
あと一年妹は学校に通うことになるが、必要であれば自身の仲間の騎士達に会わせればいい。理解してくれる者がいることを知れば例えここで後悔の念を抱いたとしても立ち直れる。
一線を越えた妹の姿に感心と驚嘆、同時に憂いも抱きながらその後を見届けようと視線を落とした。
「テレーゼさん、あなた、獣人の血を引いていたのね」
「…………」
サナの問いかけに対して無言のテレーゼ。しかしその目つきは鋭く、真っ直ぐにサナを見つめていた。
正面に変貌したテレーゼの姿を捉えながらサナはチラと肩越しにユーリを見る。
(そりゃあ驚くよね)
僅かに唇を震わせているユーリが困惑しているということは理解できる。
(でも、それだけ真剣……ううん。覚悟を決めたということよね)
テレーゼがそんな能力を持っているなどとは聞いたこともなかった。学内で見せていれば確実に噂になっている。
ここで見せるということは、いくら試験で負けないためとはいえ、それだけ本気、死に物狂いなのだと。
「遠慮はいらないわね」
サナは臆することなく、片手を獣化したテレーゼに伸ばすと周囲に漂う無数の水泡、そのうち五つがゆっくりと動き出した
「はあっ!」
魔力を通わせて真っ直ぐに放つ五つの水弾。
「ヌンッ!」
高速で展開されるテレーゼの槍術。その槍技は絶技と呼んでも差し支えない。水弾の着弾まで数瞬の時間差があったとはいえ、まるで同時に水弾をかき消した様にも映る。
「あ、あはは。もしかしてこれ、ちょっとまずいのじゃ……?」
思わず苦笑いをしてしまう程の変貌。圧倒的な戦闘力の強化。これまで自身に傾いていた戦局の天秤が再び大きく動いたのは確実。
「……どうしよう」
助けを求めようにもヨハンもゴンザも別行動どころか既に交戦状態。
「ううん。私だってやれるんだって証明しなきゃ!」
怖気を勇気に変え、自身を奮い立たせた。




