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第 四百三 話 水中遺跡⑯

 

 ドパンと勢いよく破裂する水球。


「ぐっ!」


 ドサッと地面に落ちるなりヨハンは地面に両手を着いた。


「ヨハン!」

「ヨハンさん!」

「ヨハン!」


 真っ直ぐヨハンに向かって走り出すレイン達。


「あ、あれ? どうしたのみんな?」


 顔を上げ、ぼんやりと見えるレイン達の顔。心配そうに見ている。


「そりゃこっちのセリフだっつの!」

「ヨハンさん、サナは?」


 エレナが口にしたことでハッとなり、急いで身体を起こした。


「そうだ! サナは!?」


 視線を向けるサナは未だに横たわっているのだが、すーすーと小さく寝息を立てている。


「案ずるでない。どうやら乗り越えたようだな。目を覚ますまで少し時間はかかるようだが」

「……ウンディーネ」


 フワッと目の前に立つウンディーネはジッとヨハンを見る。


(それにしても、精霊王の力を借りたとはいえ、まさか我の力に干渉するとはな)


 確かに可能性は示唆したものの、それをやり遂げる心の強さを素直に称賛していた。それ程に通常であればウンディーネの能力への干渉などできはしない。


「ヨハンさん、一体何が起きたのですか?」

「えっと……――」


 エレナの問いかけに対して僅かに考え込むのだが、内容を覚えていない。思い出そうとするのだがどうにも(もや)がかかっているかのよう。


「――……ごめん、わからない」

「そうですの」

「まぁいいじゃない。みんな無事だったんだから」

「ここを脱出出来てからが本当の無事なんじゃねぇの?」

「あっ、それもそうね」


 もう脱出する時間は残されていない。

 外に出るためにはサナが起きるしかなかった。



 ◇ ◆ ◇



「――……あれ?」


 目を覚ますと見慣れた天井。

 周囲に目を向けるとそこが自分の部屋なのだとすぐに理解する。

 ベッド横、隣にはサナを看病していた疲労から寝てしまっていた母イザベラの姿。


「おかあさん?」


 ゆっくりと身体を起こし、小さく声をかけた。


「サ、ナ?」


 うっすらと目を開けるイザベラの前には最愛の娘の姿。


「良かった! 目を覚ましたのね!」


 イザベラは勢いよくサナを抱きしめる。


「く、くるしいよ、お母さん」


 医師の診断によると、身体中に傷を負ってはいるが命には別条ないと言われていたのだが、それでも目を覚ましたことによる安堵から目尻に涙を浮かべていた。


「お父さん! サナが目を覚ましたわ!」


 そのまま大声で父を呼ぶ。


「おはようサナ。どこか傷むところはないか?」


 部屋に姿を見せるなり父ガッシュは笑顔で問いかけた。


「うん。大丈夫」


 実際はあちこち傷むのだが、我慢できないほどではない。これ以上心配かけるわけにもいかない。


「ならいい。今日のところはゆっくりしろ」

「うん。ありがと。お母さん、あの子は?」

「あの子?」

「私が助けに飛び込んだ子、あの子は無事なの?」

「あ、ああ。あの子ね。ええ。まったく心配ないわ」

「そっか。良かった」


 それが聞けただけでも十分。


「にしてももうあんな無茶はするなよ」

「そうよ。本当に心配したのだから」

「……うん。ごめんなさい」


 謝罪はまさしく本音そのもの。心配をかけてしまったこと自体は深く反省している。


「サナが冒険者学校への入学をやめてくれて助かったわ。こんなの、命がいくつあっても足りないもの」

「まぁその辺はもう終わった話だろ」

「それもそうね」

「あ、あの……――」


 笑顔で話す両親の横でサナは小さく声を発したのだが、ガッシュはそこで立ち上がった。


「じゃあそろそろ俺は仕事に戻る」

「あっ、私も溜まっている用事を済まさないと」

「――……あっ」


 二人して部屋を出ていく。


「言いそびれちゃった」


 はっきりと覚えているその気持ち。強く抱いている。


「まぁ明日になったらまた変わってるかもしれないから今言わなくても良かったかも」


 一度取りやめた入学の話を再考しようとしていることを伝えようとしたのだが、一過性のものかもしれないと。


「あぁ、今日は疲れたなぁ」


 ぽすっと身体を倒して、天井を見上げながら今日起きた出来事を振り返った。


「こわ、かった」


 思い出すだけで怖気が蘇ってくる。本当に今生きていることが不思議なぐらい。

 すっと手の平を顔の正面に持ってくると、微かに指先が震えていた。


「でも……――」


 同時に手応えも感じている。確かな実感として。


「――……私があんなに戦えただなんて」


 今でもまるで信じられない。それこそ町に姿を見せる冒険者の人たちのような。

 不釣り合いな自信が湧くのは、勝てなかったとはいえこうして生き残った。大きな戦果。こんな戦い、例え他の冒険者であっても水中で自分と同じように戦えたのかと考えると、とてもそうは思えなかった。


「そういえば…………あの子、誰だったんだろう?」


 声援を送ってくれた少年の顔を思い出すのだが見覚えのない顔。町の住人ではないのだと断言できるのだが、あの声援が力をくれたことは確か。


「明日、探してみよっかなぁ」


 であれば、偶然町を訪れていた行商人の子ども程度。

 小さな町なので調べればすぐに見つかるはず。


「あれ? あの子、私の名前を叫んでなかったっけ?」


 消耗した体力を養うための睡魔に襲われながら思い返している内にサナは再び深い眠りについた。



 翌日。

 町中を探し回るのだが、少年の姿はどこにもない。

 いくらか聞き込みをするのだが、誰もその少年のことを知らなかった。


「おかしいなぁ」


 代わりに得られるのは町中からの称賛の声。

 小さな少女がアイアンシャークと戦ったことはすぐに噂になっている。


「サナちゃん! 昨日は凄かったな!」

「あれなら一流の冒険者にだってなれるさ!」


 それに対してはニコリと笑顔を返すだけが精一杯。


(は、はずかしいぃ)


 もう少年を探しているよりも、今すぐここを離れたかった。



「――……結局どこの誰だったんだろう?」


 そうして向かった先は、昨日と同じ海を見渡せる石垣の上。足を下ろして座り、そのまま海を眺めながら考える。


「せめてお礼だけでも言いたかったなぁ」


 間違いなくあの声援があったからこそ生き延びられていた。


「ありがとぅ……――」


 海を眺めながら、伝えられなかった感謝の言葉をひとり言のように小さく口にする。


「――……よしっ!」


 バッと勢いよく立ち上がった。


「うん。決めたっ!」


 やっぱり冒険者学校への入学をしようと。早く両親に伝えないと期限が迫っている。

 まだ昨日の傷みを抱えている身体なのだが、妙に軽く感じた。



「――ダメだっ!」

「どうして!?」


 帰るなり猛反対される。物凄い剣幕。


「当たり前でしょう。あんな危険な目に遭わせるわけにはいかないわよ」


 呆れながら母も父に同意していた。


「でもっ――」

「でもも何もない。ダメなものはダメだ!」

「サナ。お母さんが今さら言うのもなんだけど、お父さんの気持ちも考えなさい」


 これ以上何を言っても無駄だということは見ていてすぐにわかる。


「…………わかった。無理を言ってごめんなさい」


 笑顔を作り、そのまま居間を出て部屋に戻った。


「……ねぇお父さん?」

「ああ」


 サナの後ろ姿を見送るガッシュとイザベラは目を合わせると小さく頷き合う。



 ◇ ◆



 その夜。


「ごめんなさい。お父さん、お母さん」


 部屋の窓から外に出るサナの背中には一通りの荷物がまとめられていた。

 両親の承諾を得られなくとも冒険者学校には通える。無断で町を出ていこうと決めていた。

 申し訳ないと思いながらも、決心は揺るがない。


「どこにいくんだサナ?」

「えっ!?」


 不意に背後から声を掛けられる。


「お父さん……お母さんも」


 慌てて振り返った先には腰に手を当て怒り顔の父の姿。その横には困惑した顔の母。


「どこに行くんだ、と聞いているんだ。そんな大荷物を持って」


 問いかけに対して、サナは視線を彷徨わせて地面を見た。


「……サナ」


 僅かに目線を上げると、どう口にしたらいいのか悩んでいる母の姿が視界に入る。


「あ、あの!」


 勢いよく顔を上げ、はっきりと両親の顔を見た。


「ごめんなさい! やっぱり私どうしても王都に行って冒険者学校に通いたいの!」

「……どうしても、か?」


 真剣な眼差しの父の問いかけ。


「うん!」


 怯むことなく即答する。


「……はぁ。母さん。こりゃやっぱり無駄だな」

「そのようね」

「え?」


 それまで厳しい表情を見せていた父が途端にニカッとはにかんだ。


「実はな、俺も母さんもサナがこうするんじゃないかって予想はしていたんだ」

「え?」

「何を呆けているの? 私たちはサナの親よ?」


 イザベラはサナに向かって歩く。


「っていっても、今日の顔つきを見て、なんとなくそう思っただけだけどね」

「……お母さん」


 そのままサナの前に立つイザベラはそっと両手をサナに向けて差し出すと頬を手の平で優しく触れる。


「だから、辛くなったらいつでも帰ってくるのよ?」


 イザベラの横にガッシュが立つと、サナの頭の上にポンと手の平を乗せる。


「あと、卒業したらちゃんと帰って来いよな?」

「……お父さん」

「でもな、わざわざこんな夜に出ていく事はない。もう止めはしないからせめて明るくなってから行け。馬車の話も通しておいてやるから」


 すぐに後ろを向いたガッシュは手を鼻に持っていきぐすっと拭った。


「泣いてるの? お父さん?」

「泣いてねぇっての!」


 イザベラはサナの耳元で小さく囁く。


「ああ見えて、やっぱり寂しいのよお父さん」

「……うん」

「じゃあ入りましょうか」

「うん!」


 そうして家の中に戻ったサナ達は、王都のあれこれについて話して夜が更けていった。



 ◇ ◆ ◇



「――……うっ!」


 目を覚ました先に映るのは幻想的な空間。


「あ、あれ? お父さん? お母さん?」


 そのどこにも父と母の姿はない。


「サナ!」

「やっと起きたか!」

「気分は大丈夫ですの?」

「痛いところはない?」

「あ、あれ?」


 目を覚ましたサナに口々に声をかけてくるヨハン達に思わず困惑する。


(私、どうして……?)


 思い出そうとするのだが、何をしていたのか全く記憶にない。覚えているのは遺跡内部の探索をしていて、この部屋に来たところまで。

 ついさっきまで覚えていた夢の内容も断片的に覚えているのだが、今となってははっきりと思い出せない。


(どうしてあんな夢を?)


 元々、セラの町を出る前日に遭った出来事は溺れている少年を助けたところまで。ここまでがサナの身に実際起きていた出来事。


(でも……――)


 気持ちが良かったとはとても言えない夢だったのだろうが、それでも悪い夢ではなかったのだろうと。


(――……ありがとうヨハンくん)


 心の中で呟く感謝。

 安堵の息を漏らしている目の前の男の子に対してもう何度目ともなる感謝を、これまでとはまた違う気持ちを込めて何故か伝えたくなった。



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