第 四百一 話 水中遺跡⑭
『全てに干渉できるわけではないということだけは覚えておけ』
サナの夢の中への干渉前にウンディーネに言われた言葉。
ウンディーネ自身の力がサナに影響を与えたそれは暴走ともいっていいもの。
元々自身の、精霊の力を行使するための契約に用いられる状態と酷似しているのだと。しかしどうしてそれが起きたのかまでは定かではない。
その状態から推測されるサナの夢の中で起きている出来事は、これまでの人生の中で大きな分岐点である過去。そこに集約しているのだと。詳細が個々に異なると言っていたのはこの点の為。
ウンディーネ曰く、乗り越えなければいけない過去の障害を、精霊の力の影響を受けて心身に強く訴えかけているのだと。似たような精霊の試練は他にも存在するのだが、格の低い精霊の場合は現実の肉体にまで影響を与えることはない。それが死に瀕するまでの状態になるのはウンディーネの精霊の格がそうさせていると。
例え夢の中の出来事、虚像であったとしてもそれは実像であるという反する事実。
「頑張って、サナ!」
そんな中、ヨハンは底の見えない深い水の中を泳いでいた。
今正にサナが見ているであろう夢を目指して。
「あれ?」
ふとした瞬間にパッと視界が開ける。
「おっと」
スッと地面に着地するなり視界に飛び込んで来たのは多くの人だかり。
それと同時にその更に奥、水面には大きな背びれと頭だけ見せている少女。
「サナっ!」
事態を理解したヨハンは思わず人垣を搔き分けるようにして最前列に飛び出した。
「待ってて!」
救出するために飛び込もうとすると、ガっと肩を掴まれる。
「おい兄ちゃん、何しようとしてんだ!」
「離してください! 彼女を助けるんです!」
「お前みたいな小僧にゃ無理だ! やめとけッ!」
振りほどこうとするのだが、妙に力が入らない。
(もしかして、これがウンディーネの言っていた干渉力か)
例え内部に入ることができたとしても、必要以上の、直接手を出すような干渉が許されないのだと。
「それに、せっかくあの子が助けた命もあるんだから余計なことをするな」
「え?」
くいッと親指で差す先には泣き顔の母親に抱きしめられている小さな男の子の姿。
そのまま母親は何度も二人の男女に頭を下げ続けている。
「あの子が溺れたのを助けに飛び込んだんだ」
「魔物に襲われているのじゃなくて?」
「アレはその後に出て来たんだ。ったくついてねぇぜ! いっぺんに二つも重なりやがってよぉ」
「それであの人たちは?」
謝られている二人の男女が一体どういう人達なのか。
「あの子の両親に決まってんだろ!」
視線を落として海面、サナに向ける男性。
「……あの人たちが」
サナから話には聞いていた。
実家のあるセラの町、そこの木彫り細工職人の父とその父を支える母。
(優しい人たちなんだね)
サナの母親はスッと屈むと、小さな男の子のその母親に寄り添うように抱きしめている。父も手を振り大丈夫だとばかりの仕草を見せていた。
本来であれば溺れた幼子を救けに飛び込んだことによってサナが窮地に陥っているのだから恨み節の一つぐらいはあってもいいのにそれを見せていない。滲み出る優しさ。
(僕にできることは……――)
視線の先のサナは大きな背びれの魔物、アイアンシャークの突進をなんとか躱しているように見える。
(――……サナ)
およそ倒せそうにない現状。周囲で見ている人の中の誰にも飛び込んで助けることができない。近くにいるのに何もしてあげられないもどかしさ。
「サナ……――」
口許に両手を持っていった。
「――……サナっ! 頑張って!」
大きく声を掛ける。
「あれ? 俺、兄ちゃんにサナちゃんの名前を言ったか?」
隣の男性が首を傾げている中、ヨハンの声が聞こえたサナは僅かに声の下へ顔を向けた。
目が合うサナは一瞬不思議そうな顔を見せるのみでニコリと微笑むだけ。
(誰だろうあの子?)
まるで見覚えのない少年の顔。
どこか妙な感覚を抱くのだが今はそれどころではない。すぐにアイアンシャークに向けて視線を戻す。
(でもありがとう。おかげでもうちょっとだけ頑張れそうだよ)
痛い、怖い、ともう何度も思い、それでも繰り返し生き延びるために頑張って来た。それでももう頑張ることに疲れて諦めようかと思い始めていた矢先の声援。もうひと踏ん張りさせる声援。
(それにしても、不思議だなぁ。どうして私こんなに頑張れるんだろう?)
まるで自分が自分ではないような感覚。
心の奥底から勇気が湧いてくるような錯覚すら覚えていた。
ヨハンはもうこちらに顔を向けることのないサナをジッと見つめる。
(大丈夫だよ。サナならできるよ)
あれだけ頑張って来たサナであればきっとここも乗り越えられるはずだと。それにこんなところでサナを死なせるわけにはいかない。ウンディーネには干渉できない、そう言われたものの、何かできることがあれば厭わない。
『しょうがないなぁ。少しだけ力を貸してあげるよ』
ヨハンに聞こえない声と共に、胸元の精霊石がピカッと大きく光を放つ。
「なんだなんだ!?」
「おい兄ちゃん、一体なんだ!?」
「ぼ、僕にもわからないです」
周囲の視線を浴びるのだが状況がわからない。
「お、おい! 見ろよあれっ!」
空は曇天。ぽつぽつとほんの小さな雨粒が降り始め、不意に耳に入って来た声に反応するその視線の先。
崖を指差しており、ぐらッと大岩が今にも崩れ落ちそうになっている。
「そうだっ!」
直接的な干渉ができなければ間接的に干渉すればいい。果たしてそれもどの程度できるのかはわからないが、可能性があるのならばそれに賭ける。
一直線に駆けだしていた。
「お、おい!」
「ほっとけよあんなやつ! それより、ギルドからの応援はまだ来ないのか!?」
緊急依頼として救出依頼が出されていたのだが未だに誰も駆けつけに来ない。
◇ ◆
ヨハンが駆け付ける数分前。
頑張って時間を稼いで救援を待ち続けた結果、未だに来ない。
(私、死んじゃうんだぁ)
ギラッと海中で光るアイアンシャークの目。獰猛さを孕む狩りの目。
「キシャアアアア!」
もう体力も限界。魔力も水中呼吸魔法により他の魔法を使えない。
あるのは大腿に差してあった護身用のナイフのみ。しかしそれがあったところで何もできない。
突進をギリギリのところで躱し、勢いによって生まれる水の流れに巻き込まれないよう必死に踏ん張る。
「どうして私がこんな目に……」
死の恐怖を実感すると同時に訪れる恐怖。
呼吸を荒くさせ、心臓の音が速く大きく響いていた。
「……私なんて、何も持っていないのに」
微妙に胸の中を掻きまわす後悔。どうしてこんな思いをしなければいけないのか。
「お父さん、お母さん、ごめんなさい」
海面に顔を見せた時に父と母の姿があったことは確認している。
誰かが呼んで来てくれたのだろうと。
しかし、無残にも娘の死ぬ姿を見せることになる申し訳なさ。
「恋、したかったなぁ」
いつも冗談半分で口にする父と母。孫を見たいという癖に結婚相手の文句を言う父と宥める母。定番の会話。
「学校、行ってたら何かが変わったのかな?」
不意に脳裏を過る疑問なのだが、今となってはどうにもならない。
それと同時にフッと身体の中から力が抜ける。
「もう、限界……――」
時間稼ぎは十分にした。他に手段を持ち合わせていない。もう避ける力もない。
「サナっ! 頑張ってっ!」
「え?」
聞こえる声に思わず反応してしまった。
しかし向ける先には見覚えのない少年の顔。
「そうだね。ほんの微かな希望も捨てちゃいけないよね」
スッと大腿のナイフを抜き取り、顔の前で構える。
「ありがとう。例え死ぬことになってもあともうちょっとだけ頑張るね」
無意識に得るそれは自分であって自分ではない。この時点での。
決意を瞳に宿し、サナは気が付いていないのだが、その身体には仄かに黄色い光を灯していた。




