第 四百 話 水中遺跡⑬
突如として水イソギンチャクの中に飛び込んでいったナナシー。
魔力の残量からして取れる手段はそう残されていない。エレナを信じるからこそ身を投げ出した。
「お、おい! ナナシーはどうして!?」
「黙ってレイン!」
ナナシーの一挙手一投足を見逃さないように具に観察する。
(あとのことを任せるって、助けるって……)
飛び込んだナナシーはすぐに息苦しさを覚えていた。
直前に見せた笑顔にも疑問を感じる。一体何をして欲しいのか。
(そもそも、まだ魔法の効果は解けていないはずでは?)
サナの言葉が間違っていなければ水中呼吸魔法の効力は持続しているはず。
それだというのにどうしてナナシーは呼吸ができなくなっているのか。抱く疑問。
「……なぁエレナ?」
エレナと二人、触手を躱しながら問い掛けるレイン。
「静かにしてと言ってますわ!」
「いや、ちょっと聞いてくれ」
「でしたら早く言いなさい!」
(いや、だから言おうとしてんじゃねぇか)
相変わらずの理不尽な扱い。しかし今は文句を言っていても始まらない。
「アイツの動き、遅くなってないか?」
レインは水イソギンチャクの触手の動きを指差した。
「え?」
その言葉を受けて全体を見渡す。
飛び込んだナナシーばかりに注視してしまっていたのだが、確かにレインの言葉の通り水イソギンチャクの動きは緩やかになりつつあった。
「……そうですわね」
我ながら冷静さを失っていたと。レインに言われたことで理解する。
一体どういう理由で動きが緩やかになっているのか。
(考えられるのは……――)
ナナシーが内部に入ったことだとしても、水の魔物の意思が影響しているとは考えにくい。そもそも意思があるようには見えない。
そうなると敵側に原因があるわけではなく、ナナシー自身に原因があるのだと。
再びナナシーに視線を戻して注視していると、指先がピクッと動き、うっすらと目が合った。
(――……そういうことですの)
ようやくナナシーの行動の理由を理解する。
「レイン?」
「なんだよ? 良い方法でも思いついたのか?」
「ええ」
ニコリと笑うエレナの表情を見るレインは悪寒が走る。
(やべぇ。この顔する時は大体危ないことさせる時じゃねぇかよ)
微妙に頬を引き攣らせた。
「ナナシーを助け出しますわ」
「そりゃもちろん。でもナナシーのやつ、自分で飛び込んだんじゃねぇのか?」
「真意を今は測りかねますが、恐らく意図的なものですわ」
「……わかったよ。何をすりゃいいんだ?」
「ナナシーの真上ギリギリを目掛けてシルザリを振るいますわ。あとはナナシーとレイン次第かと」
「……はぁ。しゃあねぇな」
鍛冶師ドルドが鍛え上げた魔剣シルザリ。
独特な形状をしているその薙刀の固有能力を用いてナナシーの救出を謀る。詳細に説明されずともそう理解した。
「いきますわよ」
「がってんだ!」
すぐさま前方、ナナシー目掛けて真っ直ぐに駆けだすレイン。
「はあああああっ!」
その後方からエレナは身体を一回転させ、遠心力一杯に魔剣シルザリを振るう。
魔剣は剣身に青い光を灯している。
「風牙っ!」
振り切るのと同時に放たれる風刃。魔法とも剣閃とも違う大きな風の刃。
鋭い刃と化した風はレインが水イソギンチャクに到達しようとした瞬間に追い越していった。
「っぶねぇ!」
頭を掠める程にビュッと跳ぶ斬撃を見送りながら、本当にギリギリを狙っているなと寒気を抱く。
「いくぞナナシー!」
真っ直ぐナナシーの真上を飛び越えるように前転しながら跳躍する中、前を飛ぶ斬撃はザンッと勢いよく水イソギンチャクを両断した。
「手を伸ばせ!」
逆さに向いたレインの動きを確認したナナシーは真上に手を伸ばす。
水イソギンチャクから僅かに生身の手を出したところでガシッと互いの手が掴み合った。
「ぐ、くっそぉっ!」
水の中から勢いよく引っ張り上げようとするのだが、水の圧力を伴うあまりの重たさに引っ張りきれない。
「なっ!?」
逆立ちの姿勢のレインの視界の先には回転を止めていないエレナは魔剣シルザリをもう一振りしていた。
「旋風乱舞!」
凄まじい勢いで飛来する風の弾幕。レインの身体を吹き飛ばす勢い。
エレナの行動の意図は理解している。ナナシーを引っ張り上げきれなかった時の保険だと。
(けどよぉ!)
握力が持たなければ意味がない。しかしこれ以上時間を掛けるとナナシーが溺れてしまいかねない。
(こんのやろうっ!)
急いでもう片方の手を添えて両手でナナシーの手を掴んだ。
直後、風の勢いに押され、ドパッと二人して反対側に飛び出してナナシーの救出に成功する。
「げほっ! げほっ!」
地面に両膝と両の手の平を着くナナシー。
「大丈夫かよ!?」
「だ、大丈夫よ。それより、やっぱりアイツの体、魔力で出来ていたわ。おかげで少し回復させてもらっちゃった」
エレナが駆け付けるのと同時に立ち上がり、手の平を繰り返し握るのは実感を得ている。
「回復って?」
「コレのことよ」
手の平から蔓を出すナナシー。
魔力吸収。
相手の魔力を吸収して自身に加算させる魔法。使える者によって形態が変わり、ナナシーは本来相手に蔓を巻き付けて使用するのだが、今回に至っては身体全体でそれを行った。
「草木を成長させるのは水の役目だからね。水があれば草木は花を咲かせることができるのよ」
ニコッとエレナとレインの二人に笑いかける。
二人して顔を見合わせて溜息を吐いた。
「そういうことでしたら最初から言っておいて欲しかったですわ」
「ゴメンゴメン。言っておいて出来なかったらなにもならないから。それに言わない方がエレナとレインが真剣になると思ったしね」
「意味がわからないですわ」
ナナシーの言葉の意味をエレナは全く理解できない。
(でも私を助け出せる力を持ち合わせていたし、瞬間的な判断力と連携も見事だったわね)
最悪自力で脱出することもできなくはなかったのだがそれは奥の手。手の平の中を緑の魔力がフワッと光を灯すとすぐさま霧散する。
「俺も本気で心配したぜ」
「心配してくれたの?」
「あ、当り前じゃねぇか! 王都に来て早々こんな目に遭ってんだからよ!」
「え? 冒険者学校っていうぐらいなんだからこれぐらいの事態って普通にある日常茶飯事じゃないの?」
「……んなわけねぇじゃねぇかよ」
「そうなんだ。残念」
笑顔で残念がるナナシー。一体全体冒険者学校をどういう風に考えていたのかと。
「それよりも、他に何かわかりましたか?」
「ええ。たぶん、アイツを操っている奴は相当なヤツよ。ここに来る時も感じていたけど、魔力の奥から感じられた気配が尋常じゃなかったわ」
魔力吸収の際に得られた感覚。その強大さはこれまで一度も得たことのない感覚。
「あれならヨハンが捕まるのも納得だわ」
未だに囚われ続けているヨハンに視線を向ける。
「勝手なことを言うでない」
「!?」
不意に部屋中に響く女性の声。
「だれっ!?」
突然響いた声に驚くナナシー達なのだが、すぐさま周囲に視線を張り巡らせるように警戒心を引き上げた。
「そう構えるな。もうお主たちの実力は十分に観させてもらった。このままでは互いに消耗戦になるのでな」
水イソギンチャクが収縮していき、全てが消えるかと思った瞬間、再び膨張させ色味を帯びながら女性の姿を形作っていく。
「だ、誰だてめぇっ!」
「そう吠えるな人間。我は水精霊、人の名でウンディーネだ」
名乗りを上げるウンディーネにレイン達は驚愕した。
「な、んだと!?」
「ねぇエレナ、ウンディーネって確か……」
「え、ええ。精霊界の最高位に位置する上位精霊ですわ」
想定していた以上の存在が自分達の前に姿を見せる。
「その精霊様がどうしてこんなことを?」
ナナシーが一歩前に踏み出た。
「根本的なことが間違っておるな。土足で入って来たのはそっちの方だ。我の意図していたものではない」
「つまり、元々あなたは危害を加えるつもりがなかったということですわね?」
「無論じゃ。不要な殺生はせぬ」
「だったらこの状況をどう説明すんだよ!?」
声を荒げたレインをウンディーネはギロリと睨みつける。
「ぅぐ」
「威勢だけは良いようだが、そこな少年はその少女を救うため我に提案を持ち掛けたのだ」
「ヨハンさんが?」
「うむ。順を追って話してやろう」
フワッと浮かび上がったウンディーネはそのまま地面を転がっているサナの背後に立った。
「現在、この少女は死の境地に追いやられておる。外部からの干渉は不可能だ」
ウンディーネの言葉を受けてレイン達は互いに顔を見合わせる。
「どういうこった?」
「……詳しくは続きを聞かないとわからないけど、たぶん、サナちゃんにウンディーネか遺跡内の力か何かが働いているってことよ」
「それで?」
「相変わらず鈍いですわねレインは」
エレナとナナシーは先程のウンディーネの言葉でヨハンの行動の意味を理解していた。
「なんだよ、俺にもわかるように説明してくれよ!」
「だから、ヨハンは外部からじゃなく、内部から干渉しようとしているのよ」
「…………あっ」
レインもようやく理解する。
何らかの事態に陥ったサナを助ける為に今の状況が生まれているのだと。
「先に言っておくが、この少年が精霊石を持っておったからそれが可能であるのだ。これ以上のことはできんぞ?」
「…………――」
その言葉は事実その通りであり、ジッと考え込むエレナもその言葉の中に矛盾点が見られなかったことで決断を下した。
「――……でしたら、ヨハンさんがサナを助け出すその間の話し相手にはなってくださいますのよね?」
「……ふむ。それぐらいは構わんが、お主等はここを出んで良いのか?」
「ええ。信じて待っていますもの」
遺跡を出たところでどちらにせよ不安が付きまとう。
ならばこのまま成り行きを見守る方がまだいくらか不安を払拭できるのだから。




