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第三百六十二話 英雄たち

 

 まだ陽が昇り始める前の朝靄がかかるその時刻。

 王都の鍛錬場、大きな敷地一面に土が敷かれたその場で訓練用の木剣を握りしめて一人の少年が鍛錬に励んでいた。


「はあっ!」


 ブンッ、ブンッ、シュッ、シュシュッっと、空を切る綺麗な剣捌きによる風切り音が周囲に響き渡る。

 少しの汗を飛び散らせながら木剣が空を切る音以外には剣を振る少年、ヨハンの浅い息遣いしか聞こえない。


「ふぅ」


 ある程度身体を動かした後、ピタと剣を振る腕を止めた。

 だらりと木剣を下げて鍛錬に一区切りをつけるとそのまま周囲の景色に目を送る。

 何か装飾が施されているわけでもないその殺風景な景色なのだが、見慣れたその景色が懐かしくて仕方がなかった。


「ここで鍛錬するのも久しぶりだなぁ」


 小さく呟き、少しの感傷に浸る。ようやく帰って来たのだという実感を得ていた。


「さて」


 そうして次の鍛錬に移ろうとした時。


(!? 誰か来た?)


 ジャリッと地面を踏み歩く音が遠くから聞こえてくる。

 微かに音が鳴った方角、鍛錬場の入り口に振り返った。


「おっ、気付いたか。やるじゃねぇか。それにしても本当にいやがったぜ」

「そうね。少しぐらい休めばいいのに」

「な。だから言っただろ。こいつならきっとここに居るって」


 通路の影から姿を見せたのは父と母であるアトムとエリザ、それにラウル。


「父さん、母さん、それにラウルさんも。どうしてここに?」


 疑問を抱くのだが、その後ろからまだ他にも姿を見せる。


「ほう、これがお主等の息子か。なるほど、二人によく似ておるな」

「うむ。久しいな。健勝であったか? すまなかったな、長く留守にして」

「こうして見ると感慨深いものがあるな。俺たちもこうしてよくここで鍛錬に励んでいたではないか」


 シルビアにガルドフ、ローファスもいた。


「えっと…………」


 突然の来訪に対する困惑。これだけ大勢が一斉に姿を見せることの意味がわからない。


「それに……――」


 視線の先に捉えるのはシルビア。初対面のはずなのだが笑みを向けられている。


「――……もしかして、あなたがシルビアさんですか?」


 これまで何度か耳にしたことのある人物の名。見知ったその中に知らない人は一人しかいない。


「ウム。その通りじゃ。はじめましてじゃな」

「はい。はじめまして、ヨハンです」


 軽く頭を下げると再びニコリと笑みを向けられた。


「あれ? カレンさん?」


 一番後ろには申し訳なさげに肩身の狭い思いをしているカレンの姿がある。


(これが伝説の冒険者スフィンクス。なるほど、確かに凄い存在感だわ。でも、あの人はどうして裸なの? 何か特別な意味あるのかしら?)


 ラウルに連れられ一緒にここへ来ているのだが、ガルドフの異様な姿に疑問を抱かずにはいられなかった。


「父さん? どういうこと? 一体どうしたの?」

「いやすまんすまん。昨日本当は時間を作ろうと思ってたんだけど中々こっちも忙しくてな」


 結局連絡がないまま翌日を迎えている。


「でまぁラウルがお前のことだからどうせここにいるんじゃないかってさ」

「ラウルさんが?」

「ああ。どうせお前のことだからじっとしているはずないだろうと思ってさ」


 呆れながら話すラウルによると、アトムの提案によって全員で押しかけて驚かせてやろうという算段だったらしい。


「案の定びっくりしただろ」


 ニヤッといたずらが成功した時の子供のような無邪気な笑みをアトムが浮かべた。


「……それ、僕がいなければどうしていたんですか?」


 しかし同時に抱く疑問。王様まで巻き込んでいるのだから。


「おらなんだ時はラウルとアトムがワシにお仕置きされていただけじゃ」

「え?」


 シルビアが声に出した途端、ビクッと身体を震わせたのはアトムとラウル。思わずブルルと小さく身体を震わせる。


「ワシはこやつらの姉のようなものじゃからな」

「そうなんですね」


 その言葉を聞いた途端、アトムとラウルにローファスの三人は口を開けポカンとさせた。


(((姉って)))


 間違いなく姉などではない。そんな可愛いものではない。


「なんじゃ? 不服そうじゃな」


 三人の反応を視界の端に捉えるシルビアはすぐさま杖を持つ右腕を真上にかざす。

 上空に向かって魔力が立ち昇り、モクモクと雷雲を形作り始めた。


「は?」

「ちょっと姐さん!」

「おいおい、早速だな」


 まるで意味のわからないその行動なのだが、ガルドフはエリザとカレンを両脇に抱えてその場から急ぎ飛び退く。

 ピカッと光ったかと思えばすぐさま真下に落ちる雷。


「ぎゃんっ!」

「っと!」

「っぶねぇ」


 横っ飛びで躱すアトムに対して剣を抜いて雷を受け流すラウル。しかしローファスだけは直撃を受けていた。


「はい?」


 ヨハンには状況の理解が全くできない。

 一連のやりとりが起きるまでほんの数秒。その先には四つん這いになってビリビリと身体を痺れさせているローファス・スカーレット、このシグラム王国の国王がいるのだから。


「ちっ、惜しかった。二人は上手く躱しおったか」


 舌打ちしながら杖を下げるシルビア。


「姐さん! ほんとやめてくれって!」

「シルビアさん。ほんと変わらないですね」

「ふむ。ラウルは鈍っておらぬようだな」

「はい。おかげさまで」

「その点……――」


 シルビアの視線の先にはググッと身体をゆっくりと起こしているローファス。


「――……貴様は少々身体を動かした方がいいのではないか? 平和ボケしておると痛い目を見るぞ?」

「いやちょっと待て! 俺はさっきの話に関係ないではないか!」


 さっきの話。アトムとラウルが当てずっぽうでこの鍛錬場にヨハンがいると決めつけで来ていたということ。


「お前らのせいで完全に巻き添えを喰らっているだろうがっ!」

「つまり、貴様は忘れておるということだな。いつ何時攻撃を受けるやも知れぬということを」

「ぐっ!」

「ならばもう一度その身体に刻み込んでやろうか?」


 すっと杖をローファスに向けて差すシルビア。


「わ、わかった、すまん、俺が悪かった」

「悪かった?」

「い、いや、わ、悪いのは…………俺、でした……申し訳、ありません」


 握り拳を作りながらもローファスは悔しさを堪えてシルビアに謝罪の意を示す。


「フム。それで良い。ワシは先代からお主を真っ当な国王になるよう指導を任されたのだからな」


 そのローファスの様子をアトムとラウルがニヤニヤとしながら見ていた。


「お前らッ!」

「だって避けられねぇお前が悪いんじゃねぇかよ」

「だな」

「なんだとっ!?」


 どすどすとアトムとラウルに詰め寄るローファス。


「なるほど。ここは鍛錬場であったな。ならば三人揃ってまたあの時のように鍛えてやれば良いのだな」


 シルビアが再び天に目掛けて杖をかざす。


「い、いや、そういうわけではなくてだな」

「そうですよシルビアさん!」

「姐さん、今はそんなことしている場合じゃなくて」

「黙れッ!」


 まるで会話が成立していない。再び上空に雷雲が立ち込め、すぐさまピシャリと雷がその場に降り注いでいた。


(どうしたらいいんだろうこれ)


 逃げ惑う父たちの姿を見ながらその場に一人取り残されるヨハン。何もできない。動けば雷が直撃してしまう。



 しばらく時間を置いて後、杖を下ろしたシルビアはヨハンを見た。シルビアの周囲には息を荒くさせ座り込んでいるアトム達。


「貴様らに構っておったせいで余計な時間が掛かってしまったではないか」


 ジロッと見るシルビア。


(((誰のせいだ誰の!)))


 理不尽な言い分なのだが、変に返すとまた同じ事態を招く。


「ん?」

「「「何でもないっす!」」」


 結果、すぐさま手を顔の前に持ってきて大きく左右に振った。


「楽しい人でしょ?」

「母さん」


 ようやく落ち着いたところでエリザとガルドフとカレンがその場に戻って来る。


「この人はいつもこんな感じで、お母さんの魔法の師匠でもあるの」


 確かに落雷の精密さは相当なモノ。

 しかし同時に驚嘆するのは、いくつか落雷を受けてしまっていたローファスに対して全て躱していたアトムと、剣で受け流し、時には弾いていたラウル。


(僕にもできるかな?)


 そう考えながら、その動きだけで父やラウルの凄さを改めて実感した。


(なに、この人たち、兄さん相手にこんなことを日常的にしていたの?)


 まるで理解できないのはヨハンだけではなくカレンも同じ。その場をただただ呆気に取られながら見ているしかできない。一言も発せない。異常とも思えるような光景。


 生まれた時からこれまで兄ラウルの背中を追って来た。いない時でもその影を追っている。

 帝位継承者であった兄は常に周囲に対して威厳を保った態度を取っており、それは城内では当たり前であった。剣聖の称号を得てからは尚更。


(この人、いくつなのかしら?)


 見た目兄とそれほど変わらない女性がまるで児戯に等しくラウルを扱うことが疑問でならない。むしろ兄が下手にでている程。聞くに聞けない気配を見せているその疑問。


(でも……――)


 その兄の様子がどこか楽しそうにも見える。

 帝都であればあり得ない状況なのだが、それを兄自身が素直に受け入れているのだと。


(――……とてもそんな凄い人たちには見えないわね)


 今しがた起きた出来事に対して、数々の偉業を成し遂げた人物達なのだというその偶像との乖離に苦笑いせずにはいられなかった。


「さって、準備運動はこれぐらいでいいか」


 アトムは軽やかに身体を起こし、ニヤッと笑みをヨハンに向ける。


「準備運動?」


 何に対する準備をしたのか。


「ああ」


 ラウルが近くに立て掛けられていた木剣に手を掛け、アトムに向かって放り投げた。

 クルクルと宙を舞う木剣を片手で受け止め、ヨハンに対して真っ直ぐに向ける。


「お前がどれくらい強くなったのか見せて見ろ」

「えっ!?」

「久しぶりにやろうじゃないか。お父さんと」


 それまで笑顔で見ていたその眼差しが途端に鋭い、射抜くような視線に変わった。


(……この感じ)


 幼い頃に何度も向かい合ったその人物。当時は父たちが行った偉業を耳にすることなどなかったのだが、今となっては色々と知り、そして自身も力を身に付けたことでようやく理解する。


(僕と父さんとの力の差、それを確かめられるんだ)


 身体中に突き刺さるような威圧感。明らかな強者の気配に怖気を抱くことなどこれまで何度とあったのだが、それ以上に得るのは高揚感。


「……良い眼だ。本当に大きくなったなヨハン」


 アトムの正面でスッと木剣を構えるヨハン。


「よろしくお願いします」


 はっきりと視界に父の姿を捉えながらゆっくりと口を開いた。



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