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第三百五十一話 閑話 サナの決意

 

「ヨハン君、どうしているかな?」


 ヨハンが帝都の武闘大会で優勝を決めたその夜、冒険者学校学生寮にて艶のある黒髪を櫛で()かしながらサナは一人物思いに耽っている。


「私、頑張ってるよ」


 髪を()く手を止め、息を吐きながらもその瞳にははっきりとした力強さが宿っていた。


「あっ。サナもうお風呂入ったの?」


 同室の女子、リリが向かいにあるベッドに腰掛ける。


「うんごめんね。明日も早いから先に入っちゃった」

「また明日も早錬? 毎日よく続くわねぇ」

「……うん。やっぱり負けたくないから」


 サナは笑顔で答えた。


「ふぅん。凄いね。ウチには無理だなぁ」

「そんなことないわよ。努力すれば」

「その努力することも才能の一つなんだって。それよりさ、ユーリとはどういう関係なの?」

「え? どういう関係って?」

「もちろん付き合ってるのかどうかってことよ」


 リリの問いを受けたサナはきょとんとすると、すぐさま質問の意図を理解してプッと吹き出す。


「ないない。ユーリはただの仲間だって」

「でも毎朝一緒に鍛錬しているのでしょ?」

「それはユーリも私も強くなりたいからであって、そういうのとはまた別よ?」

「そうなの?」


 答えながらサナは窓の外に目を向けた。


「それに私、好きな人、いるし…………――」


 リリに聞こえない程度に小さく呟いた言葉。今は遠く離れた人に思いを馳せる。


「なに? いまなんていったの?」

「なんでもなぁい。じゃあ私そろそろ寝るね」


 櫛を近くの机に置くとぼすっとベッドに横になった。


「じゃあウチもお風呂行って来るね」

「うん、いってらっしゃい」

「おやすみ学年十位さん。おっぱいの大きさなら一位なのにね」

「なっ!?」

「あーあ。ウチもあれぐらい大きければなぁ」


 サナが驚きに目を見開く中、バタンとドアが閉まりリリが出ていく。


(も、もうリリったら!)


 不意の言葉に考え込み思わず両手を胸へ送ってしまっていた。


(……確かに大きくなったものね)


 育ち盛りとはいえ大きくなりすぎている。動き回る時に邪魔だけど、と思う時がなくもない。


(あーあ。ヨハンくん、はやく帰ってこないかなぁ。今の私を知ったら少しは見直してくれるかな?)


 同時に小さく漏れる笑い。

 育つということで連想するのは先程リリに言われた言葉から。この半年、十分すぎる程頑張ったし、確かに自信も自覚もある程度は持ち合わせていた。

 胸に当てていた手を、左腕を顔の前に持って来て恋心を抱く男の子にもらったブレスレットがチャリっと音を鳴らす。


「やっと十位。でもまだ足りない。もっともっと強くならないと。でないとあの背中にはとても追いつけない」


 ただ見ているだけだった巨大飛竜の王都襲来。素直に感動した。憧れた。

 自分だけでなく他の学生たちにしても同じ。およそ一学生に何かができるわけではなかったはずのその脅威。しかしそれを同い年の男の子が単独で討伐した。


(すごかったなぁヨハンくん。でも……――)


 それだけならまだ良かった。あの男の子が、ヨハンがただただ凄いというだけで済む話なのだが、決着がつく間際に飛竜の眼に突き刺さった一本の薙刀。どういう流れでヨハンが一人で戦うことになったのかが定かではないが、最後のあの瞬間、不覚にも思わず魅入ってしまっていた。


「負けるつもり、なかったのにな」


 王女が相手とはいえ、それとこれとはまた別の話。

 同級生の女の子、エレナはあの局面に割って入れるだけの実力がある可能性を示していた。


(……私も、いつかあんな風に隣に立ちたい)


 憧れ。容姿や立場ではない羨望。

 しかし彼の隣に同じようにして立つ為には純粋な強さが必要。背中を任せられる仲間である必要がある。だったらもっともっと強くならなければならない。


(まだ、まだ強くならないと)


 諦められないこの気持ち。それがサナを突き動かしていた。


(入学前の私なら、きっとこんなこと思わなかっただろうな。ううん。ヨハンくんに会わなかったら、みんなに会わなかったら…………あの時助けてもらわなかったら、きっと……――)


 そうして夢の中に意識を移していく。


 きっかけは入学後、最初の学外行事である野外実習。危うく命を落としかけた出来事であるビーストタイガーによる経験したことのない危機。

 元々サナが冒険者学校に通い始めた理由は、家庭が裕福ではなかったためと同年代の子と比べると身体能力や魔力量が多少秀でていただけ。

 冒険者学校に通う子供達は一部の貴族の子女を除き、だいたいが同じ理由。そのため、サナは周囲を見渡して自分が特別ではないことを入学式ですぐに理解した。上には上がいる。

 その時点では冒険者になることを諦めたわけではないが、特段上を目指す必要も感じなかった。


 一般的なレベルに達すれば比較的裕福な生活を冒険者は送れる。そうなれば実家に仕送りもできる。命を賭けてまで生活を豊かにするために冒険者をするのだからその見返りは当然。目指すところは一部の夢追い人のような冒険者などではない。


 しかし今は違った。意識を変えた。はっきりと目的を持って上を目指している。いつか認めてもらうために。


 振り返ってみても一学年時は本当に色々と力不足を痛感した。

 不甲斐無い姿を何度も見せた。守ってもらうばっかりだった。そんな自分が情けなくて、虚しくて、しかしそれでも結果的に奮起して必死に努力した。人間死ぬ気になれば意外と頑張れるものだと実感する。


 そうしてヨハンが帝都に行っている間にサナは学年十位まで躍り出た。周囲からの評価はもう既に一変している。

 それでもまだ届かない。あの背中には。でも次は諦めない。誰かを守るためなどという崇高な理由ではない。自分本位な理由。自分自身のために。いつか追い付くのだと、隣に立つことが出来るのだと自分を信じて。


『凄いなサナ』

『うん。でも……――』


 同じパーティーのケントに言われたのだがまだ足りない。


『――……でもまだあの人たちには及ばないよ』


 これだけ努力して初めて知ったまだ努力不足なのだという事実。

 二学年がある程度経ったころに貼り出された順位。総合評価表のトップに位置する三人。


『エレナさんはもちろんとして、モニカさんもあれだけ強いんだし』

『……まぁ、な』


 二位の王女エレナだけでなく学年三位にいるモニカにしてもそう。その華麗な剣技と容姿からいつの間にか【剣姫】の異名を得ている。


『私も負けてられないよ』

『……そっか。頑張れよ』

『……うん。ありがと』


 そう話していたケントだけでなく、最近はアキとも妙な温度差を感じていた。ユーリは鍛錬に付き合ってくれ、そのユーリも十五位。あれだけ互いに努力しているのに四位にはレインが位置している。


『まだ足りない』


 誰が自分の行いを認めてくれるのか。わかっている。結局最後は自分自身なのだと。努力して、結果を出して、他者から褒められて、満足して。そこで満足するかどうかも自分が決めること。


 満足は満足ですればいい。

 どこかで区切りを付けなければ張り詰めた糸はいつか切れる。だがそれで終わってはいけない。満足は過程に対して満足することで、辿り着いた境地に満足したわけではない。

 しっかりと自戒を込める。


 次にヨハンと会った時は成長した自分を見てもらおうと。

 成績表を見上げながら空白の一位に目を送った。そこに誰の名前が入るのかということは誰もが、全員が知っている。だから誰も空白のことを口にはしない。


(次に会ったらまず……――)


 サナはそうして決意する。

 取り組み続けたことで得た自信。


(――……会えなかった分も合わせて思いっきり抱き着こう!)


 この気持ち、彼を想う意思と諦めない強さは誰にも負けない自信も身に付けられた。



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