第三百三十九話 声援
「あーあ。バレちゃった」
「どうしてミモザさんが?」
突然目にした知り合いの姿に対してわけがわからない。困惑が襲い掛かってくる。
「ごめんね。それは言えないの」
「……そう、ですか」
どう答えたらいいものかわからない中、ナイトメアならぬミモザはゆっくりと両手に持つククリナイフを構えた。
「でもね、ヨハンくん?」
「はい」
「きみの目的は何だったかしら?」
「え?」
ミモザに問いかけられ、チラリと貴賓席にいるカレンの姿に目を送る。
カレンは身を乗り出し、驚愕の眼差しで不安気に見下ろしていた。
「私が本気だったっていうのは言わなくてもわかるわよね?」
「……はい」
ここまで、とてつもない殺気に当てられ攻撃されていたことからしてもそれは明らか。
「一つだけ教えておいてあげるわ」
「…………」
真剣な眼差し。いつもの優しいミモザの表情ではない。
「私が受けた依頼は、ヨハンくん。君を敗退させることよ」
「どうして!?」
言い終えた直後、ヨハンに向かって突進するミモザ。
半分だけの真実。嘘ではないのだがその言葉には足りないことがあった。
『できればミモザさんが優勝してくれればいいのですけど、守れるだけの力を示してくれればそれで良いです』
『あっ、そう?』
『貴方が優勝すれば他の貴族に嫁がせることもありませんしね』
『バカねぇ相変わらず』
『いいのです。自分はこれで。結果、例えどれだけ恨まれようとも』
『ほんと不器用ね兄弟揃って』
武闘大会に参加する直前に話していたアイゼンとの会話。
もう既にヨハンの下に到達して剣戟を交わしながら思い出す。
「あら? さっきまでの勢いはどうしたのよ?」
「そ、そんなこと言ったって――」
「ほらっ。カレンちゃん、不安そうに見ているじゃない。ダメよ? しっかりしないと。婚約者なんでしょ?」
「――――っ!」
一気に劣勢に立たされてしまう中でもミモザの背後、遠くに見えるカレンの姿。その不安そうな表情。心配そうに見つめられている。
「おまけよ? もう一つだけいいこと教えてあげるわ」
「?」
金属音を響かせながらかけてくる言葉。
「私が優勝したら、カレンちゃんはシール家に嫁ぐことになるわ。いいの? それで?」
煮え切らない態度を見せるヨハンを見てミモザは一つの嘘をついた。
(……カレンさん)
だからあれだけ不安そうにしているのだと。自身の意思が介在しない婚姻を結ばれてしまう。籠の中の鳥。このままでは逃れようのない環境に一筋の光明を見出した末の武闘大会。
「でも……――」
ミモザを相手取ることとの天秤。
どうしようかと悩んでしまっていたのだが、視界の奥に映るカレンが口元に両手を送り、大きく口を開ける姿が目に飛び込んできた。
「ヨハーンっ! 勝ってぇっ!」
観客があげる歓声の中でもはっきりと聞こえるその凛とした声。響き渡る声量。
(そっか。そうだったね。ごめんなさいカレンさん。僕はあなたを守らないといけないんだったね)
セレティアナとの契約を果たさないといけない。ここで負けてしまえばセレティアナに怒られる。むしろ恨まれるではないかとすら。
自分が何をしなければいけないのか。その声援にはっきりと背中を押される。
「あら。カレンちゃん、あんなに大きな声を出せたのね」
意外でならないのはミモザの方。
元々活発な子だということは知っていたが、それでも皇族に囲まれている時はおしとやかな振る舞いを崩さずにしてきていた。
肩越しに見上げるカレンのその姿をチラリと見るのだが、すぐさま首を回して振り切られているヨハンの剣を慌てて回避して距離を取る。
「――……わかりました。僕も本気でいきます」
ミモザが小さく息を吐きながら得る安堵。
「やっとその気になったのね」
「怪我をさせてしまったらごめんなさい。後で責任を取って治療しますので」
「嬉しくないわねその申し出。でも、その時は遠慮なくお願いするわ」
ダンッと互いに勢いよく地面を踏み抜いて交差した。
湧き上がる大歓声。
◇ ◆
数十秒前、ミモザがナイトメアの仮面を割られた頃の貴賓席では。
「むっ!?」
「あちゃあ。バレたな」
アイゼンとラウルの二人してカレンを見る。
カレンはナイトメアの正体を目にして、驚愕に打ち震えながら目を見開いていた。
「どうしてミモザさんが!?」
途端にガタッと立ち上がり、身を乗り出すようにして眼下を見る。
まるで信じられない。孤児院のシスターであるミモザがヨハンと戦っていることに。
信じられないのは正体がミモザだったということももちろんなのだが、ミモザのその戦闘能力の高さが尋常ではないということなのだと。実際ここまでの戦いにしてもそうであるのだが、伝え聞いていたそのミモザの現役時代の話。
現ギルド長であるアリエルと並んでS級冒険者にまでなっていたのだということを。
「私が依頼した」
「アイゼン兄様が!?」
欲しい答えの一端。疑問の一つに対する答え。
しかしそれだけでは何もわからない。
「無論。彼を負かすために用意した」
「でも――」
ミモザが兄に、アイゼンに手を貸すなどあり得ない。むしろ自分の味方であってくれているはず。それは日頃の付き合いからしても、もう一人の兄ラウルとの間柄からしても間違いない。
「彼女は私に借りがあるのだ。それを今日返してもらった」
全く以てアイゼンが話す内容を理解できない。
だが理解できないその中でもはっきりとしていることは、ミモザは間違いなく本気で戦っていた。それはカレンが観戦していた限りでも、先程までその戦いを見ながら話していた二人の兄の会話からしてもそう。ミモザが本気になった、とミモザを一番知るラウルが断言していたのだから。
「彼、栄誉騎士が負ければお前は貴族家に嫁いでもらう」
「なっ!?」
その瞬間、カレンの脳裏を過るのはアイゼンの思惑。
まさか元S級冒険者を使ってまでヨハンを追い落としたいのかと。
思わずギリっと唇を噛む。
「そんなことよりいい加減座れ。そんなところにいると見えないではないか」
「――っ!」
平然と言ってのけるアイゼンの態度に悔しさが込み上げてきた。
ギュッと握る両の拳。今自分にできることはこれしかない。大きく、深く息を吸い込む。
すっ、と握っていた拳をほどきながら息を吐いてヨハンを見た。精一杯の声を届けるために口元に手の平を添える。
「ヨハーン! 勝ってぇっ!」
恥も外聞も関係のない、およそ皇族らしくない大きな声援を送った。今彼は間違いなく自分の為に戦ってくれている。強さを求めると口にはしているものの断言できた。
それ程に彼は優しい。
「それで気は済んだか?」
「……はい」
全く気は済んでいないのだが、それでもいくらかマシな気分になる。
突然大声を発したカレンに対して目を丸くさせている背後の臣下たち。周囲に座っているいくらかの観客の視線を浴びたことでアイゼンにはもっときつく怒られるのではないかと覚悟していたのだが、そんなことはなかった。
いつもと違うその態度にどこか気味の悪さを感じながらもゆっくりと椅子に腰を下ろす。




