第三百三十七話 マントの中
「まさかっ!?」
目の前で跳躍したナイトメアが取った行動。
無数に現れた薄い膜を蹴りつけたナイトメアはまるで空中を飛び回るかのように跳ね続ける。
「さっきのはこれかっ!」
真逆に方向転換した理由を即座に理解した。
恐らく風魔法で生み出しているであろう空気の膜。それを足場にして切り返したのだと。
事実、ヨハンの見解通りナイトメアは魔法により空気膜を発生させている。
「ぐぅっ!」
背後からの攻撃に対して呻き声を漏らすヨハン。視界に捉えきれない。目で追いきれない。
死角から何度となく襲い掛かられ、いくつもの切り傷を付けた。
「ッ! どうすれば……」
まるで手に負えない速さ。経験したことのない速度。広範囲魔法を使えれば対応は可能なのだが、ルール上直接危害を加える類の魔法は使用できない。
(まさかこんな方法があったなんて)
自身の特性を最大限に引き出した戦術。
「くっ!」
それならば、とヨハンもナイトメアのようにその膜を利用してやればと思い跳躍したのだが、ナイトメアはヨハンのその動きを見て指を軽く動かす。
「えっ!?」
蹴りつけようとしていた膜がスッと霧散した。
「ぐっ!」
着地した直後、襲い掛かってくるナイトメア。剣を振るい、ガギンと音を立てる。
即時対応したのだがすぐに離れられた。
「個別に消すこともできるんだ」
ナイトメアは相手に利用されないように、自分だけが使用できるようにしている。
「こんなに強いだなんて」
正直想定以上。攻めあぐねてしまう。こうなると手の打ちようがない。一方的に受ける攻撃。
いくら参加者に制限、既に知名度や実績のある人物が参加できないとはいえ、知られざる実力者などいくらでもいるのだと改めて実感した。
何かできることはないかとナイトメアの動きに対応しながら必死に思考を巡らせる。
◇ ◆
「もうミモザさん! どこまで行ってるのよ!」
「へ?」
ハラハラしながらヨハンの戦いを見ながらも、隣にミモザの姿がないことにアイシャが不満を表した。
「なにも決勝前に行かなくてもいいじゃない! 準決勝も反対側で観ていたみたいだし、もしかしてこのまま決勝を観ずに終わるわけじゃないでしょうね!」
「何言ってるのアイシャちゃん?」
ヨハンが劣勢に立たされていることで若干イライラしているアイシャの言葉を聞き、ニーナは目をパチパチとさせる。
「どうかしましたかニーナさん?」
「いや、どうかしたもなにも、アイシャちゃん、気付かない?」
「気付かないって……?」
どういうことなのだろうかと考えるのだが、空席になっているミモザの席を見るニーナの視線に釣られてチラと見ると同時に疑問符を浮かべた。
「何を?」
「いや、何をってアレ……」
会場に視線を向けるニーナ。
「アレって?」
疑問を浮かべながらもニーナの言葉と視線の意味を考える。
(そういえば……)
大会中、ミモザは突然買い物に行き、かと思えばどうしてか迷子になっていたり、常に席を空ければ帰って来るまでいつも時間が掛かっていたことを。
「え?」
そのこれまでのミモザの行動や態度に言動に通じる理由。それに先程のニーナの言葉を照らし合わせれば自ずと答えは導き出せた。
「もしかして……――」
思わず信じられない眼差しで眼下を見下ろす。
「――……もしかして…………ナイトメアの正体って、ミモザさんですかっ!?」
口をあんぐりと開けながら素早く跳び回っているナイトメアを見た。
「せいかーい」
「そうだな。もう決勝だから今更隠しても仕方ないだろう」
すぐさま肯定するニーナとアリエル。
「えっと、正直信じられないんですが、間違いないんですよね?」
「うん」
「ああ」
「だったら……聞きたいことがいっぱいあるんですけど?」
「なに?」
一つ一つ確認して整理していかなければ頭の中が大混乱をきたしている。
「あの、アリエルさんはまだしも、ニーナさんはそもそも知っていたんですか? その、最初から」
「ううん。あたしは知らなかったよ。えっと、準々決勝ぐらいかなぁ? あの仮面の人の戦い方が気になっていたからジッと視ていたんだけど、なんかミモザさんの魔力に似ているなぁって。それで気付いたんだよ?」
確信を抱いたのはそれを席に戻ってきたミモザに問い掛けようとした時のこと。そっと口元に指を持っていかれたことから秘密にしておいて欲しいのだと理解したのだが、同時にそのまま買って来た食べ物をパクっと口に放り込まれたことで見事に口止めをされていた。
「それならせめて私だけには教えてくださいよ!」
「あっ、ごめんごめん」
項垂れるアイシャの姿を目にして苦笑いしながら謝るニーナ。
「で、あのナイトメアがミモザさんってことはわからないけどわかりました。でも、どうしてミモザさんが?」
この舞台に出場しているのか。
「うむ。それにはいくつか理由があるのだが、まず根本的なことを言っておく。彼女は大会に参加したくなかった。もう引退した身だしな」
「だったらどうして?」
どうしてあれだけ強いのかという疑問もまた抱くのだが、事実として決勝まで残る実力者であることは間違いない。疑いようがない。
「とある依頼だな。絶対に断り切れない依頼が舞い込んできた」
「それって……」
「それは言えない。守秘義務があるからな」
「……そうですか。だったらもう一つだけ教えてください」
「答えられる範囲ならな」
ジッと見定めるようにしてアイシャの目を見るアリエル。直視されたことで一瞬怖気づくのだが、唇を噛み締め意を決して口を開く。
「ヨハンさんは……勝てますか?」
ミモザが参加している理由には何かしらの事情、並々ならない理由がそこに介在しているのだろうということはなんとなくだが推測が立った。でないと嫌々参加するはずがない。
だが同時に思い返すのは、カレンとヨハンの婚約を祝福していたミモザの姿に嘘偽りがないのだと。
そんなミモザが今決勝の舞台にてヨハンと相対しているのだからその真剣さが窺える。
「……さぁな。それに関しては何とも言えない。これだけは言っても差し支えないが、依頼の内容は彼の本気を観させてくれ、だからな」
「本気……ですか?」
「ああ。そういう意味ではいくらブランクがあったとはいえ風迅も本気を出しているのだから十分だと思うな」
アリエルが知る旧友でもあるその風迅。相方でもあったその人物は、類い稀なる才能と剣聖によって叩き込まれた戦闘スキルによって今正にヨハンの前に強大な障害となって立ち塞がっていた。
『障害を前にしてこそ真の愛は育まれるのよねぇ』
『戦場ではそういうこともままあるな』
『しょうがない。お姉さんが一肌脱ぎますか』
『ほぅ。どこから脱ぎ始める?』
『本当に脱ぐわけないじゃない! バカじゃないの!?』
『冗談だ』
『ったく。大体元々はアンタにきた依頼でしょ?』
『いや。二人に来た依頼だ。当時の約束でな』
『はあぁぁぁ。どうしてあんなこと約束したのかしら』
『彼が皇帝になる暁にはお祝いしてやると言ったのはそっちではないか』
『それがコレだなんてアイゼンくんもやっぱり変わってないわね』
『そうだな』
嫌々ながら引き受けていた依頼。アリエルが受け持つかもしれなかったその役割。
「ふふっ」
見下ろしながらアリエルは思わず笑みがこぼれる。
眼下のナイトメアの衣装の中のミモザが本気で戦っており、それも楽しそうに笑っているのだろうということはわかっていた。
(どれだけ丸くなろうとも、やはり根本的な部分では貴様もそう変わっていないさ)
懐かしいその姿を嬉しく思いつつ、もう返ってこないその姿。横に並び立っていたかつての姿である風迅。戦場に於いて殺戮の風とも呼ばれていた元相方に思いを馳せる。




