第三百三十 話 閑話 自覚の芽生え(前編)
スフィンクスがエルフの里に赴き、世界樹の輝きを確認しているその頃。
時を同じくしてシグラム王国の王都、冒険者学校の教室にて。
「ねぇレイン?」
不意に背後から声を掛けられたことでレインはビクッと身を固くさせた。妙に甘い声で呼びかけられることが不気味でならない。
恐る恐る振り返る。
「な、なんだよ、マリンさん」
「もうっ。マリンで良いって言ってるでしょ。同い年なんだし」
プンプンと頬を膨らませている金髪の少女マリン・スカーレット。エレナの従姉妹でもある公爵令嬢。
「んなこと言ったってよぉ……」
実際学内では家名で立場が左右されないように努めないといけないので内情は別として呼び捨てでも構わないのだが、そうもいかない。チラリとマリンの背後にいるマリンの従者であるカニエスに目線を送ると明らかに不機嫌な様子を見せていた。
「はぁ。まぁいいわ。それはおいおい直していくとして、今日こそわたくしに付き合ってくれるのよね?」
どこに、と聞きたくなるところなのだが、聞かなくともわかる。実際には曖昧なのだがどこか出かけるのに付き合えということなのだということは。ここ数日毎日のように誘われるのを断っている。
「どうしてよッ!」
「すまん。今日は用事があるんだ!」
「今日も、でしょ! 昨日もそう言っていたじゃない!」
声を大きくして勢いよく断ったのだが、ダンッと机に手を着くマリンも同じように大きな声を発した。
周囲の視線を一気に浴びることになるのだが、声の下がレインとマリンなのだと知るやすぐさまフイっと視線を外される。ここ数日お決まりの展開。
(なんでこう毎日絡んで来るんだよ)
マリンの様子が変わったのはスフィンクスによる鍛錬を付けてもらったあの最終日から数日後。最初は遠くから何度か小さく声を掛けられていた程度なのだが聞こえないふりをしていた。関わっても碌なことにならない気がすると。
それが日を跨ぐにつれて段々と距離が近付いて来ており、妙な悪寒が走る。それはいよいよ近くに来て声を掛けられた時に確信したのだが、当初は高圧的な物言い。
『れ、レイン! ちょ、ちょっとわたくしに付き合いなさい!』
『やだよ』
『――――っ!』
それは以前とそう変わらない言い方。そんなことに屈することはないので、誘われても適当にあしらっていた。
仮に、本当に必要なことであれば付き合っても、とは思ったのだが内容を聞いてもいつもはぐらかされてばかりでいいから付き合えの一点張り。授業で何か必要な物があるわけでもないのに何に付き合わされるのかわからず困惑する。
(何を企んでんだか)
それが突如として一層不気味さを増すのは高圧的な態度が一変して先程の様な甘い声を出し始めた。とてつもない寒気に襲われ最初は逃げるようにその場を後にしたのだが、次に会った時は再び高圧的な態度を取られる始末。意味がわからない。それが何度も入れ替わる。
邪険に扱っているにも関わらずこのしつこさを見る限り何か裏があるとしか思えなかった。
「――なぁエレナ。あの従姉妹さんは何を企んでんだ?」
寮の談話室でエレナとモニカの三人で過ごしている時に相談を持ち掛けた。
「さぁ。わたくしには図りかねますわ。マリンの考えなどというものは。昔からあの子はわたくしと張り合うことしかしてきませんでしたもの」
「なんとかしてくれよ」
「自分でなんとかなさいな。飛び火は御免ですわ」
「はぁ。しょうがねぇなぁ……」
真意がわからないことにはどうにもならない。次に誘われた時は内容次第では付き合うことも視野に入れる。
若干の憂鬱さを孕みながら立ち上がり、バタンと談話室のドアを閉めて自室に向かった。
「ねぇエレナ?」
「なにかしら?」
「思うのだけど、あの子、もしかしてレインに気があるのじゃ?」
モニカの問いかけを受けたエレナはニコッと笑みを浮かべる。
「そうですわね。その可能性は否定できないですわ」
とはいえ、エレナはそれに確信を抱いていた。明らかにレインに向ける眼差しがエレナの知るマリンとは一線を画している。しかしわざわざそれに介入するつもりもない。
「ですが仮にそうだとして、わたくし達に何かできることがありますの? 当人たちの問題ではありませんか」
「それはそうだけど……」
「そんなことより、もうすぐヨハンさんが帰って来る時期ですわ。その頃にはもっとオモシ――いいえ、マシな関係になってくれていればいいですわね」
そのままエレナは立ち上がった。
「さ。わたくし達もそろそろ戻りましょう」
スタスタと歩くエレナの背をモニカが見送る。
(面白いって、もしかしてエレナ……わざと?)
思わず苦笑してしまうのは、どうにも先程のエレナの笑顔にモニカは心当たりがあった。意地悪いこと考えている時のそのエレナの表情に。
(私、しーらないっと)
結果、何も見なかったことにする。
――翌日、授業を終えた放課後。
「……ねぇレイン。やっぱり今日もダメなのかしら?」
連日と同じようにして背後から声を掛けられるのだが、呼びかけてくる声がどこか物憂げな声色。
「ん?」
振り返って見たマリンの表情、何が目的であろうともこう物悲しそうな表情を見ると内心いい加減付き合ってやろうかと思えた。
(よしっ! 飛び込んで見なければわからないこともある。俺は冒険者になるんだ!)
危険から回避することだけでは何も始まらない。火中の栗を拾うつもりで、勇気を出して飛び込むことも時には必要。冒険者としての矜持をその胸に宿して一念発起する。
「……いや。今日は時間があるからいいぜ」
決心していたはずなのだが、それでも待ち構える出来事に怯むことで言葉にすることを僅かに逡巡してしまった。
「えっ!? ほんと!?」
どういう反応をするのかわからず目を逸らしてしまったのだが、その声色がどう聴いても上擦っている。
ゆっくり視線を向けるそのマリンの表情は声色とはまた別に目尻にうっすらと涙を溜めており、すぐさま指の背で拭っていた。不意の涙を目にしたことによる妙な罪悪感に苛まれたのだが、同時に、涙を浮かべた割には笑顔を見せるその意外な矛盾に思わず目を奪われる。西に傾いた窓の外にある陽の光を背負うその姿はどう見ても可愛らしく見えた。
(そういや、こいつもなんだかんだ綺麗な顔立ちしてるよな)
性格的にはどう考えても高飛車で高圧的な人間。その印象は変わらない。
カニエスや周囲に見せている態度。幼い頃から目にしてきた、商人である父親がよく貴族から向けられていた嫌悪感を抱くその態度と同じ感じ。それと似たように接しられたことを無意識にも意識的にも連想していたのでなるべく避けて来ていたのだが、外見は多分に漏れず申し分ない。生誕祭で目にしたその公爵令嬢として当然のように持ち合わせていた教養と振る舞いに見合う容姿端麗さも流石の一言だった。
(っと、危ない危ない)
思わずぐらッと揺らいでしまった気持ちをもう一度引き締め直す。
「で? どこに付いて行けばいいんだ?」
「あっ、じゃあ……――」
疑問符を浮かべるレインに対して、マリンは満面の笑みで指を一本立てた。




